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三番町の場所は?「最寄り駅」と「地図」
一番町から六番町まである番町エリアは、千代田区の皇居近くにあってとても広大です。今回ご紹介する三番町は皇居に近い位置にあります。主要道路や駅から少し離れている場所は静かな住環境が保たれていて、億ションが数多く建ち並んでいます。また大妻女子大学や⼆松学舎⼤学、東京家政学院大学千代田三番町キャンパスなどがあり、文教地区でもあります。
三番町の「最寄り駅」
三番町の最寄り駅は、市ケ谷駅や九段下駅、半蔵門駅などです。市ケ谷駅にはJR中央・総武線、東京メトロ南北線・有楽町線、都営地下鉄新宿線など多数の路線が通っています。また、九段下駅は、東京メトロ半蔵門線や東西線が通っていてこちらも便利です。半蔵門駅にも東京メトロ半蔵門線が通っています。東京の中央に位置している三番町はさまざまな路線が使えます。九段下駅や半蔵門駅から東京駅までは10~15分程度で到着できるので、東京駅近辺で働く人たちにとってはとてもアクセスの良い場所です。
三番町の「地図」
三番町の「歴史」と「由来」
三番町の「歴史」
江戸時代の町割りをずっと継承している番町。この辺りには、武家地と町人地が隣り合っていました。三番町の大妻女子大学前の交差点を南北に通る御厩谷坂(おんまやだにさか)の坂下辺りには、徳川将軍家の馬小屋(厩舎)があり、江戸城のお堀端近くの警備をしっかりと固めていました。上の古地図でも、赤い鳥居の下にある黄色い通りに「御厩谷」という文字を確認することができます。
明治時代になると、番町は高級官僚たちや文化人たちが暮らす邸宅街として発展していきました。三番町にあったのは、日露戦争で活躍した東郷平八郎の邸宅です。その跡地は現在「東郷元帥記念公園」として整備されていて歴史を感じることのできる場所です。園内には東郷邸にあったライオン像などが残されています。
三番町の「由来」
江戸城に入った徳川家康は、城の西側の守りを固めるために外堀の内側に位置している番町エリアに「大番組(おおばんぐみ)」と呼ばれる警備役の旗本を住まわせました。大番組は、一番から六番までありました。ここから、「番町(ばんちょう)」という地名が生まれたといいます。しかし、江戸時代の大番組の番号と、現在の番号は一致していません。江戸時代に三番町があったのは、現在の九段3丁目と九段4丁目周辺です。
三番町の「魅力」
■1:江戸時代から多くの学校があった文教地区です
寛政5(1793)年、 幕府から信頼を得ていた学者の塙保⼰⼀(はなわほきいち)が三番町に和学を学ぶ「和学講談所(わがくこうだんじょ)」を開きました。幕末には、兵学者の村田蔵六(のちの大村益次郎)が、蘭学が学べる 「鳩居堂」を開きます。明治になると、現在の三番町には⼆松学舎(現在は⼆松学舎⼤学)ができました。夏目漱石も学んだという大学です。ほかにも、裁縫や手芸が学べる「家塾」(現在の⼤妻⼥⼦⼤学)などができました。
番町内には東京の女子御三家といわれている私立女子中高一貫校の「雙葉中学校・高等学校」と「女子学院中学校・高等学校」があります。東京都内でも人気の高い学校が徒歩でも通える範囲にあり、子供の教育にはとても良い環境が整っていると評判も高いようです。
■2:自然豊かな場所です
千鳥ヶ淵の一帯は桜の名所です。麹町1丁目にある千鳥ヶ淵公園では、春は桜、夏は新緑、秋は紅葉と季節の散歩を楽しむことができます。また、近くには皇居に隣接している北の丸公園もあります。この公園は20万平方mある、とても広々とした公園です。
■3:安心して暮らせます
第49回千代田区民世論調査(令和5年)では、「自宅周辺の生活環境についてどう思うか」という質問で約70%の人が「安心・安全なまち」という認識をもっていることがわかりました。千代田区三番町に建ち並ぶ新築マンションは、セキュリティが万全です。近くには皇居や官庁街があり、番町内には学校や大使館も点在しています。防犯対策がしっかりされている建物などが周辺に数多くあるのも安心です。
三番町は高層ビル街ですが、街の歴史は古く風情のある街です。また、人気の学校もたくさんあるので、子供たちもたくさんいます。そして、東京の中心地にあってどこに行くにもアクセスが抜群にいい。とても住みやすい住環境が整っていると感じました。
- TEXT :
- Precious.jp編集部
- PHOTO :
- AC,柳堀栄子
- WRITING :
- 柳堀栄子