400年以上の歴史を持つ、誇り高き街=銀座。1612年、江戸幕府の天下普請で区画され、現在は一丁目から八丁目まで続く(直線距離約1km)日本を代表する繁華街だ。近年は訪日客の増加で、日本の「銀座」から、世界の「GINZA」へと更なる発展を遂げている。そこには、進化を止めない老舗や職人気質を保った次世代の名店が華を競い、われわれの知的物欲を刺激する品々があふれている。さあ、選りすぐられた「名品」の街へようこそ。
銀座八丁に息づく、商人の粋、紳士の粋
僕が銀座という街に魅了されてから、半世紀以上の時が流れた。子どものころ、我が家で「お出かけ」と言えば、銀座と決まっていた。父の勤めていた会社が、四丁目付近にあったからだろう…。土曜日の午後になると、母と僕は三丁目にあるデパート「松屋銀座」でよく父と待ち合わせ、親子三人で“銀ブラ”をした。時に、明治二年創業の高級子ども服専門店「サヱグサ」(当時三丁目にあった)で、特別な日のための服を買ってもらった。子どものころは服になど興味はなかったが、その後のお楽しみの為に何着も着たり、脱いだりさせられるのを我慢した。そのお楽しみとは、五丁目に本店を構える「銀座千疋屋」でフルーツパフェを食べさせてもらえることだ。だれかの誕生日や特別な日には、ドイツ料理の店「ケテル」(※現在は閉店)で食事をした。僕が生まれて初めて足を踏み入れた、高級レストランだ。父はこの店のエンドウ豆のスープが好物で、帰りには一階のデリカテッセンで黒パンをよく買い求めていた。僕と銀座という街の付き合いは、こんな風に始まった。
銀座は今でもゆっくりと散歩のできる繁華街だ。「飯を食おうか、買い物でもしようか、それとも少し早いが一杯やるか…」。そんなことを考えながら、夕暮れの銀座をそぞろ歩くのは楽しい。新宿等と比べて小さい街だからかもしれない。一丁目から八丁目まで難無く歩ける。その一方で、銀座は奥の深い街だ。日本を代表するさまざまなジャンルの老舗や世界の一流ブランドの旗艦店が軒を連ねる東京で、最も格式の高い繁華街であるが、僕は裏通りやビルとビルの間の小さな路地に、銀座の真の魅力があると思っている。思いがけない場所に、知る人ぞ知る「食」「モノ」「酒場」がある。八丁目にある金こん春ぱる通りには、文久三年から続く風呂屋「金春湯」が普通に営業している。銀座を他の繁華街と一線を画す街にしているのは、こういうところだ。所謂、老舗や有名店でなくても、昔からの流儀を変えることなく誠実な商いを続けてきた小さな店が、数こそ少なくなってしまったが、頑張っている。そんな店は時に客を選ぶが、客を育てもしてきた。銀座の水で洗われた客が成長して、今度は店を育てる。そういったことが銀座の歴史をつくってきた。裏通りや路地に根を張った小さな店が銀座を支えてきたのだと思う。
僕が銀座で買い物や食事をして楽しいのは、銀座の名店は、どこも大きくなっても創業者の顔が見える誇り高き個人商店であるからだ。一方で、銀座は進取の気性に富んだ街でもあり、伝統を墨守しているだけではない。たとえば六丁目にある「ドーバー ストリート マーケット」は、新しい店舗であり、極めてアバンギャルドなセンスが特徴であるが、銀座という街によく似合っている。店の空間デザインの問題だけでなく、ここの品揃えは、ルイ・ヴィトン、マルタン マルジェラ、セリーヌ、クロムハーツ等の有名ブランドであっても、ひと味違う。川久保 玲という人の顔がはっきりと見える、真のセレクトショップだと思う。
僕も銀座という街に育てられた。この街から、真のアバンギャルドなものしかクラシックにはならないし、クラシックを知らない人には、アバンギャルドなものはつくれないということを学んだような気がする。
63歳になった今も、もっとも居心地がよく、刺激的な街だ。
