フィレンツェを訪れたことがあるならば、一度はその名を耳にした人も多いだろう。ミシュランの星を持つわけでもなく、あくまでも料理はカジュアルなトラットリアなのだが、その店内は実に個性的。
自称フィレンツェのシャガールとも呼ばれたオーナー、ジュリアーノ・ガルガーニ。通称「ガルガ」が店中の壁に絵を描いた美術館レストランなのだから。
ジュリアーノは肉屋の丁稚奉公から始めて料理人となった男で、美術の勉強などしていなかったが絵画の才能はイタリア人ならではのものなのか?
自画像や動物、花を描いた極彩色の壁画はファッション関係者の間でいつしか話題となり、世界中から「ガルガ」で一夜を過ごしたいと予約が殺到するようになった。
伝説のトラットリア「ガルガ」
「ガルガ」を訪れた有名人は数多く、チャールズ皇太子、ミック・ジャガー、ミウッチャ・プラダ、トム・フォードなどなど。かつてダナ・キャランの好物だった魚介系パスタに「ダナ・キャラン風パスタ」と命名してオンメニューしたところ、本人からクレームが来てとりやめたという逸話も残っている。
インテリアも個性的だが、料理も同じく個性的。「ガルガ」の基本は調理を最低限にして素早く素材の味を閉じ込める特急料理「クチーナ・エスプレッサ」で、どれも非常にシンプル。例えばアーティチョークが旬の時期にのみ登場する「アーティチョークのスパゲッティ」は萼をデコレーションに使った絵画的料理で、のちに多くの店に模倣された。
おそらく最も有名なのがイタリア産カラスミを使った「ボッタルガのスパゲッティ」だろう。パウダー状のカラスミをふりかけたスパゲッティを出す店も多いが「ガルガ」ではカラスミをたっぷりのオリーブオイルとパスタの茹で汁を使い、カルボナーラのような乳化ソースを作る。そこに茹でたてのスパゲッティを加えて手早く混ぜ合わせるとパスタに黄金色のソースがからみつき、なんともいえない香りを生み出すのだ。
かつてアメリカ版「GQ」で世界三大料理のひとつとして紹介されたことからアメリカ人の間で人気が根強いのが「子牛のスカロッピーネ・アボカド・ソース」だ。これは薄切りの子牛肉をソテーし、生クリームとトリュフオイルで香り付け、最後に生のアボカドをトッピングした料理だ。一見非常にシンプル、しかし濃厚で味わい深く一度食べたら忘れられない官能的な味だ。この料理食べたさに季節ごとに「ガルガ」を訪れる旅行者も多い。
子牛のスカロッピーネ・アボカド・ソース
こうした料理を作り出したのはアーティスティックな才能を持つジュリアーノで、彼を慕って多くのアーティストも店に集まった。親友であるフィレンツェの画家アルフィオ・ラピサルディは常に「ガルガ」を彩った常連客の一人で、店にも多くの絵を残した。ジュリアーノは店に絵を描いた画家たちに無償で食事を提供し、メディチ家さながら芸術のパトロンも兼ねていた。厨房で働いているときはつねにバンダナと花を身につけ、店を出ると一転してコートにボルサリーノという、実に粋な男だったこともその神話に拍車をかけた。
2012年にジュリアーノが亡くなると、相続問題で店は「ガルガ」から「ガルガーニ」と名前を変えたがその事実に気づく人はあまりいない。
今でもフィレンツェの常連たちは「ガルガ」と呼んで、昔と同じようにいつもの料理を口にする。一周忌を期に、フィレンツェ市はアルノ川沿いに記念のプレートを寄贈することを決めた。生前のジュリアーノはアルノ河畔に勝手にバラ園を作り、何度も市ともめていたのだが、その都度「そのほうが美しいしみんな喜ぶから」と全く気にせず、撤去されてはまた植える、という繰り返しだった。
除幕式にはわたしも出席したが、その際フィレンツェ市の代表が「故人と市の間にはいろいろありましたが、すべてアルノ川に流しましょう」と言ったことは出席した人たちに笑いを与えた。そのプレートはアルノ川右岸、アメリゴ・ヴェスプッチ橋手前の小さな見晴し台にあるのでイタリア料理ファンは、見に行ってみるのもいいだろう。
そのプレートにはこう書かれている。「この場所で人生と愛について語っていたマルチな芸術家、「ガルガ」と呼ばれたジュリアーノ・ガルガーニの思い出とともに」。わたしの知る限り、料理関係者でフィレンツェにその名を残されたのは「アルトゥージの料理書」で知られる料理研究家ペッレグリーノ・アルトゥージに次いで2人目。まさに伝説となった料理人だった。
■トラットリア「ガルガ」
http://www.garganitrattoria.com/
- TEXT :
- 池田匡克 フォトジャーナリスト