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白金台の「場所」は?「最寄り駅」と「地図」

白金台の「場所」

白金台は、港区の南西に位置。白金台は東京湾に向かってせり出す急な斜面地で、昔は皇族たちが集まり住んでいた地域でした。白金台は、白金台駅を中心に、白金台1丁目から5丁目で構成。西部では「上大崎」に、東部では「高輪」に隣接しています。北部には「白金」があります。

かつて女性誌でこの地域に住む主婦たちが「シロガネーゼ」と取り上げられてブームにもなった人気の高級住宅街です。

白金台の「最寄り駅」

白金台駅を出るとすぐに、複合施設「ゆかしの社」があります。郷土歴史館、がん在宅緩和ケア支援センター、子育てひろばなどが集まっています。
白金台駅を出るとすぐに、複合施設「ゆかしの社」があります。郷土歴史館、がん在宅緩和ケア支援センター、子育てひろばなどが集まっています。

白金台エリアの最寄り駅は、東京メトロ南北線・都営地下鉄三田線の「白金台」駅と、都営地下鉄浅草線の「高輪台」駅です。

白金台の「地図」

白金台の「歴史」

白金台の「由来」

白金台周辺には広い邸宅が多い。服部時計店(現セイコーHD)の創業者服部金太郎氏の邸宅だった場所もこの近くだ。
白金台周辺には広い邸宅が多い。服部時計店(現セイコーHD)の創業者服部金太郎氏の邸宅だった場所もこの近くにあります。

白金台の呼び方は、白金の高台地域にあるという地名が由来になっています。現在の目黒通り沿いに町屋が形成され、明治初期には寺地や高松「松平家」下屋敷跡などが合併されて白金台は拡張しました。「白金」という名前は、応永年間にこの地を開いた柳下上総介氏が、大量の銀を所有していたことから銀長者=白金長者と呼ばれ「白金」が地名になったとされています。正式にはしろかねと読み方が濁りません。『小田原衆所領役帳』では  『白銀』と記されていましたが、読みは「しろかね」だったと言われています。

白金台の3つの「魅力」

■1:交通の便が良い

白金台駅の写真。白金台駅周辺には、東京都庭園美術館や松岡美術館、畠山記念館など複数の美術館があり、散歩も楽しい場所です。
白金台駅の写真。白金台駅周辺には、東京都庭園美術館や松岡美術館、畠山記念館など複数の美術館があり、散歩も楽しい場所。

「白金台」駅を通る東京メトロ南北線は、六本木や溜池山王などへスムーズな移動が可能です。また、都営三田線は新橋や日比谷などにもアクセスできます。東京メトロ南北線・都営地下鉄三田線の通る「白金高輪」駅やJR山手線などの通る目黒駅にも歩いて行くことができます。とても交通の便が良いエリアです。

白金台5丁目のバス停からは、広尾、千駄ヶ谷、品川、麻布十番、新橋、日比谷、東京行きなど多方向へのバスが出ています。

■2:緑が多い

自然の摂理に任せた状態を維持している国立科学博物館附属自然教育園では、屋敷の庭として人為的位に植えられた松や杉の木が消えて、落葉樹林へ、そして、常緑樹林へと変わってきているのだそう。子ども自然教室や日曜観察会などの活動も開催されています。
自然の摂理に任せた状態を維持している国立科学博物館附属自然教育園では、屋敷の庭として人為的に植えられた松や杉の木が消えて、落葉樹林へ、そして常緑樹林へと変わってきているそう。子ども自然教室や日曜観察会などの活動も開催されています。

白金台駅を中心に、東京都庭園美術館、自然教育園など緑豊かな施設が多いのが特徴です。もっとも有名な3つをご紹介していきましょう。

■国立科学博物館附属自然教育園

寛文4年(1664年)、ここは徳川光圀の兄にあたる高松藩主松平讃岐守頼重の下屋敷でした。園内にある「物語の松」や樹齢約300年とも言われる「おろちの松」などの老木が庭園のあった下屋敷の面影を残しています。明治時代には火薬庫となり、海軍省や陸軍省の管轄となりました。 昭和24年(1949年)に文部省の所管となり、「天然記念物及び史跡」に指定され国立自然教育園として広く一般に公開されました。