秋の夕暮れ時、四丁目にある「教文館」で本を買って、「松屋銀座」の裏にある「はち巻岡田」で、早めの夕食にしよう。ここは吉田健一や山口 瞳など、多くの粋人たちに愛された小さな小料理屋だ。うちは三代の付き合いになる。僕の祖父は泥酔して、この店の初代の肩に担がれて家に帰ったことがあるそうだ。調理場に立つ三代目の主人が、近頃先代に似てきたなぁ…と思いながら、菊正宗をぬる燗でやる。今宵の肴は、旬の秋刀魚の塩焼きとしめ鯖を茗荷で和えたもの。それに揚げ出し豆腐だ。酒は二合ほどで切り上げる。長居はしない。海苔茶漬けを食って店を後にする。二軒目は、「ドーバー ストリート マーケット」の七階にある「コマツバー」にしよう。ラフロイグのソーダー割を飲みながら、先ほど買ったばかりの本を読むことにする。「はち巻岡田」のような店と、「ドーバー ストリート マーケット」がなんの違和感もなく共存できるのが、銀座という街の懐の深さだ。
少し感傷的な言い方になるが、僕にとって銀座は、失われた良き時代の面影を宿しながら、決して進化することを止めない、そんな街だ。(文・河毛俊作)
銀座一丁目
表通りにはダレスバッグで名を馳せる老舗「銀座タニザワ」(明治7年創業)、裏通りには、職人気質の高い次世代のオーナーの専門店が点在する。個性を求めるメンズプレシャス世代の洒落者を中心に人気が集まるエリア。
メイド・イン・ジャパンの技術が結集宮内庁御用達の銀製品
創業135年、銀製品の名店として銀座で知られた「宮本商行」。宮内庁御用達のカトラリーであり、迎賓館の晩餐会でも同社の銀製品が使われてきた歴史がある。その技術の高さ、工芸力の素晴しさは創業(明治13年)から19年目(明治32年)に、皇室・宮内庁から用命を受けたことでも証明された。そもそも銀座という地名は江戸時代、家康が駿府の銀貨鋳造所を現在の銀座二丁目あたりに移転したことからはじまる。銀製品を扱う店が銀座に立地しているということは、歴史的に見ても正統なことなのである。こうした銀との深い繫がりは、同社が使用する925/1000以上という銀の純度へのこだわりにも表れている。最良の素材を使って、名工と呼ばれる熟練の職人が難易度の高い製造法を駆使してつくり上げる「宮本商行」の製品は、デザインも緻密で繊細。歴史ある銀座を代表する名店として、一度訪れてみることをおすすめしたい。
(文・モノマガジン編集ディレクター/土居輝彦)
宮本商行の銀のカトラリー
名品DATA:カトラリーには、主にスターリングシルバー(銀の含有率92.5%)を採用。口に触れたときのやわらかな当たりのよさは、格別。写真のグレープフルーツ用やアイスクリーム用等、専門的な商品が豊富に展開されているのも同社ならでは! 日本人の小ぶりな口の大きさに合うサイズ感を計算する等、随所に細やかな配慮が満載。
圧倒的なオーラに包まれたレザー名品
エッジすれすれを走る精緻なステッチ、一定のリズムを刻むやわらかなシルエットに息を吞むレースアップシューズ。縫い合わせたのち、ひたすら磨き上げてひとしく黒光りしたコバが耐久性と突出した美を保証するブリーフケース。「クレマチス銀座」の看板を掲げる靴職人・高野圭太郎氏、そして「オルタス」の鞄職人・小松直幸氏―まだ若手ながら、彼らの作品は群雄割拠のオーダーの世界にあって一歩も引けをとらない。
目の肥えた男と対峙すべく、銀座という地にこだわってともにオーダー専門店「クレマチス銀座」をオープンしたのは’08年のこと。その4年後には手狭になったスペースの問題を解消すべく、小松氏が同じ銀座の一丁目で「オルタス」を始動させた。
幼なじみのふたりはそれぞれ靴職人の関 信義氏、鞄職人の藤井幸弘氏に師事した。最高峰といわれる職人のもとでたっぷり鍛えられ、そうして正確無比な仕事こそ職人の本懐であるという不変の美学をわがものとした。ひところの素朴さをよしとする風潮は、ほんもののプロの世界には当てはまらないのだ。
今では老舗がひしめく銀座の番付け上位にそろって名を連ねている。
(文・エディター/竹川 圭)
クレマチスのオーダーシューズとオルタスのオーダーバッグ
