【目次】
三田ってどこにあるの?「場所」「最寄り駅」「治安」
「場所」、品川駅までの距離は?
高級住宅街の東京都港区三田が位置しているのは、港区のほぼ中央。エリア内はオフィスタワーや高級マンションなどのビルが密集していて、「第一京浜」や「桜田通り」など、幹線道路も複数通っています。エリア北側の芝公園4丁目には東京タワーがあり、日々の暮らしのなかで、美しい姿を望むことができます。もっとも近いターミナル駅は「品川駅」で、電車なら15分程度。徒歩でも30分程度で到着できます。
港区三田のシンボルといえば「慶應義塾大学」。また、イタリア大使館や在日オーストラリア大使館など、大使館も点在し、国際色豊かなことも特徴です。三田は東京湾側から山の手側へと続いていく入り口にあるため坂道の多く、高台に上っていくと幹線道路周辺の高層ビル街とはまた違った、静かな街並みが広がります。そこが三田の高級住宅街エリアです。
1丁目から5丁目まである三田の中で、特に高級住宅街として知られているのが、高台にある2丁目の「三田綱町(みたつなまち)」。江戸時代には大名屋敷が並んでいた場所です。
三田の「最寄り駅」
港区三田エリアの最寄り駅は、7つ。まず、エリア北側にある都営地下鉄大江戸線「赤羽橋駅」、そして、北西側にある大江戸線と東京メトロ南北線の「麻布十番駅」。さらに北東側にある都営地下鉄三田線の「芝公園駅」と東側にある都営地下鉄三田線・浅草線の「三田駅」。JR山手線・京浜東北線の「田町駅」、南側にある浅草線と京急本線の「泉岳寺駅」、南西側の南北線と三田線の「白金高輪駅」も使えます。鉄道インフラが充実している東京23区内を探してもこれだけの数の最寄り駅をもつエリアはなかなかありません。三田エリアに暮らすということは、目的地に合わせて自由に路線を選べる権利を手に入れるということなのです。
三田の「治安」
警視庁が発表した「区市町村別犯罪別認知件数」によると、令和4年の三田エリアの年間犯罪総数は70件。この件数は、港区全体で起こった犯罪件数の3%程度。学校や大使館、高級マンションが集結し、警備もしっかりしている三田は、治安がよく安心して暮らせるエリアと言えるでしょう。
三田の「地図」
三田の「歴史」と「由来」
なぜ高級住宅街に? 三田の「歴史」
上の錦絵には、江戸時代の芝・三田・高輪周辺が描かれています。南側の青い半円は東京湾。その上の陸地のほとんどが広大な大名屋敷であることがわかります。左下の建物が入り組んでいる場所が、当時東海道の第一宿場だった品川宿です。右上の「松平主殿頭」と書かれている場所が現在の「慶應義塾大学三田キャンパス」。そしてその近くの「島津淡路守」や「織田剛三郎」と書かれているあたりが、現在の「在日オーストラリア大使館」や三井グループの会員制倶楽部「綱町三井倶楽部」にあたります。
明治期になると、大名屋敷は華族や政治家、実業家の邸宅地となり、「三田綱町」と呼ばれる超高級住宅街となりました。荘厳な門構えが目をひく「綱町三井倶楽部もそのひとつ。三大財閥のひとつ、三井家の迎賓館としてイギリス人建築家のジョサイア・コンドルによって大正2(1913)年に建てられました。現在の住所には「三田綱町」という町名はありませんが、周辺のマンション名などに使われています。「綱町」という名前は、ここが平安中期、源頼光に仕えた「四天王」のひとりである武将、「渡辺綱(わたなべのつな)」の出生地だったことが由来といわれています。
綱町三井倶楽部のお隣は「在日オーストラリア大使館」。大使館が建つ前は、旧徳島藩主の蜂須賀家が所有していました。そのお隣には国が所有する「三田共用会議所」があります。ここはもともとは実業家の渋沢栄一の邸宅のひとつでした。日当たりもよく、風通しもよく、そして見晴らしもよいこの辺りの高台は、昔からとても人気の高い高級住宅街だったのです。
三田のシンボルといえる慶應義塾大学が芝新銭座(現在の港区浜町1丁目・海岸1丁目)から島原藩松平家の中屋敷だったこの場所へ移転してきたのは明治4(1871)年のこと。慶應義塾大学ができたことにより、周辺に学生むけの食堂や書店などが増え、今のような街並みへと進化していきました。
三田の「由来」
「三田」という地名の由来は、ここに朝廷に納める米を作る水田「御田郷(みたごう)」があったから、という説が有力です。953年の文献に、武蔵国荏原郡に「御田郷」と呼ばれる土地があると記されており、天皇の直轄領地「屯田・御田(みた)」から「三田」へと時を経て変化していったのではとされています。ちなみに、「三田郷」は古くは港区三田から白金、そして目黒区三田までを含む地域で その後、十五世紀ごろまでに港区三田にあたる地域が「三田村」、目黒区三田一帯が「銀(しろがね)三田郷」と、ふたつの地域に分かれていったそう。港区だけでなく、目黒区にも「三田」という住所があるのはそのためです。「御田」が「三田」に変わったという年代は定かではありません。ですが、戦国時代には「三田」と表記されていたといわれています。
