山梨県・小淵沢。八ヶ岳の裾野の丘陵地にある、ドメーヌ ミエ・イケノのブドウ畑は、澄んだ空と美しい山並みに囲まれ、まさに天空のブドウ畑! ドメーヌとは、ブドウの栽培からワインの醸造、熟成、瓶詰めまでを一貫して行う生産者のこと。代表の池野美映さんは、30代で雑誌編集者から一念発起して渡仏し、超難関と言われるフランス国家資格ワイン醸造士を取得。たったひとりで畑探しから始め、荒れ放題だった耕作放棄地を開墾し、ブドウの苗木を植え、2017年で10周年を迎えました。

畑に佇む池野美映さん

農薬を極力使わずに自然の力で育んだワインは、凛として優しく、優雅な味わい。初出荷の数前から大手百貨店バイヤーが予約を入れ、人気マンガ『神の雫』で取り上げられたという逸話も。池野さんのワインへの思いとライフスタイルから、その魅力に迫ります。

小淵沢ときどき東京、2拠点生活で10年

レ・パ・デゥ・シャ(猫の足跡)と名づけられた、池野さんの畑
――― 2007年、畑にブドウの苗木を植えて10年。初めてのリリースから変化は実感されていますか?
ブドウはある程度の実がなるまでに3年。初期のころはまだ収穫量が少なく醸造所もなかったので、初めて東京の百貨店でリリースできたのは2014年、伊勢丹新宿店さんでした。当日私も店頭に立つ予定で、一般のお客様と同じ入口から開店に合わせて入ったんです。そうしたら、私が着くよりも早くお客様が売り場にダッシュされてカゴいっぱいに買ってくださっていて(笑)。当時はまだおひとりあたりの本数制限がなかったので、半日で売り切れてしまったのにはびっくりしましたが、本当にうれしかったですね。
 
生産本数は、149本からスタートして、1000、2000、6000本と推移してきたところで、ここ2年は一気に倍の1万本超えに。ワイン樽を上下2段のラックに重ねて熟成させているのですが、4樽は重さにすると1t以上、ハンドリフトで運ぶのはなかなかの肉体労働ですね。今でもすべてのボトルを自分で触って、瓶詰めやラベル貼り、出荷作業までしています。
――― 池野さんがおっしゃると爽やかで穏やかですが、並大抵のお仕事ではないと想像します…。畑仕事はご近所の方にお手伝いをお願いしているとか。
そうですね。ブドウ農家の方というわけではなくて、主婦の方やリタイアされたご近所さんなんです。最近は生産本数が増えてきたのでラベル貼りや出荷作業なども手伝ってもらっています。基本的な流れや作業はお伝えするものの、みなさん自主的に工夫しながらやってくださるんですね。マニュアル的に事細かに教えるよりも、その人自身のアイデアで楽しんでやっていただくほうが力を発揮してもらえるんじゃないかと。あとは東京からボランティアで来てくれる友人も。多くはダイビング仲間で、フットワークが軽くてよく助けてもらっています。
――― 趣味がお仕事にもつながって、いい循環を生んでいるんですね。
ダイビングは私にとって、最後の砦だったんです。もともと長野出身で海がない地方出身なので、泳ぐのも魚がそばにいるのも怖くて。苦手なことを克服しよう!と、フランスから日本に戻ってきて、ライセンスを取りました。海の中で生きるか死ぬかという部分もあるのに、なんでそんな危ないことをやるのかなという思いもあったんです。でも、やってみたら、パニックにはならず意外と大丈夫で。200本くらい潜った今でも、ドキドキしながら続けています(笑)。楽しい仲間にも出会えましたね。
――― 自然が相手のお仕事は、自分で時間をコントロールしづらいと思いますが、趣味を楽しむためのお休みはとれるのでしょうか?
週末はなるべく休むようにしていて、夏休みはとれませんがそのぶん、畑が休眠に入る冬はゆっくりします。この10年、夫は東京の会社に勤めていたので、小淵沢と2拠点生活をしてきました。時期によってお互い車で行ったり来たり。ダイビングは共通の趣味なので、「週末、沼津で集合ね」と待ち合せることもありますね。ふたりとも「女性だから」とか「男性だから」ということにこだわらない人でして、家事はお互いができるときにできることをしています。