名品DATA(靴):クレマチス社の最高級ライン、十分ぶ仕立ての『RED LINE』の一足は、なんとリザードに研磨(部分的に)を施し、スエード風に加工。キメの細かいリザード特有の風合いを残しつつ、濃淡が美しいアンティーク調の仕上りに。コバの緻密なステッチからも、美意識の高さと丁寧さが伝わる。オーダーから10~12か月で完成(要予約)。
名品DATA(鞄):アフリカ産のエレファントレザー(ワシントン条約の規制にかからない種類)を採用したブリーフケースは、胴体にハギのない一枚革使い。革の質感を生かしたふっくらした仕上がりも特徴的。金具は、オリジナル型のスターリングシルバーを採用(別料金で真鍮にも変更可)。すべて受注生産となるため、現在はオーダーから18か月前後で完成予定。ほかにもボックスカーフやブライドルレザー等、革見本から好みの革を選択可能(要予約)。
銀座二丁目
江戸時代に銀貨鋳造所が存在していた、かつての銀座の中心地。その証として銀座通りには、「銀座発祥の地」碑が建つ。江戸時代から続く呉服店「越後屋」(宝暦5年創業)をはじめとする老舗が、二丁目近辺に集まっているのも納得。
文房具の可能性を広げる老舗の挑戦から目が離せない
明治37年創業の「伊東屋」はこの初夏、2年4か月をかけて大リニューアルを完成させた。驚くべきは製品のアイテム数を従来の半分に減らして、コンセプチュアルな店舗として生まれ変わったこと。アナログからデジタルの時代になり、文房具の多くがモバイル化された現代において、そのワンフロアを紙の専門店「竹尾見本帖」にしたり、デスクというキーワードでクリエイティブな文房具のセレクトをしたりといった斬新な提案が目立つ。モノだけを選ぶ場所ではなく、さまざまな体験を通して空間とモノと体験を提供していこうという試みだ。とはいえ自分専用のノートを製作できたり、店内に設置されたポストに買ったばかりのはがきで投函できるといった、「伊東屋」ならではの文房具愛も忘れられていない。これからの文房具店のあり方を大胆に提案した店内だが、そこに身を置くと、やはりここは銀座の「伊東屋」。優雅な時と空間を愉しむ“銀座の時間”は、昔と変わらず流れている。
(文・土居輝彦)
銀座・伊東屋のステーショナリー
名品DATA:創業時に展開していたオリジナルブランドを復刻したROMEOは、ビジネスマンのために企画されたアイテムが大充実。写真手前のボールペンは、握りやすさと筆記時の滑らかさ、そして天冠に施した時計の竜頭調のデザインが自慢の逸品。7階にある老舗2社による紙の専門店「竹尾見本帖 at Itoya」は、客が紙を選ぶ際のアイディアが満載である。
ジャパニーズダンディの粋なお洒落を支える専門店
豊富な品ぞろえ、丁寧な接客、的確な専門知識……。紳士が通う専門店にはいくつかの要件があるだろうが、いちばん重要なのは店のアドレスではないだろうか。欧米の名店のように、いつ訪ねても、同じ場所に、同じ品ぞろえで店を構える。これが重要なのだ。
神田に創業した「銀座トラヤ帽子店」が、銀座に進出したのは1930年。’60年に現在の二丁目に移転、以来変わらぬたたずまいで、銀座通りに看板をあげる。今や銀座の紳士帽専門店はここしかない。
創業当時から輸入品を扱ってきたが、ボルサリーノなどの正統派から、スモーキングキャップなど、趣味性の高い帽子までそろうのも専門店ならでは。サイズも豊富で、フィッティングの技は、まるでビスポークテーラーのようだ。燕尾服等に合わせるトップハットまで常備している。「本物、物語があるものだけを追求する。そしてほかにないものを置いてある。これが専門店」と語る店長の言葉に、紳士が頼るべき銀座の街の矜持が香る。
(文・フリー編集者/小暮昌弘)
銀座トラヤ帽子店のオリジナル帽子
名品DATA:左のフェルト・ハットは、ここでしか手に入らないボルサリーノとのダブルネーム。通常ツバ広なボルサリーノだが、ツバを狭めの5cmに別注し、日本人男性に合うバランスを計算。
銀座三丁目
銀座のなかでも長い歴史を持つ百貨店「松屋銀座」(大正14年開業)は、昔から文化発信の拠点であり、今なお中心的な存在。昭和の風情を残す洋食の老舗「煉瓦亭」(明治28年創業)等、男の胃袋を摑む新旧の訪問すべき飲食店が集中する。
