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近衛町の場所は?「最寄り駅」と「地図」

右手にある白くて立派な建物が下落合2丁目にある日立目白クラブです。落合崖線の上にあり、とても日当たりの良い場所です。
右手にある白くて立派な建物が下落合2丁目にある「日立目白クラブ」。この辺りに、近衛公爵家の大邸宅がありました。南に向かって落ち込む落合崖線という崖の上にあり、とても日当たりの良い場所です。

近衛町は地名にありません。目白駅を降りて西側にある新宿区下落合2丁目周辺地域に、とても閑静な住宅街があります。この辺りが近衛町と呼ばれているブランドエリアです。周辺の多くのマンションには「近衛」という文字が使われています。

近衛町の「最寄り駅」

山手線目白駅
JR山手線目白駅は高台にあります。そこから近衛町付近を通って急な傾斜地を下りていくと神田川に出ます。それを越えるとすぐに高田馬場駅に到着します。

近衛町のある新宿区下落合2丁目の最寄り駅は、JR山手線の目白駅です。目白駅はJR山手線の池袋駅と高田馬場駅に挟まれています。池袋駅や高田馬場駅はそのほかにも使える路線が多いので、それらに比べると目白駅はJR山手線しか利用できず不便に思われるかもしれません。ですが、池袋までも徒歩で12分程度、高田馬場駅までも徒歩で15分程度とどちらにも近くアクセスが抜群に良いのが魅力です。

近衛町の「地図」

近衛町の「歴史」と「由来」

近衛町の「歴史」

おとめ山公園
「おとめ山公園」は、落合崖線上にあって起伏に富んだとても大きな公園です。森のような公園で、朝や夕方はウォーキングや犬の散歩などを楽しむ地域住民たちの憩いの場になっています。カブトムシなど、都会では珍しい昆虫も生息していて、夏になると昆虫採集に夢中になる子どもたちの姿も見られるとか。

新宿区下落合2丁目、近衛町付近の住宅街のシンボルとなっている公園が「おとめ山公園」です。「おとめ」を漢字で書くと「御留」。この辺りは江戸時代に徳川将軍家の狩猟地があり、庶民がこの山に入ることは禁じられていたためこの名前が付けられたのだとか。この「御留」という漢字も近隣のマンション名によく利用されています。

高級賃貸マンションの「ラ・トゥール目白御留山」が近衛町の近くに建設中です。
高級賃貸マンションの「ラ・トゥール目白御留山」が近衛町エリアの近くにて建設中です。

明治以降になると、この台地上の多くを公家の五摂家のなかでも筆頭の近衛公爵家が所有していました。一方で「おとめ山公園」を含む地域は、旧磐城中村藩主の相馬家が所有し、住まいとしていたのだそうです。

日立目白クラブ
「おとめ山公園」の隣にある「日立目白クラブ」は、白で統一されたスパニッシュ調の個性的な建物です。昭和28(1953)年には日立グループが譲り受けて現在は社員向けの施設として利用されています。

目白駅と「おとめ山公園」の間にはおしゃれで立派な建物が特徴的な「日立目白クラブ」があります。この建物は、昭和3(1928)年に学習院高等科の男子学生用の寄宿舎「学習院昭和寮」として建てられました。ここの土地の所有者が政治家の近衛篤麿で、明治28年から37年まで学習院院長を務めていました。彼の長男で内閣総理大臣を務めた近衛文麿も、ここに住んでいました。

近衛町の「由来」

正面に見えるのは樹齢100年を超えるケヤキの大木です。道路の中央ありますが、これは地域の要望により残されたそうです。
正面に見えるのは樹齢100年を超えるケヤキの大木です。道路の中央にありますが、これは地域の要望により残されたのだそう。

目白駅前を通る目白通りから、上で紹介している「日立目白クラブ」の建物に向かって真っ直ぐ延びている通りは「近衛通り」呼ばれています。道の真ん中に古いケヤキの木が立っていてとても特徴的な道です。ここは近衛公爵邸の車寄せだったといわれています。この道の西側に、近衛文麿の父・近衛篤麿の記念碑があります。彼の死後、広大な近衛邸が近衛文麿公爵により「近衛町」と銘打ち分譲されます。そのため、この付近の建物にはまだ「近衛町」の名称が残されています。

