映画『ジョン・ガリアーノ 世界一愚かな天才デザイナー』が2024年9月20日(金)に封切られる。この試写会の後は、さまざまな思いが複雑に絡み合って、心に重く残った。

まだ、その絡み合った感情が何であるのかは自分でもわからないが、映画の完成度の高さに感嘆すると共に、解けない謎の部分がぽっかり空いたままであるのが気になった。それはひょっとして、ガリアーノが秘めておきたい部分なのかもしれないという気もする。

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映画『ジョン・ガリアーノ 世界一愚かな天才デザイナー』 2024年9月20日(金)より新宿ピカデリー、ヒューマントラストシネマ有楽町ほかロードショー 配給:キノフィルムズ (C)2023 KGB Films JG Ltd

常識を覆す演出に驚き混乱した、若き日のガリアーノのショー

デビューショーこそ間に合わなかったが、ガリアーノへの取材歴は長い。彼自身のシグネチャーラインから、「ジバンシィ」、「ディオール」、「メゾン マルジェラ」と現在に至る。

私が1991年頃にコレクション取材を始めたとき、すでにジョン・ガリアーノは飛ぶ鳥も落とす勢いの時代のホットスポットのようなデザイナーであった。1984年に英国のファッション名門校セントマーチンズ美術学校のモード科を首席で卒業。卒業コレクションが話題となり、世界中のバイヤーとメディアが注目していたのは知っていた。だが、同時に、出ては消え、あぶくのように話題だけが派手に膨らんで弾け、ビジネスとして継続できないロンドン出身者の弱みも知っていた。

「シャネル」や「ジャンポール・ゴルチエ」などの大御所ブランドを取材し、感動した後に、例え話題の的であろうとロンドンの若手が開く遅い時間のショーに気乗りしなかったのは確かだ。だから、当時コレクション取材の初心者だった私は、パリ駐在のファッション関係者の熱心なすすめで、「来季はもう消えているかも」などと思いながら、初めてガリアーノのショーを見たのだ。

1985年、「ジョン ガリアーノ」のショーにて。中央がガリアーノ。
1985年、「ジョン ガリアーノ」のショーにて。中央がガリアーノ。

結論から言うと、感激というより、驚きであった。モデルが順序よく、ポーズを決めながら登場してくる従来型のショーとはまるで違い、モデル達は、役柄を担った劇中人物のように、舞台狭しと奔放に動き回り、服も現実離れしていて、まるでオペラか演劇を見ているかのようであった。

作り手の才能がキラキラと砂金のように輝いているが、ゴシックな雰囲気のなかで、何を伝えようとしているのか、どの服を売ろうと考えているのか、これはファッションショーと言えるのか、わからないままなんだか「引きずり込まれた」印象だけが強く残っている。

1992年10月、「ジョン ガリアーノ」プレタポルテコレクションショーのランウェイ。
1992年10月、「ジョン ガリアーノ」プレタポルテコレクションショーのランウェイ。

階級意識が根強く残る英国から世界へ!才能の開花が導く成功への階段

翌日の新聞に掲載されたガリアーノの記事は、好意的ではあったが、私に大きな疑問を抱かせた。当時私は、世界的な英字新聞であり、今は『NYタイムス』傘下の旧『ヘラルドトリビューン』を好んで読んでいて(唯一読める言語という理由が大きいけれど)、ファッション担当記者の社会派的でバランスの取れた知的な見解も好きで、コレクション時はどの都市に行っても、その新聞をホテルで取っていた。

後で知ったのだが、ケンブリッジ大学卒の英国人で現在も活躍している優秀な女性記者が担当していたのだそうだ。25年間のファッションジャーナリストとしての功績が讃えられ、のちに大英帝国勲章やレジオン・ドヌール勲章も受けている。

だが、なぜかその看板記者の記事では、一定のデザイナーには、記事の冒頭に必ず出自を述べるのだ。例えば「ジブラルタル出身の鉛管工の息子ジョン・ガリアーノのコレクションは…」というように。

1988年9月、「ELLE British Beauties」のパーティにて。右は女優のヘレナ・ボナム・カーター。
1988年9月、「ELLE British Beauties」のパーティにて。右は女優のヘレナ・ボナム・カーター。

階級意識がいまだに根強い英国だから、下剋上的な存在には、あらかじめ帰属する生い立ちを思い知らすように強調するのだろうか。少なくとも、中世の騎士の果たし合いのような「名乗り合い」の公平性や礼節を感じさせる書き方ではなかった。こんな大新聞で、今どきこんな紹介の出だしは、あってよいものだろうかと、いつも不思議に思っていた。

アレキサンダー・マックイーンも最初の頃、「イーストエンドのタクシー運転手の息子アレキサンダー・マックイーンのコレクションは…」と必ずロンドンの当時の貧民街(ロンドン五輪で再開発され、今は気取った高級住宅地)生まれなどと名前より先に出自が書かれていた。

1990年、フィッティング中のガリアーノ。
1990年、フィッティング中のガリアーノ。

英国の海外領地であるジブラルタルで、ジョン・ガリアーノ(フアン・カルロス・アントニオ・ガリアーノ=ギレン)は1960年に誕生。名前が示すとおり、父親はイタリア系ジブラルタル人、母親はスペイン人である。6歳でロンドンに移住。父親が従事していた鉛管工は、決して裕福とは言い難いハードな肉体労働で、現在は鉛が有毒だから禁止されているが、腐食しにくい上に曲げ加工が容易なので給水管などに用いられていた。

