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成城の場所は?「最寄り駅」と「地図」

春になると住宅街にある美しい桜並木にうっとり。駅入口の交差点から北へ続く道や、細い路地にも桜の木があります。秋になると黄色に色づくイチョウ並木も有名。成城にある桜並木とイチョウ並木は、昭和初期に成城学園の学童も参加して植樹されたそう。
春になると道の両側に連立する桜が満開に。立ち止まり、うっとり眺める人もちらほら。駅入口の交差点から北へ続く道だけでなく、細い路地にも桜の木があります。桜並木だけでなく、成城は秋になると黄色に色づくイチョウ並木も有名。これらの木々は昭和初期に成城学園の子どもたちも参加して植樹されました。

東京都世田谷区にある成城は、1丁目から9丁目まであります。成城は、東側には一級河川の仙川が、西側には国分寺崖線を形成している野川が流れている台地にあり、地盤が硬いといわれるエリア。「国分寺崖線」とは、多摩川が10万年以上もの間、武蔵野台地を削って形成してきたもので、武蔵野の自然がたくさん残されている場所です。成城周辺には緑が多く、豊かな住環境が広がります。

また、ここ成城は、「ゴジラ」の壁画が出迎えてくれる東宝スタジオがあることでも有名。政治家や小説家、美術家、映画監督などのたくさんの著名人に愛された住宅地であるとともに、文化的な街といえ、東京屈指の高級住宅街のひとつとして全国的に知られています。

成城の「最寄り駅」

成城学園前駅交差点で、写真左手に見えるのが1983年にオープンしたというハーブショップ「カリス成城」。道路幅が広く、街路樹がたくさん植えられて緑の多い街並みも魅力的です。この通りをまっすぐいくと、紅葉が楽しめる成城みつ池緑地などにでます。
成城学園前駅交差点で、写真左手に見えるのが1983年にオープンしたというハーブショップ「カリス成城」。道路幅が広く、街路樹がたくさん植えられて緑の多い街並みも魅力的です。この通りをまっすぐ行くと、緑が豊かな成城みつ池緑地などに出ます。

成城は、小田急小田原線の成城学園前駅が街の中心にあり、それを囲うように広がっています。駅を挟んで南側にあるのは成城1丁目から3丁目。そして北側には4丁目から9丁目があります。 小田急線立体化事業に伴って地下化工事が行われ、踏切もなくなったため、南北への行き来もしやすくなりました。

成城の「地図」

成城の「歴史」と「由来」

成城の「歴史」

「成城学園前駅」は、ここに成城学園があるからつけられた名。このエリアが成城と呼ばれている理由にも、学校が関係しています。小田急線の開通とともに発展した街並みです。
「成城学園前駅」は、ここに成城学園があるから付けられた名。このエリアが成城と呼ばれている理由にも、学校が関係しています。そして、街並みは小田急線の開通とともに発展していきました。

大正14年(1925年)4月、成城がある「北多摩郡砧村喜多見」に牛込(現在の新宿区)にあった成城学校から分離した成城学園がつくられました。

成城学園の前身である成城小学校を創設したのは澤柳政太郎という人物。当時、澤柳は近代日本の教育学者であり、思想家として著名でした。澤柳校長の招きで、成城小学校の主事となり、1926年には7年制成城高等学校の校長となったのが小原國芳。小原は、学校経営と合わせて成城学園前駅周辺の宅地分譲を行いました。土地を売った資金を学校の建設費に充てます。碁盤の目のような道路、大きな区画の住宅街が形成され、高級住宅街といわれるような現在の成城の街並みが形成されていきます。これは、昭和2(1927)年に 新宿から小田原間を結ぶ小田原急行鉄道が全線開通される前のことです。

成城の「由来」

成城学園ができたために、この場所は「成城」という地名になったのだとか。雑木林だった砧村喜多見という場所を学園が購入したことが始まりです。小田急線が開通し、村名と学園名からこのエリアが「喜多見成城北」、「喜多見成城南」と呼ばれるように。 昭和11(1936)年に砧村と千歳村が東京市に併合された際、「世田谷区成城町」と地名が変更されました。「町」が消えて「成城」だけになったのは昭和37(1962)年のことです。