雨が降り続いた2017年、執念で過去最高の収穫高を更新

収穫されたばかりのピノ・ノワール。すぐに隣の醸造所へ運ばれる
――― 順調に収穫高を伸ばされていますが、今年は雨が多くて多くの農園にとっては厳しい環境だったと聞きます。
今年は本当に雨がひどかったですね。8月26日からようやく天候が回復して、もち直したかなと。長雨はブドウの大敵ですが、その中でも今年は収穫高の自己ベストを更新できました。実は2015年は生産本数を半分ほど落としてしまって、自分の能力や執念が足りなかったんじゃないかと反省。もう天候を言い訳にしない、と自分の中で覚悟を決めて臨んでいます。
 
ワイン造りには時期によってやるべきことがありまして、タイミングしだいで、クオリティが変わってしまう。実だけではなく、葉も根も幹も全て守ってあげないといいワインにはならないんですね。たとえば、この日のこの瞬間に消毒しないといけないとか、休眠期に入る前には畑全体に有機肥料をまいて土の物理性の改善を行い、水と空気を吸いやすくふわっとさせる…というように。真冬の八ヶ岳はマイナス15℃になる日もあり、今の時期は根に土で布団をかけるような土寄せの作業をして、保温チューブも巻いて凍害から守っています。この作業、実は日本でもここしかやっていないようです(笑)。
太陽の光を浴びて輝く、瑞々しいシャルドネ
――― ワインは、自然科学と思いやりの結集なんですね。
収穫のタイミングによっても、味わいや香りが左右されますね。ブドウの収穫というのは、あらかじめこの日にやるよとは決められなくて、状態を見ながら直前で判断します。“ナイトハーベスト”は、気温の低い深夜に摘むことで、高い糖度、凝縮した果実感を逃さずに収穫できる方法なのですが、昨年は夜に雨が降るという予報に変わり、急きょ前倒して仲間たちに来てもらうことに。1時間半しかない中で、みなさん黙々と穫ってくれて。すべてとり終わった瞬間に、雨が降ってきた!なんていう、分単位の攻防もありますね。

ブルゴーニュの伝統を守りながら、新しい日本ワインを

畑の一般公開はしていないものの、年に数回イベントを開催。公式HPやSNSで確認を
――― 池野さんのワインは、ポンプを使わずに重力で熟成させて瓶詰めまでしていく、グラビティフローシステムを採用しているのが特徴ですね。工程の多くが機械化されている最近では、珍しいとか。
今や世界を見回しても希少になっていると思います。ただ、計算してこれに辿り着いたというわけではなく、この方法しか考えていなかったというか。
 
私のワインは、ブルゴーニュで学んだ昔ながらのトラディショナルな造り方。世界のソムリエやワインテイスターに一概に言われるのは、「クラシックですね」という言葉です。日本の伝統芸能や工芸品と同じで、それが大事だと思っていて。私は長くても100年くらいしか生きられないけれど、ワインを生み出し、その地位を築いてきた国の人々が何百年とかけて続けてきたもの。数ある方法の中から淘汰されて残っているもの。その伝統には本質がありますよね。だからこそ、脈々と受け継がれてきた方法をできるだけそのまま続けていきたいと思っています。もちろん、フランスのディプロマを取得するため新しい技術も勉強してきたので、伝統的な方法でやってみてその中で微調整していくようにしています。
――― 日本で女性ひとりでワイナリーを起ち上げられて、壁を感じたところはありますか?
私自身は、国だとか、年齢だとか、男女だとか、いわゆる枠というものをあまり考えたことがなくて。とにかく自分でできることをやってみよう!という感覚でしたね。ただ、実際にやってみると日本はワイン醸造に関して整備されていないんだなということは実感しました。
 
フランスにあるようなワインの分析センターやトラックがやってきた瓶詰めをしてくれるシステムもないので自分でやりますし、ワイン用タンクやコンベアーなどの基本的な機器もないので輸入します。ないものは作らないといけない。建築家さんも醸造所を設計したことがなかったので、まずは自分で大まかなスケッチを描いて、造る過程をすべて説明するところから始めて。建設中は東日本大震災が重なり、電気も資材もないという時期もあり、完成まで3年近くかかりましたね。
 