国内外のグッドデザインを銀座から発信する草分け的存在
「松屋銀座」の7階にあるデザインコレクションは、いつ訪れても新鮮な刺激と感動が味わえる場所だ。まだデザインショップやセレクトショップという言葉が浸透する以前の1955年にスタートし、デザイナーたちが認めるグッドデザインだけを展示し販売してきた。
現在売場のメインにあるのはアップルをはじめ、数々のプロダクトデザインに多大な影響を与えたドイツ人デザイナー、ディーター・ラムス氏のシェルフ。その機能的で理想的な棚には家電、時計、テーブルウエア、カトラリー、ハウスウエア、文房具など、だれもが知るロングセラーや画期的な新作アイテムが並ぶ。
深澤直人氏をはじめ26名のデザイナーがセレクトする家具や照明など約1000点が販売され、企画展示も随時開催される。賑やかな銀座にいながら、時間を忘れて一日過ごしたいミュージアムのようなスペースだ。
(文・フリーライター/小池高弘)
「松屋銀座」のデザインコレクション
名品DATA:リビングルームのような売り場をコンセプトとする「デザインコレクション」は、陰影を活かした間接照明が特徴的だ。照明デザインは面出薫氏、店舗内装は深澤直人氏、グラフィックデザインは佐藤卓氏が担当。当代一流のクリエイターが集結し、どこにもない特別な空間をつくり出している。
銀座四丁目
言わずと知れた銀座の中心地。四丁目の交差点は、「銀座三越」「和光」「三愛」、そしてリニューアルした「日産銀座ギャラリー」が四方を囲む、待ち合わせの定番。晴海通りを築地方面に歩けば、歌舞伎座が連日賑わいを見せる。
大人の街で、少年の日の憧れをわがものにするという贅沢
銀座の宝飾・時計店の老舗として知られる「天賞堂」のもうひとつの顔。それは鉄道模型である。戦後間もない1949年、先代の社長が占領下の日本に駐留する米国軍人を主な顧客として、趣味と実益をかねたハンドメイドの鉄道模型を製作したことから始まり、現在も数多くの鉄道模型を企画、製造販売している。
当初は米国の機関車や貨車がラインナップの中心だったが、現在では日本の鉄道に主軸を移している。国内外の愛好家から「天賞堂」の鉄道模型が一目置かれる理由は、細部への妥協のないつくり込みの姿勢だ。戦前から鉄道模型の世界で名を馳せるドイツのメルクリン製品と比較して、「天賞堂」にはおよそ2〜3倍の部品が使用されているという。
徹底して細部を詰めていくという美意識は日本製品の誇るべき特長であり、「天賞堂」の製品は眺めていて飽きることがない。それだけでなく実際に軌道を組めば走行させることもできる。いつの時代でも鉄道模型は大人の趣味の王道だ。
(文・ライター/ガンダーラ井上)
天賞堂の鉄道模型
名品DATA:同社の鉄道模型のなかでも特に羨望を集めるのが、熟練の職人の手作業によって本物のディテールが忠実に再現された、真鍮製(写真)。国鉄最大級の旅客蒸気機関車(写真中)は、本格的なサウンドが楽しめるカンタム・システムを搭載。右は、かつて皇室関係者のお召列車牽引に使用された直流電気機関車。
粋に楽しみたい! 日本の技術が結集した一着
僕は服のアドバイスをするとき、「男は休日でも仕立てのよいジャケットを軸にスタイルを考えるべき」と言っている。その理由は、体型に関係なく、男をよりよく見せる間違いのない服だから。直線的な肩のラインや立体感のある構築的な胸は男性的な印象を醸す。一方で綺麗なロールのラペルは小顔効果をもたらし、高めから入った自然なウエストシェイプは腰の位置を高く脚を長く見せてくれる。つまり補整効果が高くて洒脱。信頼できる服だからである。
ここに「和光」が展開する結城紬でつくられたジャケットがある。ネップが入った温かみのある風合いの素材は、細やかな色の濃淡と仕立てのよさにより、洗練と知性と趣味のよさを印象付ける。過剰なことはせず、生地のたたずまいが最高のデザインとなっている。銀座の和服文化の目線で仕立てられた逸品は、着こなしによってモダンにもクラシックにもとさまざまな表情を見せるだろう。目の肥えた客の好みを知り尽くした老舗「和光」ならではの、物欲を刺激する粋な服である。