住みやすさは?三田の「魅力」
■1:不動産価値が下がりにくいエリアです
三田2丁目にある「三田綱町」エリアは、特に高級マンションが並ぶエリアとして知られています。その代表格が昭和46(1971)年に竣工した「三田綱町パークマンション」。完成当時は、高層マンションとして話題となったタワーマンションの先駆け的存在で、月日が経った今でも、その資産価値は衰えていません。全戸角部屋で100平方メートル以上の広さがあり、周辺には高い建物がないので日当たりも抜群によく、今でも高額で取引されています。
■2:交通の便が抜群によい場所にあります
三田は、都営三田線や浅草線、東京メトロ南北線や大江戸線、JR山手線や京浜東北線など複数の路線に囲まれているエリアです。都営三田線三田駅とJR田町駅は相互乗り換え先になっていて、徒歩で2分程度の距離にあります。また、三田駅や田町駅からは、東京駅や銀座駅へも10分程度で到着できます。渋谷駅へは20分程度、新宿駅までは25分程度です。都内の主要なターミナル駅へ30分で到着できるのは、通勤通学にも便利で魅力的な立地です。
車での移動も、首都高速都心環状線や首都高速2号目黒線、日比谷通りや桜田通り、第一京浜も通っていて抜群に便利。羽田空港は車で30分、成田国際空港も1時間程度で到着できます。近場も遠出も、どこに行くにも便利なこの場所は、一度住んだらその利便性から離れられなくなりそうです。
■3:歴史が古く散策がとても楽しい場所です
在日オーストラリア大使館のすぐ近くにあるイタリア大使館も、江戸時代は旧伊予山松山藩邸、のちに松方正義侯爵の住居だった大名屋敷。敷地内にある庭は、1703年の12月14日、「忠臣蔵」で有名な赤穂浪士十士が自害を遂げたと「武士の庭」としても知られています。
そのほか、このエリアの坂道を散策してみるとその歴史の片鱗に触れることができます。
「綱坂(つなざか)」は「三田綱町」の町名と同じく平安時代中期の武将・渡辺綱に由来するそう。慶應義塾大学の横を通って綱坂を上って行くと、綱町三井倶楽部やオーストラリア大使館が並ぶ高台に出ます。ここから西側に下って行くと「日向(ひゅうが)坂」という坂道に出ます。「日向坂」という名前の由来は、江戸時代前期に徳山藩毛利日向守の屋敷があったからといわれています。そして、この坂道はアイドルグループ「日向坂(ひなたざか)46」の名前の由来となっている坂で、聖地巡礼に訪れるファンも。
白金高輪駅近く、三田4丁目には「幽霊坂」という坂があります。この辺りは「随応寺」や「忍願寺」、「仏翁寺」、「玉鳳寺」など、寺がたくさんある寺町を形成していて、その物寂しさからこの名前が付いたといわれています。この坂を上っていくと、古墳があったという前述の「亀塚公園」に出ます。坂上からはかつては海を眺めることができたそうです。
■4:麻布十番にはなんでも揃っています
食材などの買い物はもちろん、外食だって西側に流れている古川を渡って麻布十番に行けば、迷うほど揃っているのが三田住みのうれしいポイント。麻布十番は「麻布山善福寺」の門前町であったことから江戸時代から栄えていた街。創業100年以上の老舗と新しいお店が入り交じり、スーパーマーケットもドラッグストアもあり…生活に必要なものはすべて揃っています。
麻布十番まで行かずとも、JR田町駅前にも商店街はあります。オフィス街が多く、学生も多いこのエリアには、細い路地に飲食店が並んでいます。
■5:近くには病院も、緑豊かな公園もあります
三田には「東京都済生会中央病院」と「国際医療福祉大学三田病院」と大病院がふたつ。三田1丁目の通り沿いに並んでいるのも頼もしい限りです。ちなみに江戸時代、ここ三田1丁目と北側の赤羽橋がある辺りには、久留米藩有馬家の武家屋敷があり、増上寺の「火の御番」を引き受けていたそうです。
三田の北側にある「芝公園」は明治6年にできたとても古い公園です。当初は徳川家の菩提寺であるお隣の増上寺を含む公園でした。東京タワーの眼下にあり、広々とした芝生広場などがあります。休日は東京タワーを望みながら、のんびり公園で過ごすのもよさそうです。
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港区三田エリアは、東京タワーのある美しい景色を眺めながら生活ができ、「”The東京”に住んでいる」という実感が湧く場所です。とくに魅力的なのは、交通の便。すぐに都心の下町、麻布十番に出られるので、買い物にも困りません。東京にいながらも自然が豊かでのんびりと暮らすことができるこの場所が人気なのも納得です。
- TEXT :
- Precious.jp編集部
- PHOTO :
- AC,柳堀栄子
- WRITING :
- 柳堀栄子