いちばんハードルが高かったのは、やはり資金面でしょうか。まだ畑のブドウさえ育っていない何もないところから、どうやって銀行に信頼してもらってお金を貸していただくかを考え尽くし、融資実現まで2年かかりました。銀行さんが求めるのは根拠の積み上げですから、「ブドウの木を何本植えて、ここから何年で何本分のワインがとれて、1本いくらで売って、そのうち経費はいくらで、利益はこのくらい出ます」と想定できるだけ数字で見せていく必要があります。相手の方はワイン造りをしているわけではないので、わからなくても根気強く。ワインという商材は世界中にあって、その中から選んでいただくのは確かに大変なこと。夢ばかり語っていてもダメで、販路を押さえてそれを明確にしたことが大きかったでしょうか。
ワイナリー起ち上げを前に星野リゾートさんにお話をし、リゾナーレ八ヶ岳の提携ワイナリーとしてパートナーを組むことができたのは、幸運なことでしたね。

年と共にできることは減っても、滋味深さが増していく

肥料は近隣の牧草を食べている馬のたい肥。醸造後のブドウの皮やかすは再び土に還す。循環型農業で育まれた土はフカフカで、畑を歩いていても心地いい
――― 10年を経て、ドメーヌ ミエ・イケノのブドウは、どんな時期に来ていますか?
若木のころは拳よりちいさな房だったんですが、成木となった今では手のひらほどの大きさがあります。それでもまだ10年、これからどんどんポテンシャルがあがっていく時期ですね。もっとワインが美味しくなっていくはずです。ブドウと人間の時間の流れは似ているんじゃないかと思うことがあるんです。
子供から20歳で成人して、30代。乗りに乗ってなんでも自由にできるようになるころってありますよね。ブドウも一緒で30年、35年が全盛期で、そこから徐々に1本の房からとれる量は減っていく。できることは減っていくけれど、滋味が出て深さが増していくんですね。フランスでは100年経った古木を大事に使っているところも。古老の話を聞いてるかのような、飲むと自然に涙が出てくるような、そんなワインに出会ったことがあります。
――― では最後に、「ミエ・イケノ」のおすすめの楽しみ方をうかがいたいです。
ワインは時間を重ねることで、どんどん変わっていくもの。「ミエ・イケノ」の赤は5年から7年お待ちいただくのがおすすめです。白でも1年は待っていただけたら。熟成させていく間はもちろん、一度ボトルを開けてお食事の間の時間でも香りが開いて変化していきます。ゆっくりとした時間で大切な人と味わっていただけたら造り手としては幸せです。
 
もし、私のワインを楽しんでいただく機会がありましたら、ぜひ一緒に年を重ねていただきたいですね。ワインにはブドウがその年に過ごしてきた時間が刻まれています。「あの年はこんな気候で、そういえば夏はこんなことがあったね」というように、ご自身が過ごしてきた時間を思い出す豊かなひとときに添えていただけたらうれしいです。
池野美映さん
ワイン醸造家
(いけの みえ)長野県生まれ。ドメーヌ ミエ・イケノ、農業生産法人レ・パ・デュ・シャ代表。編集者を経て、単身渡仏。2005年、国立モンペリエ大学薬学部で、フランス国家資格ワイン醸造士を取得。帰国後、山梨県八ヶ岳のふもとにブドウ畑を開く。2011年にワイナリーをオープンし、循環型農業で化学肥料、除草剤を使用しないオリジナルワイン「ミエ・イケノ」をリリース。著名なレストランやホテルのシェフにも愛好家が多い。

ホテルニューオータニで行われた晩餐会で、「シャルドネ2016」を編集部がひと足お先に試飲させていただきました

左上のワインは赤ワイン、ピノ ノワール2013。フォアグラのラヴィオリや、シャラン産鴨のローストなど、ドメーヌ・ミエ・イケノのワインとお料理とのマリアージュはお見事でした

12月1日ホテルニューオータニにて『ドメーヌ ミエ・イケノ10周年記念 猫の葡萄会〜小出裕之シェフを迎えて〜』が開催されました。香り豊かな5種類のキノコを添えたフォアグラのラヴィオリ、当日解禁されたばかりのシャラン産鴨をローストしたスペシャルなメインなど、「トゥール・ダルジャン」で培ったシェフの技が活きた優雅な料理と池野さんのワインのマリアージュに、会場のあちこちから感動の声が。池野さん自らが語る10年の歴史や、フランス・コートドールを思わせる畑の空撮映像のお披露目にも大いに盛り上がりました。

シャルドネ2016は、本格的な料理はもちろん、鍋料理との相性もよいのだそう。大切な人たちとのホームパーティで、リラックスしながら楽しんでみては。

この記事の執筆者
TEXT :
Precious.jp編集部 
2018.6.19 更新
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PHOTO :
相馬ミナ
EDIT&WRITING :
佐藤久美子