【目次】
岡本ってどこにあるの?「場所」「最寄り駅」「治安」
「場所」、用賀までの距離は?
岡本は、世田谷区の砧公園の南側、多摩川沿いにある自然豊かな国分寺崖線の高台にあります。最寄り駅は東急田園都市線の「用賀駅」などですが、駅から徒歩で20分程度とまあまあ遠い…。歩けない距離ではありませんが、毎日の通勤のことを考えると、バスや自転車で駅へ向かう、とい手段も考えたいところです。
岡本エリアの南側には、江戸時代に開削された「丸子川(江戸時代の六郷用水)」と「野川」と「多摩川」が、西側には「仙川」が、そして「岡本静嘉堂緑地」の北側を「谷戸川」が流れています。そして、畑もたくさん。水と自然が豊かな、世田谷の秘境ともいえる場所です。
岡本3丁目付近は世田谷区の中でも屈指の高級住宅街で、大豪邸という名にふさわしい住宅が並んでいます。駅から離れており、住宅しかないので、街なかにはここで生活をしている人しかいないのでしょう。とても静かで穏やかな雰囲気です。都会の喧騒から程よく距離があって、緑が豊富なこの環境は、人混みを避けて暮らしたい人にとって理想的だという声もあります。岡本といえば「坂」、というくらいアップダウンがあり、確かに歩くのは大変ですが、だからこそ叶う暮らしがあるのです。
岡本の「最寄り駅」
上で、東急田園都市線の「用賀駅」が最寄り駅と紹介しましたが、もうひとつ、田園都市線と東急大井町線の「二子玉川駅」も徒歩で20分程度のところにあります。東急田園都市線は、渋谷駅から東京メトロ半蔵門線に直通していて、大手町などへ乗り換えなしで移動できます。用賀駅から大手町駅までは30分程度。東急大井町線は自由が丘駅で東急東横線に乗り換えることができます。一方、二子玉川駅から自由が丘駅までは10分程度です。東横線は、東京メトロ副都心線や横浜高速鉄道みなとみらい線などに直通しています。
最寄り駅の二子玉川駅や用賀駅のほか、成城学園前駅へは、街なかを通る東急バスも利用できます。
岡本の「治安」
高台にあり、かつ駅から離れている岡本の刑法認知件数は1丁目から3丁目を合わせても17件(令和4年)。二子玉川駅に近い世田谷区玉川で169件、用賀駅に近い世田谷区用賀で76件、ということを考えても、かなり少ないといえます。
岡本の「地図」
岡本の「歴史」と「由来」
岡本の「歴史」
江戸時代、この辺りは畑や雑木林でした。坂を下ると六郷用水(現在の丸子川)が流れ、水田もあったようです。現在、坂の下には「岡本公園民家園」(岡本2丁目)があります。岡本公園民家園にはお隣の街「瀬田」から移築されてきた江戸時代後期の建物「長崎家住宅主屋」や土蔵1棟、腕木門などが復元され、江戸の農家の屋敷が再現されています。長崎家は、後北条氏の有力家臣として仕えていて、後北条家が滅亡したのちは土着して瀬田村の名主役を務めています。
民家園のお隣には「岡本八幡宮」があります。こちらは創建年代は不明ですが、江戸時代には岡本村の鎮守として祀られていたようです。江戸時代の岡本村は彦根藩世田谷領でお隣には同じ彦根藩瀬田領の瀬田村がありました。
岡本はなぜ高級住宅街になった?