(文・ファッションディレクター/森岡 弘)
和光の結城紬のジャケット
名品DATA:結城紬の反物の織り機の幅は約38cm。それに対して、服地にするために開発された織り機の幅は80㎝と2倍以上。さらに着物一反に対して、このジャケット一着には3倍ものシルク糸が使用されている。それを考えると、驚きのコストパフォーマンスである。そでを通せば、今季主流の英国調の構築的なシルエットが完成。濃淡豊かな色調と軽やかなツイード風の表情も楽しめる。素材、仕立て、すべてメイド・イン・ジャパンの技術が結集した絶品。
銀座五丁目
国内随一の画廊数を誇る銀座において、国内最古の洋画廊「日動画廊」をはじめとするギャラリーの多くは、五〜八丁目に集中。銀座の一等地にある「鳩居堂」(寛文3年創業)は、手書き文化を大切にする紳士御用達店のひとつだ。
銀座育ちのデザイナーが贈る気高きハウススタイル
コートやスーツなど、およそ人がそでを通す服には、直線が存在しないといわれる。人体は、3次元の複雑な曲線で成り立っているからだ。しかし、タキザワ シゲルの服から伝わってくるのは、ピシッとした鋭角的なイメージ。研ぎ澄まされた高い完成度の服からは緊張感が漂う。
見た目の鋭さに反して、タキザワ シゲルの服は、立体的につくられていることが、心地のいい着用感からわかる。つくり手である滝沢滋氏の「礼節」や「気高さ」を重んじるこだわりが、服からにじみ出てくるフォルムの緊張感と同時に、着心地のよさも計算したうえで、実現されているのだ。
代々、銀座の地にゆかりがあり、この地に育ち、そして自身の店を構え早11年が過ぎた。最先端と伝統が入り混じる銀座に集う、本物の服好きを驚かせるスタイルと技が、タキザワ シゲルの服には、しっかりと根付いているのである。
(文・本誌エグゼクティブファッションエディター/矢部克已)
タキザワ シゲルの完璧なるテーラード
名品DATA:右のディナージャケットは、同柄のジレも用意。黒のタキシードパンツと相性抜群。
銀座六丁目
オーナーの個性が光る舶来品エリア。「サンモトヤマ」の茂登山会長が50余年前に目をつけた、銀座通りと平行に走る六丁目の並木通りとみゆき通りが交差する一角は、ヨーロッパのブティック街を彷彿させる高貴な雰囲気が香る場所。
目利きオーナーが発信する本物に触れられる空間
「サンモトヤマ」が、銀座六丁目の並木通り沿いに専門店をオープンしたのは1964年。「東京オリンピック」が開催された記念すべき年だ。現会長を務める茂登山長市郎氏は、世界中にあふれる美しいものを足で探し、見て、触って、グッチ、エルメス、ロエベをはじめとする海外ブランドと次々に代理店契約を結び、わが国に舶来品を紹介したパイオニアとして知られる。
「サンモトヤマ」で意外と知られていないのが、ファッション以外に展開される、アートやインテリア、骨董品等のお宝の数々。たとえば1890年代のイラン製のペルシャ絨毯(写真)は、世界中のコレクター垂涎の逸品である。王室に納品するため、各工房の職人たちが腕を競い合った時代のそれは、天然の染料ならではの奥深さと、今では到底再現できない手仕事の豊かさで、見る者を圧倒するオーラに包まれている。
これらの稀少な「名品」の数々を堪能できるのも、目の肥えた客の要望に応えられるバイイングセンスと、一点一点に秘められた文化を伝える、銀座の一流店の企業努力にほかならない。
(文・フリーエディター/中村 賜)
サンモトヤマのペルシャ絨毯
名品DATA:カーペットの産地として名高い、イラン南東部のラバー村で織られた逸品。ほかより素材や織り、デザインのオリジナリティが高く、特に花柄においてはペルシャ絨毯のなかでも圧倒的な華やかさを誇る。サイズはやや小さめの194×133cm。これは、当時の職人ひとりが一年かけて織れる限界のサイズといわれている。100年以上も前に織られた稀少な一枚は、タペストリーとして愛でるコレクターも多い。
