【目次】
九段南ってどこにあるの?「場所」「最寄り駅」「治安」
東京駅までの距離は?「場所」
「九段」は、東京都千代田区の地名の名称で「くだん」と読み、皇居の周りを取り囲む内堀の北側と、さらにその外側、外郭を取り巻く外堀との間の帯状のエリアに位置します。「九段エリア」の中央を東西に通る「九段坂(靖国通り)」に対して北側が「九段北」、南側に広がるのが「九段南」と分かれていて、今回取り上げる九段南は1丁目~4丁目まであります。ちなみに、現在、「九段」だけの地名はありません。
九段南エリアは閑静な場所で、富裕層の住みたい街として人気の高いエリアです。九段南エリアから「二七(にしち)通り」を挟んで南側には「番町」があり、どちらもに高級マンションがたくさん並んでいます。皇居の北側にある「九段下駅」から東側の「大手町駅」までは電車で5分、皇居の南東側の「東京駅」までは10分程度。皇居から少し離れた西側にあるターミナル駅の「新宿駅」までも10分程度。電車の便がとてもよく、通勤・通学には最高の立地です。
九段南の「最寄り駅」
九段南エリアの最寄り駅はふたつ。ひとつが東端にある「九段下駅」で、東京メトロ東西線・半蔵門線と都営新宿線の3路線が通っています。もうひとつが西端にある「市ケ谷駅」で、JR中央・総武線のほかにも東京メトロ南北線や有楽町線など複数の路線が利用可能です。さらに、JR総武線と東京メトロ東西線・有楽町線・南北線、都営地下鉄大江戸線の「飯田橋駅」、東京メトロ半蔵門線の「半蔵門駅」も徒歩で15分程度。行き先に合わせてさまざまな路線が使える環境は最高! まさに東京の中心地だからこそ叶えられる利便性の高さです。
九段南の「治安」
「令和4年 区市町村の町丁別、罪種別及び手口別認知件数」によれば、九段南の年間の犯罪発生状況は22件。皇居にも近い位置にある九段南は、九段北や隣接する番町エリアとともに、学校や大使館などが多く、警備もしっかりしているエリアで、九段北と三番町も20件です。ちなみに、渋谷区恵比寿1丁目〜4丁目は96件。これと比べても、九段南エリアがいかに治安がいいかがわかります。
九段南の「地図」
九段南の「歴史」と「由来」
なぜ高級住宅街に? 九段南の「歴史」
江戸時代、江戸城を中心に南東部の低地部には外様大名屋敷や幕府諸施設が、そして、北西部の高台部分には旗本や譜代大名の居住地が置かれました。この、北西部の高台部分にあったのが、現在の「九段南」エリアを含む「番町」と呼ばれるエリアです。「番町」という呼び名は、江戸城を守っている大番組の旗本のお屋敷が、江戸城の西側に高密度で分布していたことが由来。碁盤の目のように通る道には「○番通り」と名前が付けられ、お屋敷の場所がわかるようになっていました。現在と位置は異なりますが、当時から「番町」は一番町から六番町まであり、九段坂通りの一帯は「三番町通り」と呼ばていました。
ちなみに、すぐ五番町(現在の一番町)を舞台にした有名な怪談に「番町皿屋敷」があります。この怪談は、お菊という女性が悲惨な死を遂げて幽霊になるというもの。「1枚、2枚…」とお皿を数えていって10枚を数えることができないという話はとても有名ですよね。同じような怪談は全国に存在していますが、江戸の番町は大名や旗本のお屋敷が多かったことから、こういった物語が定着しやすかったと考えられます。九段南4丁目と五番町の間にある「帯(おび)坂」という坂には、お菊が髪をふり乱し、帯を引きずりながらここを通ったという伝説が残っています。こちらの坂は外堀にある市ケ谷御門へ抜ける切通しとして作られたので「切通し坂」という名もあります。
靖国神社のある九段坂は四谷御門の台地の東端に位置し、江戸時代、坂を上りきった場所からは日本橋や浅草、遠くは現在の千葉県にあたる安房国(あわのくに)や上総国(かずさのくに)の山々まで見渡せたそうです。そして西側には富士山の全容を拝み見ることができました。とても眺望のよい場所だったのです。
千鳥ヶ淵のお隣、九段南2丁目には国の会議所である「三番町共用会議所」があります。ここには内閣総理大臣を2度務めた山縣有朋の洋風建築の邸宅がありました。明治18年に建てられた当時の建物は残っていませんが、明治の面影が残る美しい日本庭園が今でも保存されています。
関東大震災後、昭和8(1933)年に復興工事と共に九段エリアの区画整理が行われました。そのときに、靖国通りや近くを通る目白通り、内堀通りなどの道路幅が拡張され、この周辺の利便性が拡充されました。ちなみに、九段南2丁目~3丁目は昭和初期には花柳街として栄えていた場所でした。明治以降、神楽坂や新橋に並んで政財界の著名人らがこの場所を訪れたそうです。
そして、この周辺には明治期から数々の公使館や大使館が置かれていました。ミッションスクールなども多く立地し、国際色豊かな街へと発展します。さまざまな機関がこの場所に集結しているからこそ、この場所は今も昔も人気の高い高級住宅街なのです。
