イタリアを代表するプレミアム・グラッパ・メーカー「Berta(ベルタ)」は1947年、ピエモンテ州ニッツァ・モンフェラートに創業したが、その始まりは1866年フランチェスコ・ベルタの誕生時に遡る。1866年といえば日本は侍の時代が終焉を迎える幕末真っ盛り。

明治へと態勢が大きく変わる社会変革期だったがそれはイタリアも同じ。1861年にサヴォイア家当主ヴィットリオ・エマヌエーレ2世を初代国王として統一イタリア王国が誕生し、トリノは統一イタリア最初の首都となったのだ。

イタリアを代表するプレミアム・グラッパ「Berta(ベルタ)」

4代続くベルタ家はイタリアにおけるグラッパ界の雄。その高品質なグラッパは世界中に多くのファンを持つ。
4代続くベルタ家はイタリアにおけるグラッパ界の雄。その高品質なグラッパは世界中に多くのファンを持つ。
現在のベルタの蒸留所。「土地を愛せ」というピエモンテの農家の格言を尊重し、周囲の自然に溶け込んでいる。
現在のベルタの蒸留所。「土地を愛せ」というピエモンテの農家の格言を尊重し、周囲の自然に溶け込んでいる。

少年時代にワイナリーで働き始めたフランチェスコはぶどう栽培やワイン醸造を生業として育つ。22才で結婚、ジョヴァンニとミケーレという二人の息子に恵まれると、財産を分割しないというピエモンテの農村の伝統にのっとりぶどう栽培家、醸造家としての家督を全て長男のジョヴァンニに譲る。

結局はこの英断がベルタ家を大いに発展させることになるとの信念の元、苦渋の決断だったと想像する。次男ミケーレは薬学を学んでミラノに薬局を開店。こちらも成功したというからベルタ家は努力と信念で商売を成功させてきたのだろう。

まるでワイナリーのような、ベルタのバリッカイオ(バリック熟成庫)。数年の熟成を経て、他に並びない熟成グラッパが誕生する。
まるでワイナリーのような、ベルタのバリッカイオ(バリック熟成庫)。数年の熟成を経て、他に並びない熟成グラッパが誕生する。

ベルタ家が大いに飛躍を遂げるのはジョヴァンニの息子、パオロの時代。5人兄弟の末っ子だったパオロ・ベルタはアルバで醸造学を学び、1947年にはベルタ家初の蒸溜所を創業する。パオロ・ベルタが目指したのは本来の家業であるワイン生産に、新たな付加価値を加える高級グラッパの製造だ。さらにベルタ家4代目となるジャンフランコとエンリコの世代になるとグラッパの熟成にバリックを採用。

従来の伝統的なグラッパとは異なるコンセプトの高級グラッパの製造に成功すると、イタリアだけでなく世界的にもプレミアム・グラッパの第一人者として知られるようになる。「ベルタ」のグラッパを一度味わえば、従来のグラッパとの違いに驚くことだろう。滑らかかつ芳しいその芳香はイタリアのブランデー(本来の製造法ならばマールだが)と呼ぶにふさわしい。

日本上陸を楽しみに待ちたい「ベルタ」のラインナップ

20年熟成のフラッグシップ「パオロ・ベルタ」など熟成グラッパのラインナップ。新たに加わった「ニッツァ」もよりテロワールを重視した仕上がりになっている。イタリアでの価格は50ユーロ前後。

「ベルタ」の現行ラインにはバルベーラのヴィナッチャを使った8年熟成「Roccanivo(ロッカニーヴォ)」や、モスカート8年熟成「Bric del Gaian(ブリック・デル・ガイアン)」、ネッビーロ8年熟成「Tre soli tre(トレソリトレ)」、さらに20年熟成のリゼルヴァ「Paolo Berta(パオロ・ベルタ)」などがあるが今回ラインナップに加わったのが「Nizza(ニッツァ)」だ。これはNizza DOCG生産地区のネッビオーロのヴィナッチェを使用、非連続式蒸留で最良の中間部分のみを取り出し(ミドルカット)アリエ・オークの新樽で熟成させたグラッパ・インヴェッキアータ(熟成グラッパ)。アルコール度数43度にも関わらず滑らかで柔らかい。香りはバニラ、シナモン、ダークチョコレート、紅茶、クローブといった複雑な熟成香。味わいはプラムやはちみつ、カラメルを思わせる甘くて滑らかな舌触りは食後にゆっくりと楽しみたい。

Distelleria Berta

この記事の執筆者
1998年よりフィレンツェ在住、イタリア国立ジャーナリスト協会会員。旅、料理、ワインの取材、撮影を多く手がけ「シチリア美食の王国へ」「ローマ美食散歩」「フィレンツェ美食散歩」など著書多数。イタリアで行われた「ジロトンノ」「クスクスフェスタ」などの国際イタリア料理コンテストで日本人として初めて審査員を務める。2017年5月、日本におけるイタリア食文化発展に貢献した「レポーター・デル・グスト賞」受賞。イタリアを味わうWEBマガジン「サポリタ」主宰。2017年11月には「世界一のレストラン、オステリア・フランチェスカーナ」を刊行。