さまざまな分野で自分の道を切り拓き、新たな時代のロールモデルとして活躍する女性たちに注目する連載企画。彼女たちがどんな道を歩み、どんな思いを抱いて、今をどう生きているのか…を中心にお話を伺います。
今回登場していただくのは、エシカルなジュエリーブランド「HASUNA」を立ち上げた、社会起業家の白木夏子さん。辿ってきたキャリアパスから今後の展望、コロナ禍で一般化したリモートワークについてを、全3回のシリーズでお届けします。初回の本記事では、「社会起業家・白木夏子さんが誕生するまで」を主題に、幼少時の環境から留学、起業するまでを語っていただきました。
2017年にはCNNが選んだ日本人女性「リーディング・ウーマン・ジャパン」に選ばれるなど、世界的にも注目されている起業家である彼女の、今につながる原点とは?
デザイナーだった母の影響で手作業好きだった幼少時代
「母がインハウスのファッションデザイナーで、いわゆる今でいうファストファッションのようなものを作っていた会社で働いていました。鹿児島の田舎から出てきて、ココ・シャネルに憧れてデザイナーになったのですが、結婚と同時に退職。でも家で私の服をよく作ってくれました。
そんな母の様子を見て育ち、物心ついた頃から、人形の服を作ったり、編み物をしたり手を動かすことが好きでした。絵を描いたり、ビーズでアクセサリーを作ったりといったことを、没頭してやる子でしたね。
高校に進学し、大学で何を学ぶか悩みました。ファッションやデザインにはとても興味があったのですが、私の父は繊維関係の商社で働いており、両親ともにアパレルにいたので、その世界についてよく知っていて。とても厳しい業界だし、楽しんでものを作れるようなところではなく、さらに低賃金だ、と反対されてしまいました。
でもそれ以外にやりたいことがわからず、高校3年生になっても受験勉強をせずに過ごしていたところ、同居していた祖父が、ふと留学を勧めてくれて。
戦争経験があった祖父は小さい頃から当時の話をよくしてくれ、『いつか私も世界に出て平和のために何かしたい』といつもなんとなく考えていました。また、実は、各国を訪れて仕事をしているイメージが16〜17歳の頃から頭のなかにあり、自分が一か所にとどまる予想図が全くなかったので、その勧めがしっくりきたのです。
留学となると英語を学ばなくてはならないので、一旦、名古屋の短大の英語学部に進学し、留学準備をすることにしました」
写真家・桃井和馬さんとの出会いが国際協力に目覚めたきっかけ
「短大はカトリックだったのですが、社会貢献に力を注いでいる学校で、ボランティアや国際協力という授業があり、とても刺激を受けました。
働いている先生たちも国際色豊か。フィリピン人の先生からは、ストリートチルドレンがいまだに沢山いて、スモーキーマウンテン(ゴミの山)に暮らしている人もいっぱいいる、といった国が抱える問題について伺いました。
入学して数か月経ったとき、フォトジャーナリストの桃井和馬さんが講演に来ました。実は、桃井さんのお話を聞いて『私は国際協力を仕事にする!』と決めたんです。桃井さんは紛争、動物の密輸や飢餓の問題を撮影してこられて、その作品とともに経験談を伺ったのですが、その話が心に刺さって…。
3食、家にいれば何もしなくても出てくるような生活をこれまで送ってきたけれど、それがどれだけ恵まれていて、そうではない状況に喘いでいる人たちが世界にはたくさんいるんだ、と改めて気づくことができました。
なんとなくテレビの中の世界かな、と思っていたのですが、それが現実で、私が生きる世界にも繋がっているということを痛感。それが国際協力の世界で仕事をしたいと思う、きっかけとなりました。留学して国連職員やNPOで働けるような知識と経験を身につけていこう、と思ったんです」
カーストは「親ガチャ」のようなもの。ものづくりの業界を変えたい!