九段南の「由来」
この界隈が「九段」と呼ばれるようになったのは江戸時代から。四谷御門の台地から神田方面に下る坂道に沿って石垣の段が築かれ、そこには江戸城で勤務する役人のための御用屋敷が並びました。その石垣が九段あったことから、九段という通称が生まれたという説があります。関東大震災以前は、九段坂はとても勾配がきつい場所として有名で、坂の下には、荷車をあと押しして生計を立てる「押屋(おしや)」が常に集まり、客を待っていたほどだったそうです。
住みやすさは?九段南の「魅力」
■1:電車はもちろん、車移動もしやすい場所にあります
九段南は、複数の駅と路線が使える電車移動はもちろん、車での移動もとても快適な位置に立地しています。エリアの北側には東西に「靖国通り」、南方向へ「内堀通り」、西側を通る外堀に沿って北東から南西に「外堀通り」が通っています。
エリア内のすべての道路幅は広く、移動はスムーズ。そして、すぐそばには首都高速5号池袋線も通っています。例えば、東京駅や新宿駅までは車で12分程度。羽田空港までは30分程度、そして成田国際空港までは1時間程度、箱根までは1時間半程度で到着できます。九段南は遠出にも便利な立地です。
■2:不動産価値の下がりにくい場所です
九段南エリアとそのお隣「番町」にはコンシェルジュ付きの超高級マンションが建ち並びます。東京都財務局による「令和5年地価公示 標準地価格高順位一覧表」において、「番町」は上位に多数ランクインするエリアです。交通の便もよいこのエリアには、さらに複数のマンションが建設中。そもそも不動産取引件数も少ないうえに販売価格も高く、今後も価値が下がりにくいエリアといえそうです。
■2:歴史のある文教地区です
広い大名屋敷があったこの周辺には、その敷地の広さを生かしてか、たくさんの学校があります。三番町にある「二松学舍大学」は、明治10(1877)年創立。第3代舍長は、新一万円札の顔となる渋沢栄一氏です。同じく三番町にある「大妻女子大学」は、前身となる私塾が、明治41(1908)年に大妻コタカにより開設されました。そのほか、東京家政学院大学(三番町)、専修大学(神田神保町3丁目)、法政大学(富士見2丁目)、白百合学園(九段北2丁目)、女子御三家といわれる雙葉学園(六番町)と女子学院(一番町)、暁星学園(富士見1丁目)などなど…どの学校も明治期から昭和初期にできた歴史のある学校です。
九段下駅からお隣の神保町駅までは徒歩で5分程度。古書店の街として知られる神保町周辺にはたくさんの書店が並んでいます。神保町は明治以降に学生の街として発展、書店や古書店が数多く軒を並べ、昭和初期には学生たちが行き交う街となったそうです。九段下駅から神保町駅までの道のりには、古書店や本が読めるカフェなどもあり、散策が楽しいエリアです。また、神保町には美味しい食事を楽しめるレストランもたくさんあります。
■2:桜並木で有名な千鳥ヶ淵に近い場所です
春になると桜が満開になる「千鳥ヶ淵緑道」は、毎年世界中から100万人以上の人が訪れるというお花見の名所です。期間限定で夜桜ライトアップもされ、幻想的な景色が楽しめます。お花見の季節ではなくても、内堀周辺は緑がとても多くて散歩が心地よいエリアです。都会のど真ん中ですが、犬のお散歩を楽しんでいる住民も数多く見かけます。
■3:周辺に遊べる文化施設が複数あります
東京のど真ん中に位置する九段南の周辺には、実は遊べるスポットがたくさん点在しています。例えば、近隣の「北の丸公園」内には、「東京国立近代美術館」や「科学技術館」があります。また、大きな会社も多いエリアです。外堀を越えて新宿区市ヶ谷にはDNP大日本印刷が運営するオープンイノベーション施設「DNPプラザ」があります。ここでは様々な企画展が開催され、カフェも併設されています。そのほか、発展途上国について学べる「JICA地球ひろば」も有名です。ちょっと足を延ばせば、東京ドームに併設された「東京ドームシティアトラクションズ」へ行くことも。また、東京のお伊勢さまとして親しまれ、縁結びの神様が祀られている「東京大神宮」(富士見2丁目)は近年パワースポットとしても注目されています。
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東京のど真ん中、交通の便がよい九段南の立地は最高です。学校やビルが多く、どこに住む場所が? と思われるかもしれませんが、九段南エリアにはマンションが建ち並んでいます。街なかはとても静かで暮らしやすそうな場所でした。千鳥ヶ淵緑道にも近く、緑も豊富。子どもの学校の選択肢も豊富です。ここならば安心して暮らせそうです。
- TEXT :
- Precious.jp編集部
- PHOTO :
- AC,柳堀栄子
- WRITING :
- 柳堀栄子