教育園には、約8000本もの樹木が生い茂る森があり、その中には池や沼、小川もあります。そして、多くの動植物が生息しています。人の手をほとんど入れずに自然の摂理と推移に任せた状態を維持するという方針のもと、管理運営が行われています。

■東京都庭園美術館

もともとは朝香宮家の邸宅でした。関東大震災で建物が壊れた朝香宮家は、邸宅をここ白金台に移します。大正11年(1922年)からパリに留学していた朝香宮鳩彦王本人はパリで開催された「アール・デコ博覧会」に出向いたことがきっかけとなり、帰国後に白金台にアール・デコ様式の邸宅を建てました。現在は、この建築を活用し「東京都庭園美術館」となっています。国の重要文化財です。

■八芳園

イベント開催や結婚式場で人気の八芳園。池や築山を中心に回遊できる回遊式庭園が有名です。
イベント開催や結婚式場で人気の八芳園。池や築山を中心に回遊できる回遊式庭園が有名です。

結婚式場としても人気の八芳園は、江戸時代初期にご意見番と呼ばれた大久保彦左衛門の屋敷があった場所にあります。明治時代には、実業家渋沢喜作(渋沢栄一の従兄弟)の邸宅として建て替えられました。そして、大正4年(1915年)に日立製作所の創始者である久原房之助がこの場所を購入。現在の八芳園の建築は、久原房之助時代に整備されたものです。庭園の秋の紅葉、春の桜はとてもきれいです。

■3:商店街に活気がある

プラチナ通りは、白金6丁目交差点から白金台交差点までの区間を指している。
プラチナ通りは、白金6丁目交差点から白金台交差点までの区間を指しています。

美しい銀杏並木沿いにレストランやブティックなどが立ち並ぶプラチナ通り( 外苑西通り)は、もともとは戸建てが立ち並ぶ住宅街でした。昭和39年(1964年)に東京オリンピックが開催されることが決まると、外苑西通りが整備され、現在のようなおしゃれな通りになったのだとか。白金の商店街というと「プラチナ通り」のようなおしゃれなイメージを持つかもしれませんが、下町風情のある商店街も多いのが特徴です。白金台に生活する人たちに人気なのは「白金商店街」です。

100以上の歴史あのある白金商店街には、パン屋や八百屋、魚屋など、地元密着型のお店がそろう
100以上の歴史あのある白金商店街には、パン屋や八百屋、魚屋など、地元密着型のお店がそろう

■4:アカデミックな建造物が多い

白金台には歴史のあるアカデミックな建物が多くあります。こちらも3つ紹介します。

港区立郷土歴史館
港区立郷土歴史館には港区に関する歴史資料がそろっています。

■港区立郷土歴史館

港区の自然や歴史を学べる資料館で、常設展や図書室の他、カフェなどが併設されています。建物は昭和13(1938年)年に東京大学建築学科教授の内田祥三により設計され、建設されました。以前は、日本の公衆衛生の向上を目的とした研究機関「旧公衆衛生院」でした。建物はゴシック調の外観で「内田ゴシック」と呼ばれています。そして、隣に建つ東京大学医科学研究所と対になっています。

■東京大学医科学研究所

設計を担当したのは港区郷土歴史館と同じ内田祥三。東京大学医科学研究所は、明治25年(1892年)に北里柴三郎博士により、伝染病研究所(伝研)として設立されました。その後、伝染病研究の重要性が薄れ、先端医療へと切り替わり、昭和42年(1967年)に医科学研究所に改組されました。

■明治学院大学

明治学院
左側手前に見える建物が明治23年(1890年)に神学部校舎兼図書館として建設された明治学院記念館です。

明治学院大学はヘボン式ローマ字で知られるヘボンを創設者とする大学です。明治学院第1期生には、作家の島崎藤村がいたことでも知られています。キリスト教系の大学で、洋風建築をたくさん残しています。

江戸時代から続く歴史のある建物が多く、そして緑の多い白金台は落ち着いた雰囲気のある街です。プラチナ通りのようにおしゃれな雰囲気もある一方で、白金商店会のような下町風情もあって暮らしやすい街。ぜひ、1度足を運んでみてはいかがでしょうか。

参考:港区ホームページ
   港区郷土歴史館
   国立科学博物館付属自然教育園
   東京都庭園美術館
   東京大学医科学研究所
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PHOTO :
AC
WRITING :
柳堀栄子