成城の「魅力」

■1: 森と水に恵まれた自然豊かな生活ができる

成城を歩くと、東西のイチョウ並木や南北の桜並木をはじめとして、各家々が緑を意識した家づくりをされていることに気づきます。また、卒業シーズンになるとよく歌われている森山直太朗さんの名曲「さくら」で歌われるシーンは、まさに彼の母校である成城学園高校の風景そのものといえます。そのほか、住民たちの憩いの場となっている自然をご紹介しましょう。

◆仙川の桜並木

仙川とは、小金井市から始まり、三鷹や調布を流れて世田谷に入り、そして野川に合流する川です。
仙川とは、東京都小金井市から始まり、三鷹市や調布区を流れて世田谷に入り、そして野川に合流する川です。

緑豊かな遊歩道として住民たちに愛されている場所。春になると桜がとてもきれいです。特に、成城1丁目の東宝スタジオ脇の遊歩道は、川に枝垂れるように咲いている桜が見事。夜になると東宝の方が照明機材を使って期間限定でライトアップをしてくれており、地元の人に愛される桜の名所になっています。

成城三丁目緑地

国分寺崖線に昔から群勢していた樹林を緑地として保全している場所です。地域風景資産となっていて、保全活動が行われています。

成城みつ池緑地

旧山田家住宅
旧山田家住宅からは、ホタルの自生地として知られている「みつ池」を眺めることができます。この辺りも、成城学園が開発、分譲しました。ちなみに、もともとは、アメリカで事業を成功させた実業家・楢崎定吉が住んでいました。

こちらも国分寺崖線上にある森で、クヌギやコナラなど多様な樹木や湧水地があります。世田谷区内でも豊かな自然環境が残された場所として、特別保護区に指定されています。ここには、旧山田家住宅があります。 旧山田家住宅は実業家の楢崎定吉という人物によって昭和12年ごろに建てられた洋風の寄棟(よせむね)造りで、約80年を経た現在でも建築当初の姿を留めています。 昭和36(1961)年に画家の 山田盛隆(雅号・耕雨)が購入し、住まいとしていました。

■2:「成城憲章」により街並みが守られています

成城にはかつて素敵な洋館が立ち並んでいたといいます。昭和2年に民俗学者の権威・柳田國男が成城に住み、民族学創出の拠点となりました。柳田國男が成城で住んでいた洋館は、現在は長野県飯田市に移設されています。
成城にはかつて素敵な洋館が立ち並んでいたといいます。昭和2(1927)年に民俗学者の権威・柳田國男が成城に住み、民族学創出の拠点となりました。柳田國男が成城で住んでいた洋館は、現在は長野県飯田市に移設されています。

成城の街並みを維持していくために平成14(2002)年に「成城憲章」が制定されました。法的な拘束力はありませんが、自然豊かな閑静な住宅街、洗練された学園の街のイメージを守るための紳士協定です。ここでは、建築物の高さを10メートルに制限すること、建築物は道路と敷地規模は250平方メートル以上の確保を目指すこと、隣地境界線からは1メートル以上離すこと、敷地面積の20%以上の緑を確保することなどが求められています。

■3: お買い物も便利

成城学園前駅の北側には成城商店街があります。スーパーマーケット「成城石井」が昭和2(1927)年に1号店を創業したのも成城です。成城には東宝の撮影所があり、日本を代表する映画監督や名俳優など映画関係者が多く住んでいました。撮影もよくこの街中で行われていたそう。成城石井の常連客には、海外渡航歴の多い人がたくさんいて、その人たちにより珍しい食品が持ち込まれ今のような形態ができたのだとか。また、成城の中心にある成城学園前駅には駅直結の4階建てショッピング施設「成城コルティ」があります。スーパーマーケットやパン屋さん、ワインショップ、書店、カフェ、ドラッグストア、インテリアショップ、保育園などなんでもそろっていてとっても便利。生活しやすい環境が整っています。

成城は高級住宅街としてとても人気。その理由は、住人たちやここに通う学生たち、ここで働く人たちががこの場所を愛し、守ってきたからこそなんですね。都心では珍しい自然豊かな住環境と買い物にも困らない立地が魅力。誰もが憧れる理由がここ成城には詰まっていました。

参考:世田谷区ホームページ
    世田谷の歴史と文化(世田谷区郷土資料館)
   成城石井
   成城学園
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PHOTO :
AC
WRITING :
柳堀栄子