世界の女性リーダーが注目され、国内でもその数の増加が叫ばれています。今回は各分野で活躍する女性に、「決断」をテーマにインタビュー。するとそこには、突き進む力、耳を傾ける力、内省する力、肩を組む力など多種多様な個性と能力が。さらなる女性の未来と可能性をズームアップ!
今回は、キャスターの安藤優子さんに【変革する時代のなかで女性リーダーたちに求められる「決断力」とは?】について、お話を伺いました。
◇◇ Special Essay ◇◇ 安藤優子[キャスター]
教えて、安藤さん! 変革する時代のなかで女性リーダーたちに求められる「決断力」とは?
「雌鶏歌えば家滅びる」とは、中国の古いことわざです。簡単に言い直せば「オンナが出しゃばるとろくなことは起きない」とでもなりましょうか。そもそも朝一番にコケコッコーと鳴くのは雄で、雌鶏がその代わりに鳴くと不吉な前触れとされたことに由来すると言われています。
いずれにしても「これまでの慣習」をくつがえすことへの「不安」や「怖れ」がにじむことわざではあります。まさに、これまで圧倒的に男性優位として機能してきた社会が、女性リーダーの出現によって「どうにかなってしまうのではないか?」という漠然とした「不安」を代弁しているようなことわざです。
「不安」と「焦燥」
そうした「不安」の表れが、これまでの女性リーダーたちへのとりわけ厳しい視線だったように思います。女性リーダーゆえに、男性と同じように部下を叱っても「感情的」「ヒステリー」などと言われかねない。そんな窮屈さを抱えてきたのではないでしょうか。
先日の「女性が入ると会議が長くなる」と発言して物議をかもした森喜朗氏のように、何かと「女性だから」などと根拠のない「ステレオタイプ分類」がまかり通ってきたのです。それはとりもなおさず、「オトコたちが築いてきたルール」を「ぶっ壊される」かもしれないことへの「不安」と「焦燥」の表れなのです。
共感力に長けている
今かつてないほどに、ジェンダーについての議論が盛り上がっています。そして実際にこのコロナ禍を見事な采配によって乗り切ろうとしている女性リーダーたちが国際社会で脚光を浴びています。
台湾の蔡(さい)総統、ニュージーランドのアーダーン首相、ドイツのメルケル首相はつとに知られた手腕を発揮しています。彼女たちは揺らぎません。が、実にしなやかです。これまでの「慣習」や「ボーイズクラブのルール」にとらわれず、自らが正しいと信じる決断をし、なによりも人々の声に耳を傾ける共感力に長けていることが共通しています。
プロセスを大切にする
女性リーダーが決断を下す、それは性別に関係なく、リーダーであるがゆえに「個」としての孤独な判断が求められます。でも、共感力に優れた彼女たちの決断は、そこへ至るまでの方法論に男性リーダーとの違いが出るのではないかと思っています。それは共感力の成せる「決断される側」の思いをくみ取るプロセスを大切にする点です。
あまりにも長い年月積み上げ、築かれてきた「男性目線」が下す判断ではなく、それをどんな思いで「決断され、言い渡される側」が受容し、忍耐してきたかを、たぶん瞬間的に共感できるのではないでしょうか。そうした判断には、人間のもつ本来の優しさと、ときに厳しさがにじみ出て、「決断される側」にとっても十分に納得がいくものであるはずです。
さらに、共感力は多様な価値観を包括できることにつながります。共感する力をもつ女性リーダーは、今の社会において最も重んじられる多様性をきちんと具現化できるのです。
ルール変更の時期
私が40年以上も仕事をしてきた報道の世界も、かつては完璧なまでの「オトコ社会」でした。そこで自分の居場所をこじ開けるには、「私はオジサンの敵ではありません」というサインを送るために自分を「おじさん化」して仕事にあたりました。今では立派な? セクハラまがいの発言にムッとしながらも、笑ってやり過ごす方法をとりました。波風立てずに、いつの間にか「ボーイズクラブ」の一員になってしまえばいいと思っていたのです。
でももうそういう時代は終わりました…というか、終わりにしなくてはならないと思います。女性でも男性でも、その人個人がまっとうに評価される社会へのルール変更の時期なのです。性差は「問題」ではなく単なる「違い」です。
これからの女性リーダーには、そういう「違い」をひょいと乗り越え、もしくは「違う」という多様性を突破口にして、風通しのよい社会、会社、地域を創って欲しいと心から願っています。そして、何より大切なことは、女性でも男性でも自身の決断を「性差」のステレオタイプ分類に捉われないことです。雌鶏も雄鶏も同じ鶏。歌って何が悪い!どうせなら、一緒に朗々と気分よく歌おうじゃありませんか。
- WRITING :
- 本庄真穂
- EDIT :
- 喜多容子(Precious)