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市谷砂土原町の場所は?「最寄り駅」と「地図」

市ヶ谷駅の写真
旧江戸城の外堀が現存しているのが市ケ谷駅周辺です。この地域の外堀は、1636(寛永13)年の江戸城外堀普請により築かれたもの。江戸城は将軍の居城としてだけでなく、政治の中心として機能していました。写真の左側が新宿区です。

市谷砂土原町は、東京都新宿区にある町名です。場所は、市ケ谷駅前の外堀を挟んで新宿区と千代田区にちょうど別れる境界あたりで、1丁目から3丁目まであります。市谷砂土原町の読み方は、『いちがやさどはらちょう』です。とても長い町名ですね。ちょっと足を延ばせ徒歩10分くらいで神楽坂にも行ける便利な場所にあります。神楽坂までの路地裏を歩きながら、隠れ家的なカフェやレストランなどをチェックしてみるのも楽しいかもしれません。

市谷砂土原町の「最寄り駅」

市谷砂土原町から下っていくと外堀通りに出ます。通り沿いには木々が植えられていて広々としています。右手に市ヶ谷駅があります。
市谷砂土原町は高台にあります。そこから通りを下っていくと外堀通りに出ます。その奥には江戸城外堀跡の水堀が残されています。春には桜を、秋には紅葉を堪能できる自然豊かな場所です。

この住宅地は市ケ谷駅から徒歩で5分程度。オフィス街が近いにもかかわらず、高台にあることも理由となって、とても閑静です。ちなみに、市ケ谷駅は、JR中央・総武線のほかにも東京メトロ南北線や有楽町線が利用できます。また、東京メトロ東西線の通る飯田橋駅や、都営大江戸線の牛込神楽坂駅なども利用できます。

市谷砂土原町の「場所」

市谷砂土原町の「歴史」と「由来」

市谷砂土原町の「歴史」

外堀通りから市谷砂土原町に入ってすぐ浄瑠璃坂はあります。江戸時代、この辺りは武家地でした。坂を登ると、閑静な住宅街がひろがります。
外堀通りから市谷砂土原町エリアに入ってすぐのところに浄瑠璃坂があります。江戸時代、この辺りは武家地でした。坂を上がると、閑静な住宅街が広がります。

江戸城外堀の先にある市谷エリアには、坂がたくさんあります。ここ、市谷砂土原町も坂が多い町です。なかでも「浄瑠璃坂」が有名で、その名の由来はその昔この坂であやつり浄瑠璃の芝居が行われたとか、かつて近くにあった光円寺の薬師如来が東方浄瑠璃世界の主であるため、など諸説あります。浄瑠璃坂は、1672(寛文12)年に宇都宮藩家老の奥平内蔵允が、同じ家老の奥平隼人と刀傷沙汰を起こして死亡したことを恨みに思った息子、奥平源八が隼人を仇討ちにした坂として知られています。この話は、歌舞伎『浄瑠璃坂幼敵討』 や講談でも大好評となり今でも人気が。

市谷砂土原町の「由来」

江戸時代には徳川家の参謀、本多佐渡守正信の別邸があったので、俗には「佐渡原」と呼ばれていました。その後、外堀端を埋め立てて田町の市街地を造成した際に、本多邸跡の土砂を使ったことにあやかって、土(土砂)取場と言われ、「佐渡原」とも同音の砂土原町と名前がつけられたといわれています。

市谷砂土原町の「魅力」

■1:歴史がある市谷エリアにある

江戸幕府の地誌編纂事業によって編纂された江戸に関する官選地「御府内備考」の払方町の項には、「里俗鰻坂と唱候、坂道入曲り登り云々…」と記されているそう。周辺には高級マンションが立ち並ぶ。
江戸幕府の地誌編纂事業によって編纂された江戸に関する官選地「御府内備考」の払方町の項には、「里俗鰻坂と唱候、坂道入曲り登り云々…」と記されているそう。現在でも曲がりくねった坂です。周辺には高級マンションが立ち並んでいます。

上で紹介した浄瑠璃坂のほかにも、坂がたくさんありますが、この辺りの坂はユニークな名前のものが多いのが特徴。江戸時代から受け継がれている坂名です。歴史をつないできたエリアだけあって、歩いているだけで歴史を感じることができます。ふたつの坂を紹介します。

◆鰻坂:坂が曲がりくねる様子を鰻(うなぎ)に例えたもの。

◆歌坂:坂付近の地形が海鳥の善知鳥のくちばしに似ているため、「うとう」が「うた」に転じたとか、酒井雅楽頭の屋敷脇にこの坂があったからともいわれています。

お隣の若宮町には、「最高裁判所長官公邸」があります。
お隣の若宮町には、「旧馬場家牛込邸」があります。国の重要文化財に指定されています。

市谷砂土原町のお隣の若宮町には「 旧馬場家牛込邸 」があります。 旧馬場家牛込邸は、富山で海運業を営んだ馬場家の東京における拠点として、1928(昭和3)年に牛込台地の高台に建てられました。 1947年(昭和22)年からは「 最高裁判所長官公邸 」として使用されてきました。歴代の最高裁長官の住居であり、戦後ここでさまざまな決断がされてきました。現在は工事中ですが、東京に残された希少な大規模和風建築です。

■2:高い建物がない

市谷土砂原町の街並み
市谷土砂原町には高級マンションが立ち並びますがどれも低層。高台にあるので日当たりも良好です。

この辺りは、第二種中高層住宅専用地域。中高層住宅のための地域です。都市計画法で「主として中高層住宅に係る良好な住居環境を保護するため定める地域とする」とあります。市谷砂土原町には、とりわけ高い建物がなく、マンションも低層です。江戸時代にあった武家屋敷の敷地が基盤となっているので、混み合った印象がありません。

■3:文教施設やオフィスが集まる

市谷砂土原町の逢坂沿いにある東京理科大
市谷砂土原町の逢坂(おうさか)沿いには、東京理科大学があります。この坂には、「その昔小野美佐吾という人が武蔵守になりこの地に来たときに、美しい娘と恋仲になり、後に都に帰って没したが、娘の夢によりこの坂で再び逢った」という伝説が。

東京理科大学神楽坂キャンパス、法政大学市ケ谷キャンパス、中央大学市谷田町キャンパスなど、大学がたくさん集まるエリアです。市谷砂土原町徒歩圏内には、フランス政府の公式機関のアンスティチュ・フランセ東京もあります。フランス文化やフランス語を学ぶことができる語学学校で、中を散策することができます。年間を通して多彩なイベントが開催されています。

新宿区市谷砂土原町は、お隣にある神楽坂と同様に江戸時代から名前が残っている坂道や史跡などもあり、情緒豊かな散策が楽しめます。便利な市ケ谷駅も徒歩圏。筆者も格調高いこのエリアで暮らしてみたくなりました。

参考:新宿文化絵図 新宿まち歩きガイド(新宿区)
   アンスティチュ・フランセ東京
   千代田区観光協会
   文化庁ホームページ
この記事の執筆者
Precious.jp編集部は、使える実用的なラグジュアリー情報をお届けするデジタル&エディトリアル集団です。ファッション、美容、お出かけ、ライフスタイル、カルチャー、ブランドなどの厳選された情報を、ていねいな解説と上質で美しいビジュアルでお伝えします。
PHOTO :
AC,EIKO YANAGIBORI
WRITING :
柳堀栄子