いきなりだが、ベスパをさしおいて、ほかにすぐに思い起こされる「スクーター」のデザインはない。ハリウッド映画『ローマの休日』やフェデリコ・フェリーニ監督の『甘い生活』など多くの映画にベスパが映し出されたことも、その要因となっているだろう。実際、スクリーンに映し出されたベスパを見て、高校生だった私は、なんて素敵な乗り物だろうと思った。
美しいスクーターを日常の足にすることはクルマ時代の今こそ「粋」である
有機的な曲線が美しいクラシックベスパファン垂涎のモデル!
同じ二輪でも、バイクとはちがって、スクーターは、またがらずに足をフットボードに置いて、腰掛けて乗る。ベスパが市場に出たのはイタリアが敗戦した翌年の1946年。その開発の意図は、快適で安全、そして清潔、ほとんど自動車のようにあらゆる目的に使える乗り物の実現にあった。
また、バイクとはちがって、「あえてエンジンを顧客に訴えかける要素とせず、ライダーからできるだけ離れるようにカバーによって覆われた」と、モータージャーナリストのジャンカルロ・ペリーニは述べている。これによって、スカート姿の女性でも乗ることができた。
そして全体のフォルムは、少しずつ変更されてきているが、一貫して流れるような優しいデザインだ。マッチョではない、ちょっと愛らしくフェミニンな二輪に、大人の男が乗る姿がとても粋に感じられたのである。
愛らしくはあるが、エンジンの動きはギアによって後輪に伝えられ、フロント・サスペンションは片持ち(車輪の片側だけを固定する方式)のシングルアームを使い、ボディは航空機で使われていたモノコック構造を採用するといった、当時としては最新で高度な技術を導入したデザインである。それは経営者のエンリコ・ピアッジオが、1929年世界初の飛行を実現したヘリコプターの設計者コラディーノ・ダスカニオにその開発を託した結果であった。
ベスパ初の200ccを実現! 誉れ高きスポーツモデル
日本と同じ敗戦国イタリアでは、戦後すぐに多くの人々が自動車を手に入れることはできなかった。そこで、この画期的な二輪が開発されたのである。それは、戦後日本の50ccバイク開発においても少なからぬ影響を与えた。だれもが自動車を購入可能になった現在だからこそ、ベスパは愛らしくて粋な乗り物であり続けている。
- TEXT :
- MEN'S Precious編集部
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