銀座七丁目
銀座通りから裏道に一歩進むと、銀座一路地が多い神秘的な場所へと続く。夕方ともなると、着飾った和服姿のホステスを見かけることも…。GINZA SIXの隣に位置する現存する最古のビアホール「ビヤホールライオン銀座七丁目店」(昭和9年完成)は、今も紳士のオアシス。
クラシック音楽をBGM に優雅なる時間に酔いしれたい
1965年当時、学生だった私は親友と、お金もないのによく銀座に足を向けた。画材店「月光荘」のクロッキーブックを買いがてら、「日動画廊」や民芸の「たくみ」等を巡っては、最後に「ウエスト」に立ち寄るのが定番だった。店内にはベートーベンの巨大な胸像、林武画伯の絵、店員の白と黒の制服、そして静かな店内に流れるクラシック音楽が限りなく清楚で、気品漂う空間はまるで別世界。想い起こせば「ウエスト」は、私が一流を気どった最初の扉だったのかもしれない。コーヒー1杯で何時間も粘り、店に通う粋なお客をつぶさに観察したりもした。フェデリコ・フェリーニの『8 1/2』を観た帰りに立ち寄ったときは、映画の中の名曲『セビリアの理髪師』が流れていて、亡き親友とワンシーンを真似し合ったことも。ここは私にとって、さまざまな想い出が詰まった、特別な場所である。
(文・ファッションディレクター/赤峰幸生)
「銀座ウエスト」で喫茶
名品DATA:外堀通りに面した本店は、入り口に設置された洋菓子の売店が目印。多くの顧客が楽しみにしている喫茶スペースの各机に置かれた小冊子『風の詩』は、一般公募で募集される800字内の作文で、1週間ごとに内容が替わる。募集要項には「お茶を飲みながら素直に共感が得られる様な生活の詩をお願いします」とのメッセージが…。
銀座八丁目
新橋と隣り合わせる飲食街で、黒塗りのハイヤーが並木通りを中心に集まる男の銀座を象徴するエリア。約1km続く銀座通りの終着地には、百貨店の前身「博品館」(明治32年創業)と、天ぷら専門店「天國」(明治18年創業)がある。
銀座でしか手に入らない! 東京発のおもたせの定番
初めて口にしたときの驚きをはっきりと覚えている。上白糖ベースの飴でコーティングされたツヤのある黄金色。揚げ菓子特有の油っぽさは微塵もなく、口の中でサクッと折れる。特別な味付けは一切ないのに、味に奥行きのある上品なかりんとうだ。
高級クラブが立ち並ぶ銀座八丁目。細い路地にひっそりとたたずむのが、かりんとう専門店「たちばな」だ。この店の潔さは『ころ』と『さえだ』の2種類しかないところ。丸みがあり太めの『ころ』は、中が少し空洞になっているため生地の食感と風味が存分に楽しめる。一方小ぶりで細みの『さえだ』は、芯までしみこんだ蜜の味を心ゆくまで堪能できる。ふたつのかりんとうは異なる味わいだが、同じ味で仕上げているそうだ。
店は2組でいっぱいの間口ながら、客足は絶えることがない。デパートには出店せず、ネット販売もしない。店に足を運んだ人だけが買うことができる。明治42年から変わらないその心意気は、歴史ある銀座の風格を見事に体現している。
(文・小池高弘)
たちばなのかりんとう
名品DATA:『ころ』『さえだ』共に袋入りは各¥900(たちばな)。丸缶の小サイズ(写真)には『さえだ』のみが入って¥1,400(たちばな)。2種の食べ比べができる贈答向けの丸缶中サイズ¥6,200もおすすめ。ほかに角缶バージョンも用意。
※価格はすべて税抜です。※価格は2015年秋号掲載時の情報です。
- TEXT :
- MEN'S Precious編集部
- BY :
- MEN'S Precious2015年秋号 銀座名品より
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- クレジット :
- 撮影/戸田嘉昭・小池紀行(パイルドライバー/静物)、篠原宏明(取材) スタイリスト/石川英治(tablerockstudio) イラスト/斉藤木綿子 構成/兼信実加子