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二番町の場所は?「最寄り駅」と「地図」
千代田区番町はとても広大で一番町から六番町までありますが、今回ご紹介するのは、JR四ツ谷駅寄りにある二番町。北部は四番町や六番町に、東部は一番町に、そして南部から西部は麹町に接しています。順番に並んでいるわけではないんですね。現在の二番町にはオフィスビルと高級マンションが混じり合って並んでいますが、とても落ち着いた雰囲気があります。
二番町の「最寄り駅」
最寄駅の「四ツ谷駅」には、JR中央・総武線、東京メトロ丸ノ内線・南北線の3つが通っています。都内のどこに行くにもアクセスが良好。東京駅までは電車で10分程度です。地域内には、東京メトロ有楽町線の麹町駅があります。この路線を使うと、有楽町へは7分程度、池袋へは14分程度で到着できます。
二番町の「地図」
二番町の「歴史」と「由来」
二番町の「歴史」
二番町の街並みは、道幅こそ広くなったものの通りの位置は江戸時代から大きく変わっていません。江戸城に近く、当時は富士山が望める場所だったそう。
番町には多くの武家屋敷が建ち並んでいましたが、明治になると、武家屋敷の跡地は華族や官僚などの屋敷に替わっていきます。二番町には、明治・大正期の外交官で、のちに首相となった加藤高明の邸宅がありました。現在のベルギー大使館あたりに昭和初期まであったのだとか。その前にはこの場所に教育者で女子英学塾(現在の津田塾大学)の創設者である津田梅子が住んでいたのだそう。そして、その近くにはホテルオークラなどを経営していた実業家・大倉喜七郎邸がありました。
明治時代には横浜にあったベルギー大使館ですが、1893年に霞が関の大久保利通邸に移転したのち、昭和3年(1928年)にこの地へ。現在の建物は2010年に建て替えられたものなのだとか。大使館の横に建てられている「二番町センタービル」の上層部には「二番町テラス」という高級賃貸マンションが入っています。建物の前にはベルギースクエアという石畳が美しい広場があり、ヨーロッパの街並みを感じさせます。この広場には、ベルギー産の天然石ブルーストーンを敷いているのだそうです。
二番町の「由来」
天正18(1590)年、江戸城に入った徳川家康は、城の西側に「大番組」と呼ばれる警備役の旗本達を住まわせ、城の守りを固めました。ここから、「番町」という地名が生まれました。現在の二番町周辺は、明治5(1872)年から昭和13(1938)年まで「下二番町」と呼ばれていたそう。
二番町の「魅力」
■1:東京の中心地でどこへ行くにもアクセス良好
二番町の南部には、新宿通りが通っています。そして、この新宿通りは皇居の周りを1周する内堀通りとぶつかります。東京のど真ん中にある内堀通りは、六本木通り、青山通りなど主要な放射道路の起点となっている道路。タクシーでのアクセスが抜群によいエリアです。
■2:癒しのスポット「番町の森」がある
二丁目内には、民放テレビ局第一号の日本テレビの社屋がありました。現在この場所は、有期限の広場「番町の森」となっています。広場内には芝生エリアや木製の遊具などが。植物もたくさん植えられています。オフィスビルが立ち並ぶ都心のど真ん中にある貴重な広場で、この地域の住民や働く人たちの憩いの場になっているのだそう。マルシェなどのイベントがたくさん開催されていて、地域と共生するサステナブルな広場として使われています。
■3:千代田区の手厚い子育て支援が受けられる
千代田区は子どもの医療費が23区共通の「15歳まで無償」に加えて、高校生相当の児童への医療費も助成されます。さらに、高校生相当までの児童のうち、国の制度の児童手当の支給対象となっていない児童を養育している家庭にも、独自に月額5,000円の手当を支給しています。例えば、所得上限額が超過して児童手当の支給対象外となる人には「次世代育成手当」が支給されます。また、千代田区の保育園の待機児童はゼロ、学童保育の待機児童もゼロを達成しました。そして、番町地区は千代田区のなかでも、学校の多いエリア。それだけに、子育て世代に人気が高くなっています。
商業ビルの多い二番町ですが、道路幅も広く開放感があり、子どもたちが元気に走り回れる広場もあり、一方で、とても落ち着いた雰囲気の場所です。どこに行くにもアクセス抜群なのも魅力的。それが子育て世帯から高齢者世帯まで、誰もが住み続けたくなる理由です。
- TEXT :
- Precious.jp編集部
- PHOTO :
- AC、柳堀栄子
- WRITING :
- 柳堀栄子