近衛町の「魅力」

■1:緑豊かな「おとめ山」公園があります

おとめ山公園
昭和14(1939)年に「おとめ山公園」の土地を所有していた相馬家が土地を手放し、庭園だった場所は今のような森へと姿を変えていったのだそうです。都内に、蛇やフクロウ、カモなどが見られる自然豊かな環境が残り、「落合秘境」とも呼ばれるようになったのだとか。その名の通り、自然豊かな場所でした。

この周辺に住む住民たちのお散歩スポットになっているのが、広大な公園「おとめ山公園」です。広さは約2万7千平方メートルもあります。この辺りは起伏に富んでいてとても緑豊かな場所です。公園内には湧水も流れていて、かつては蛍も生息していました。江戸時代は狩場でしたが、その後相馬家が所有し、回遊式自然庭園を造りました。昭和39(1964)年に敷地の大部分が大蔵省の所有となり、公務員住宅の建設計画の対象地になりましたが、豊かな自然を守るための署名運動が活発になり、昭和44(1969)年に新宿区立「おとめ山公園」として開園しました。園内に湧水もあることから、サワガニやメダカ、ザリガニなども生息しています。東京都内には珍しくとても豊かな自然が残されている場所です。

■2: 落ち着いた街並みです

目白銀座商店会
目白通りは江戸時代から続く歴史のある通りです。銀杏並木が続いていて、通りの品の良さを演出しています。

JR山手線目白の駅前を通る目白通りの一角は「目白銀座商店会」と呼ばれています。この辺りは個性豊かな専門店が並んでいていつも賑わっています。なかでも、ウイスキーやクラフトビールなどの品揃えが豊富でこだわりの酒屋として知られている「目白田中屋」や、かき氷でも有名な老舗の和菓子店「目白 志むら」、行列の絶えないパティスリー「エーグルドゥース」などはとても人気です。そのほかにも、紅茶の専門店やイタリア食材を取り扱う店などがあり、ショッピングが楽しい通りです。

■3:江戸時代から続く 歴史のある場所です

目白ヶ丘教会
「目白ヶ丘教会」などモダンな建物の周辺には、古くからある樹木がきちんと残されています。南向きの傾斜地で日当たりもよく、とても気持ちの良い場所です。

新宿区の下落合周辺は、歴史のある瀟洒な建物が点在しています。先ほど紹介した「日立目白クラブ」もそうですが、その近くには「日本ハプテストキリスト教 目白ヶ丘教会」があります。白い清楚な建物で、こちらは昭和25(1950)年に建てられたもの。 「帝国ホテル」を設計した建築家フランク・ロイド・ライトの弟子だった建築家・遠藤新の最後の作品です。

中村彜アトリエ前はきれいに舗装された通りです
「中村彜アトリエ記念館」前には、きれいに舗装された通りがあります。細い路地でも街並みが整備されていて、品の良さを感じる場所です。

自然豊かなこのエリアには、たくさんの文人が移り住んだのだそう。『雪夫人絵図』や『花の生涯』などの小説で知られている舟橋聖一もこの辺りに家がありました。そのほか、近衛町周辺には大正期に活躍した洋画家の中村彜(つね)のアトリエもありました。

※※※

目白駅周辺には、江戸時代から続く歴史があり、そして豊かな自然がそのまま残されている場所です。東京の中心地にもアクセスが良く、自然が豊かなこの場所を求めて、さまざまな著名人たちが暮らしてきました。そして今でもその人気は衰えず、大きな邸宅が並んでいるエリアです。

参考:新宿区ホームページ
   国立国会図書館
   新宿文化絵図 新宿まち歩きガイド(新宿区)
この記事の執筆者
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PHOTO :
AC,柳堀栄子
WRITING :
柳堀栄子