この特集の担当編集者嬢とカフェで打ち合せをしていたら、彼女はチャーチルのポートレートを繰りながらこう言った。「わたし、チャーチルの写真ばかり眺めてたら、なんだかこのおじいさんが好きになってきちゃったわ」

第二次大戦当時の英国の宰相、ウインストン・チャーチルの人物や業績に特段詳しいわけではない彼女がなんだか好きになってしまうような魅力がたしかにこの男には漂っている。以前横綱審議会委員で脚本家の内館牧子氏が当時の横綱、朝青龍を評して人たらしと言ったが、そんな何かが。

チャーチル本人もそのあたり、自分の持ち味を十分心得ていたとみえ、彼の服装や御用達の品のなかには「憎めない自意識」の物証をいくらでもみつけることができる。特に顔周りが象徴的だ。

チャーチル・スタイルの頭からつま先まで大解剖!

憎めない表情の伊達おじいちゃん

ウィンストン・チャーチル/1874年生まれ、イギリスの政治家、軍人、小説家。第一次世界大戦時に海軍大臣、第二次世界大戦中、首相職に就いた。1953年にノーベル文学賞を受賞。写真:Getty Images
ウィンストン・チャーチル/1874年生まれ、イギリスの政治家、軍人、小説家。第一次世界大戦時に海軍大臣、第二次世界大戦中、首相職に就いた。1953年にノーベル文学賞を受賞。写真:Getty Images

まずはだれでも思いつく蝶ネクタイ。チャーチルといえば蝶タイ、蝶タイといえばチャーチルで、歴史上これほどひとつのアクセサリーが特定の人物と結びついた例はそうないだろう。生まれついての気の強さと、容赦のない攻撃性をうまく中和して、顔が勝負の政治家にとってターンブル&アッサー製のポルカドットのそれは絶好のトレードマークになった。

父ランドルフ卿をまねて青年の頃から愛用していたようだが、まわりが徐々にネクタイに移行していった時代だけに彼ばかりが目立つ。流行なんてなんのそのである。二度目の首相登板となった1955年の組閣の写真をみると、チャーチルを除き、閣僚全員がネクタイである。もっとも他の政治家がこの巨魁に遠慮したというのもあったのだろうけどね。

物証その二は、帽子。まあ、いろんな帽子をかぶっているのだ。チャーチルの帽子姿の写真だけで一冊の単行本が編めるだろう。それほどの帽子フェチだが、あえて挙げるなら終生愛した『ホンブルグ』と『ケンブリッジ』型の帽子が彼のシグネチャースタイルといえる。ホンブルグは『トップハット』に次ぐフォーマル・ハットで、ブリムの端がカールしている、どちらかといえばフェミニンなかたち。ケンブリッジは山高帽とトップハットを足して二で割ったような案配。反り返ったブリムに頂上が平らなクラウンがのっている。19世紀の遺物であるこの帽子を、チャーチルは第二次大戦中の第一次内閣のときに再登場させるのである!彼の帽子を一手にひきうけていたジェームズ ロックへは、戦後、あの帽子は何? という問いあわせが殺到したという。

さてブルドッグといわれるチャーチルの顔の上下の支度は整った。残るは名演説家の口元に銃身のように収まる第三の物証、葉巻である。

青年時代に滞在したキューバで味をしめたといわれるチャーチルの葉巻ライフは徹底している。一日に吸う数、8本から10本。『ロミオ&フリエッタ』や『ラ・コロナ・コロナス』などのキューバ産を好み、御用達商であったセント・ジェームスの「アルフレッド・ダンヒル」と「JJフォックス」などから納めさせていた。国中が物資の欠乏で喘いでいた第二次大戦中ですらケント州チャートウェルの本宅にはキューバ産の上物が常時数千本蓄えられていたというのだから。

閣議だろうが国賓の接待であろうが就寝中以外彼の口から葉巻が離れることはない。ウソのような話だが、軍用機に乗るにあたっては葉巻を吸える特別なヘルメットをつくらせたという。

戦時中愛用していたカバーオール、通称サイレンスーツはいまでもターンブル&アッサーにディスプレイされているが、左胸のポケットには葉巻がすっぽり収まる切り込みがついていたのをぼくは見た。とにかく、とにかく自分流なんである、このおじいさんは。

この記事の執筆者
TEXT :
林 信朗 服飾評論家
BY :
MEN'S Precious2011年春号
『MEN'S CLUB』『Gentry』『DORSO』など、数々のファッション誌の編集長を歴任し、フリーの服飾評論家に。ダンディズムを地で行くセンスと、博覧強記ぶりは業界でも随一。