眺望がよく、国分寺崖線の豊かな自然があるこの場所には、明治末期から政財界の大物たちにも別荘地として人気の場所でした。そして、週末住宅として利用される瀟洒な建物が所々に建てられていたそうです。というのも、大正13(1924)年には玉川電気鉄道(通称玉電)「砧線」が岡本の近辺を通っていたからです。砧線は多摩川で採取した砂利を都心に運ぶことが目的の線路でしたが、乗客も乗ることができたようです。それを使って、多くの富裕層が多くこの地で週末を過ごし、やがて暮らしの拠点とするようになりました。
例えば、現在の「聖ドミニコ学園」(岡本1丁目)の敷地には、内閣総理大臣を2度務めた松方正義氏の別邸がありました。そして、高橋是清氏の別邸があった場所は今は玉川幼稚園になっているそうです。高台には「岡本の富士見坂(岡本3丁目)」と呼ばれる急坂もあって、今でも眺望が素晴らしい場所です。そのほか、日立鉱山(のちの日立製作所)の創業者・久原房之助氏や日産コンツェルンの創設者・鮎川義介氏も岡本に邸宅を構えていました。
現在もその別邸の姿を見学できるのが、岡本のすぐお隣・瀬田4丁目にある、政治家で実業家の小坂順造氏の別邸「旧小坂家住宅」です。国分寺崖線を活用した大きな庭園があり、秋の紅葉ほか、四季折々の豊かな自然を楽しむことができます。冬の晴れた日には富士山を臨むことも。
岡本エリアでぜひ足を運んで欲しい場所のひとつが、三菱の2代目社長岩崎彌之助氏と4代目社長の小彌太氏、父子二代によって収集された東洋古美術品を収蔵する「静嘉堂文庫」です。日本や中国の貴重な古典籍を永久に保存し、研究者に公開することを目的に建設されたそうで、鉄筋コンクリート造り2階建て、タイル張りの瀟洒な建物には、国宝7点、重要文化財84点を含む6,500点の東洋古美術品と20万点の古典籍を収蔵しています。「静嘉堂文庫」は、明治時代に神田で創設され、高輪邸に文庫を移転し、大正13(1924)年に岡本に拠点が移されました。美術館が併設され、展示会を開催していましたが、現在は、美術館展示ギャラリーを丸の内にある明治生命館に移転。岡本にある建物の中は見られなくなりましらが、美しい外観は今でも見学可能です。
「静嘉堂文庫」には、上野博物館や鹿鳴館などで知られるジョサイア・コンドル設計の岩崎家の「玉川霊廟」もあります。納骨堂は、岩崎彌之助没時に息子の小彌太氏によって建てられたものだそう。お隣には「静嘉堂緑地」があり、ここも岩崎家が所有する庭園だったそうで、それらを合わせるととても広大で緑豊かなお屋敷だったことがわかります。現在、静嘉堂緑地の西側の一部が「岡本静嘉堂緑地バッタ広場」として公開されています。岩崎家庭園だったのちに40年もの間手付かずだったこの場所は、今ではたくさんの生き物が生息する自然豊かな場所になっています。
また、岡本は「東宝」の撮影所が近いため、「仕事に便利」ということで、現在でも人気俳優や著名な映画監督ほか、たくさんの映像関係者が住んでいるといわれています。
岡本の「由来」
岡本という地名の由来は、岡本1丁目にある「長円寺」の山号の「岡本山(こうほんざん)」から「おかもと」としたという説があるようです。そのほか、「丘陵起伏の多い地であることから」とか「鎌倉時代の武将・木曽義仲に属していた岡本次郎成勝の出身地であることから」といった説があるそうです。
住みやすさは?岡本の「魅力」
■1:毎日絶景が見られます
前述したように、国分寺崖線上の岡本3丁目にある坂は「岡本の富士見坂」と呼ばれ、武蔵野台地から仙川に向かって下る坂道でかなりの急坂として有名です。ここは、映画などでもロケ地として使用されていようで、さえぎるものが何もなく、緑も豊富で眺めがとてもいい場所です。晴れた日には富士山が望めるそう。国分寺崖線上に建つ家々はとても日当たりがよく、住宅地内には心地のよい風が流れています。
■2:田舎暮らしも満喫できます
岡本の住宅地には個人農家が点在していて、野菜の直売所もあります。季節の移り変わりを五感で感じられるのどかな風景が広がっている場所です。きれいな空気と自然豊かな緑と川の流れは、日々の仕事で忙しくしている心にたっぷりとしたゆとりをもたらしてくれそうです。
■3:車移動の便利な場所にあります
駅までは少し距離がありますが、車での交通の便はとてもよい場所です。砧公園のお隣には、高井戸方面に向かう環八通りが通っています。また、砧公園の近くには、首都高3号線渋谷線「用賀出入口」と東名高速道路「東京IC」があります。渋谷に行くのに便利な玉川通り(国道246号線)も近くを通っています。渋谷までは車で15分程度、東京駅や羽田空港、横浜までは30分程度です。実際、岡本は自家用車を持ち、車で生活をする人が多い場所です。駐車場がしっかり完備された二子玉川や成城学園などに買い物に行く人が多いそうです。
■4:近所には名門校が豊富です
岡本エリアは、瀬田1丁目にある「セント・メリーズ・インターナショナルスクール」、用賀1丁目にある「清泉インターナショナルスクール」などインターナショナルスクールが近く、通わせるにも便利です。そのほか、岡本1丁目にある「聖ドミニコ学園中学高等学校」はとても人気が高い学校です。さらに玉川田園調布にある「田園調布雙葉学園」や深沢にある国立の「東京学芸大学附属世田谷小・中学校」などがあります。家の近所に魅力的な学校があり、選択肢が多いのは、ファミリー層にもうってつけといえるでしょう。
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今回の散策は用賀駅からスタート。世田谷区岡本エリアに入ると、不思議と呼吸も深くなっていく気がしました。東京都内にいながら、別荘地に来たかのような気分が味わえるホッとできる場所です。ここならば、燦々と日光が降り注ぐ家で、豊富な自然に囲まれた心豊かな暮らしができそうだと感じました。
- TEXT :
- Precious.jp編集部
- PHOTO :
- AC,柳堀栄子
- WRITING :
- 柳堀栄子