「こだまでしょうか」「いいえ誰でも」というフレーズに、聞き覚えがある人も多いのでは? 今回取り上げる「こだまでしょうか」は、童謡詩人・金子みすゞの詩の一節です。2011年3月に起きた東日本大震災後にテレビでくり返し放送されたもの。この詩が与えてくれる温かな情景や力強さに、コロナ禍も落ち着いて日常生活が戻りつつある今、再び注目してみましょう。

【目次】

2023年は「こだまでしょうか」の作者・金子みすゞのデビュー100周年です!
2023年は「こだまでしょうか」の作者・金子みすゞのデビュー100周年です!

【「こだまでしょうか」とは?なぜ知られた?…基礎知識】

■「こだまでしょうか」とは?

大正末期から昭和初期に活躍した童謡詩人、金子みすゞの「こだまでしょうか」という詩の一節です。

■知られるようになったわけ

東日本大震災の発生から早や12年が経ちました。当時の日本を襲った大きな悲しみ、自然災害の脅威への抗いがたさは、今も胸に刻まれているのではないでしょうか。金子みすゞの詩「こだまでしょうか」は、震災後の自粛ムードのなかで放送された社団法人ACジャパンのCMで採用されたもの。多くの人の胸を打ちました。


【「こだまでしょうか」のCMをもっと詳しく】

東日本大震災、そして東京電力福島第一原発の事故は、直接被害を受けた人々や地域に限らず、日本中に先行き不透明で不安な日々をもたらしました。そんななかでテレビやラジオからくり返し流れてきた「こだまでしょうか」を採用したCMについて、もう少し詳しくご紹介します。

■どんな内容?

穏やかなピアノの音色とともに、さまざまなな日常のシーンが映し出されます。その映像をバックに金子みすゞの「こだまでしょうか」を歌手のUAさんが朗読。詩が終わると、「やさしく話しかければ、やさしく相手も答えてくれる。」というテロップで締めくくられます。長短複数のバージョンがありました。

■なぜ心に響いた?

未曽有の出来事の直後で、さまざまな自粛が求められるという空気感のなか、人と人と、地域内外など、日々の生活に欠かせない“つながり”に改めて思いを馳せた人が多かった――そんな時期に、「こだまでしょうか」という詩ののひと言ひと言が、心に響き、胸を打ったのでしょう。最後の「やさしく話しかければ、やさしく相手も答えてくれる。」は広告コピーですが、みすゞの詩とともに、いま目や耳にしてもグッとくるのではないでしょうか。

■実は震災とは関係のないCMだった!

このCMは震災前年の2010年、東京の地域キャンペーンとして制作されたものです。テーマは“コミュニケーション”で、新聞、テレビ、ラジオで展開。東日本大震災後、再び全国へ届けられ、多くの人の記憶に残りました。

■「こだまでしょうか」効果

震災後の放送で「こだまでしょうか」が注目され、一時は金子みすゞの詩集がベストセラーになるほどでした。また、2011年の第64回広告電通賞のテレビ広告公共部門で優秀賞を、同年のユーキャン新語・流行語大賞でも 「こだまでしょうか」がトップ10に。


【金子みすゞの「こだまでしょうか」全文】

「遊ぼう」っていうと「遊ぼう」っていう。

「馬鹿」っていうと「馬鹿」っていう。

「もう遊ばない」っていうと「もう遊ばない」っていう。

そして、あとでさみしくなって、

「ごめんね」っていうと「ごめんね」っていう。

こだまでしょうか、いいえ、誰でも。

※『金子みすゞ童謡全集』(JULA出版局/フレーベル館)より。


【「こだまでしょうか」作者の「金子みすゞ」という詩人】

最後に金子みすゞについてご紹介します。

■鮮烈なデビュー

明治36(1903)年、大津郡仙崎村(現在の山口県長門市仙崎)生まれ。本名は金子テル。成績優秀で読書好きなテルは10代で詩を書くようになり、20歳のときに投稿した4つの雑誌すべてに掲載されるという鮮烈なデビューを飾ります。時代は童話童謡雑誌が次々と創刊された大正時代末期。そのうちのひとつ『童謡』の選者であった詩人の西條八十(さいじょうやそ)は、「若き童謡詩人の中の巨星」と賞賛。童謡詩人・金子みすゞは、すぐさま人気詩人となります。

■代表作

「こだまでしょうか」のほか、「みんなちがって、みんないい」と大きく包み込んでくれる「わたしと小鳥とすずと」、「明るい方へ、明るい方へ」と導いてくれる「明るい方へ」など、彼女の詩は子どもにもわかるやさしい言葉で、大人の心もギュッとつかみます。

■生涯に512編の作品

詩人としての活躍は短く、ほんの数年でした。20歳でデビューし、23歳で結婚して娘をもうけましたが、文学に理解のない夫はすゞが作品をつくることを禁じます。浮気性の夫から移された淋病に苦しみ、さらには離婚と困難が続きます。子どもの親権は男性にあるという時代、最愛の娘を前夫に奪われないようにと自死を決意し、26歳で逝去。

残った作品は散逸し、やがて金子みすゞは幻の童謡詩人と語り継がれるだけの人に。しかし、結婚時代にこっそり作詩して書き留め、恩師でもある西條八十と実弟に預けていた手帳の作品が1980年代に世に出ます。1996年には初めて小学校の国語の教科書に掲載され、今では全社の教科書が採用しているのだとか。決して幸福だったとは言えない短い生涯でしたが、残した全512編は、身近な自然風景や人々を温かく見つめ、やさしさが貫かれた作品ばかりです。

***

漫画「サザエさん」や芸人のダチョウ倶楽部のネタをもじったパロディなどもつくられている「こだまでしょうか」。それだけ心に響くものがあるということですね。金子みすゞの詩集もたくさん出版されているので、機会があったらみすゞワールドに触れてみてはいかがでしょう。美しい言葉の使い方の参考になるかもしれません。

この記事の執筆者
Precious.jp編集部は、使える実用的なラグジュアリー情報をお届けするデジタル&エディトリアル集団です。ファッション、美容、お出かけ、ライフスタイル、カルチャー、ブランドなどの厳選された情報を、ていねいな解説と上質で美しいビジュアルでお伝えします。
参考資料:『日本大百科全書(ニッポニカ)』(小学館)/『デジタル大辞泉』(小学館)/『現代用語の基礎知識』(自由国民社) :