「短大卒業後、イギリスのロンドン大学に留学しました。国際協力に関して勉強をスタートし、一年目の夏休みに現場に行きたいと思い、南インドの農村部に2か月間住み込みました。
インドにはカーストがあって、一番上が僧侶、次が貴族、次が商人…、一番下が奴隷なんですけど、さらにそれ以下はアウトカーストというランクになります。私が夏休みに滞在した鉱山の村は、アウトカーストの人々が過酷な状況で労働していました。
カーストは、今で言う『親ガチャ』のような感じで、その家系に生まれてしまったら逃れられないもの。それなので、都心に行っても代々物乞いをして生きている人たちもいるし、農村部では農業用の奴隷として使われている人もいます。
村の鉱山では、気温40度以上の環境のなか、ほぼ素手と素足で、子供から大人まで採掘しているんですけど、子供はもちろん学校に行っていません。
そこでは携帯電話やキラキラ光るパウダーなどの化粧品に使われている、『マイカ』とも呼ばれる雲母が採掘されていました。そんな鉱山はそこだけでなく、インド中にあって、アウトカーストの人たちが同様に働いています。彼らの賃金は日当1ドルにも満たないのだとか。
学校はおろか、病気になっても病院にさえ行けず、絶望のなかで働いている状況を目の当たりにして、これをどうしたら改善できるのか…、すごく悩みました。
国連やNGO、NPOに入って援助でお金を渡すという方法もあるけれど、そうではなく、この問題はものづくりの業界を変えないといけない、『安く買い叩いて、高く売る』という資本主義のなかで苦しんでいる人たちを救うには、仕組みから根本から改善しないといけない、と起業を決意。私が考える、エシカルな調達をしているジュエリーブランドが成功したら、他のブランドも変わるだろう、と考えました。
卒業後は半年ほど在ベトナムの国連機関である国連人口基金(UNFPA)でインターンをした後、日本へ帰国。3年弱、投資ファンドで働きながら起業の準備をしました。そして2009年4月、人と社会と自然環境に配慮した調達をしながらジュエリーを作るビジネスを確立し、株式会社HASUNAを立ち上げたのです」
「たとえば、トレーサビリティの確保。ジュエリー業界自体がブラックボックス化しているというか、鉱山から問屋さんに来るまでの経緯が全く分からないのが普通になってしまっているんです。石のお店にいってもルーツがわからないことが当たり前なんです。
でも今、スーパーに行けば『生産者の顔のみえる野菜』が販売されており、そんな数百円のものも出どころが明確なのに高価なジュエリーがどこから来たのかわからない…、というのはおかしいですよね。
そこでHASUNAは、素材の調達から開拓していきました。カナダのダイヤモンド、ルワンダの牛の角、中米のベリーズの貝殻、ペルーのゴールドなど、世界中を訪れ、そこの鉱山労働者や職人とやりとりし購入することで、身につける人だけでなく関わる人全てがハッピーになるジュエリーを目指しています。
それなので買い付け先の工房は本当に小さいところもありますし、研磨をしている職人さん個人から買い付けることも。国連時代に知り合った、海外青年協力隊だった人など現地に精通している人から情報をもらい、私自身が実際に現地に赴いて調達先を確立していきました。
HASUNAを立ち上げた際は、1〜2か月に一回は各地をまわっていましたね。何もないゼロから築いていったので、大変な作業でした」
手作業に没頭した幼少時代、国際協力を学んだ留学時代…。その点と点がつながり線になったかのように「色々な国を旅しながらジュエリーを作る」と自分がやりたいことをHASUNAの起業で実現した白木さん。
Vol.2の記事では、キャリアのターニングポイントや今後の展望について伺いました。ぜひお楽しみに!
- TEXT :
- Precious.jp編集部
- PHOTO :
- 黒石 あみ(小学館)
- WRITING :
- 神田 朝子
- EDIT :
- 谷 花生