英国籍であっても英国人ではなく、見上げるとそびえ立つクラスの壁。そんな環境のなかで、ガリアーノは、「地味でおとなしい」と言われる目立たない少年時代を過ごした。だが、セントマーチンに入学すると、まるで閉鎖的な社会システムから解き放たれたかのように、秘められていた才能があっという間に開花し、成功への階段を上り始めた。

まだキャリアも積んでいないのに、現LVMHの総帥ベルナール・アルノー氏によってフランスを代表するメゾンに抜擢、まず1995年に老舗の「ジバンシィ」、そして1996年にはラグジュアリーブランドの頂点と言われる「ディオール」の主任デザイナーへ…。同時に、陶器博物館など小会場で開催する自身の「ジョン・ガリアーノ」ブランドの招待状は、瞬く間にプラチナチケットとなった。

1996年11月、「ディオール」のアトリエにて。
1996年11月、「ディオール」のアトリエにて。

得意とするバイヤス使いの優美で華麗なドレスは、時代の女神であったスーパーモデルたちの幻想的なメイクアップやドラマティックな演出も相まって、コレクション時季の白眉であり、はたして招待状が届くかどうかを見る側はハラハラしながら待っていた。

1995年10月、「ジョン ガリアーノ」プレタポルテコレクションショーのバックステージにて。ナオミ・キャンベル、ヘレナ。クリステンセン、ケイト・モスなど当時のスーパーモデルたちと共に。
1995年10月、「ジョン ガリアーノ」プレタポルテコレクションショーのバックステージにて。ナオミ・キャンベル、ヘレナ。クリステンセン、ケイト・モスなど当時のスーパーモデルたちと共に。

「ディオール」のショーも、華やかさでは群を抜いていた。今では当たり前になったセレブブームに最初に火をつけたのは「ディオール」だ。シャーリーズ・セロンなどハリウッドスターがいつもフロントローにいて、ショーが始まる前は舞台周りがフラッシュで眩しく、だが、本当の見ものはショーが終了した後にあった。

左/2005年6月、「ディオール」オートクチュールショーの会場にて、シャーリーズ・セロンと。右/2007年5月、「ディオール」クルーズショーのフロントローでのシャーリーズ・セロン(左)とアナ・ウィンター(右)。
左/2005年6月、「ディオール」オートクチュールショーの会場にて、シャーリーズ・セロンと。右/2007年5月、「ディオール」クルーズショーのフロントローでのシャーリーズ・セロン(左)とアナ・ウィンター(右)。

モデルパレードが終わった後、静寂を溜めるだけためて、会場全体が息を呑んで注視するなか、飾り立てたガリアーノが降臨するかのように登場し、ときにはボディガードも従え、ランウェイを一周するのだ。湧き上がる拍手に包まれ、意気揚々と会場を見下ろす。日本の歌舞伎役者が大見得を切り、大上段に振りかぶるあの雰囲気と似ている。

2004年10月、「ディオール」春夏コレクションのランウェイ。
2004年10月、「ディオール」春夏コレクションのランウェイ。
「ディオール」のランウェイでさまざまなファッション、演出で登場したガリアーノ。左から/2001年1月、2002年7月、2007年5月、2008年3月。
「ディオール」のランウェイでさまざまなファッション、演出で登場してきたガリアーノ。左から/2001年1月、2002年7月、2007年5月、2008年3月。

この慣例がいつから始まったのかはよく覚えていないのだが、故ダイアナ元妃が『レディ ディオール』のバッグを愛用し、「ディオール」人気が一般的にも広く認知されてきた頃だろう。個人的には、ガリアーノが派手に振る舞えば振る舞うほど、コレクションが凡庸になっていくような気がして、少し寂しかった。

1996年、ニューヨークで開催された「ディオール」50周年パーティに『レディ ディオール』バッグを手にした故ダイアナ元妃。左はアルノー夫人。
1996年、ニューヨークで開催された「ディオール」50周年パーティに『レディ ディオール』バッグを手にした故ダイアナ元妃。左はアルノー夫人。

世界を驚かせた「ヘイト発言事件」は起こるべくして起きたのか?

ブランドの頂点に立つと同時に、世界各地でのブティックオープンや、細かく季節に合わせたコレクション制作など仕事量も激増し、ガリアーノは深刻なアルコール依存症になっていった。

「ある日、車が迎えにきたんだ」と目を輝かせて語るガリアーノの出世物語は、1995年の「ジバンシィ」就任に始まり、2011年の2月に突然終わった。このときの衝撃は鮮明に覚えている。すでにパリのファッションウィークが始まっていたある日、あらゆる新聞のヘッドラインに「ガリアーノがヘイト発言」と大きく掲載されたのだ。

事件直前の2011年1月、「ディオール」オートクチュールショーのランウェイに立つガリアーノ。
事件直前の2011年1月、「ディオール」オートクチュールショーのランウェイに立つガリアーノ。

自宅のあるパリ・マレ地区のカフェで泥酔し、側にいたアジア系の女性を連れたカップルに対して、ユダヤやアジアを侮蔑する発言を恫喝的な態度で吐き続けている動画が拡散したのである。

ことの次第は日々明らかになっていったが、LVMHの行動は迅速で恐ろしいほどビジネスライクなものだった。ガリアーノは直ちに解雇、ショーはチームで開催という通知がきて、ショーのフィナーレには、白衣のアトリエの職人たちが並び、労いの拍手に包まれた。

その後は療養を経て、2014年から「メゾン マルジェラ」のクリエイティブディレクターに就任。以降創立者であるマルタン・マルジェラとは異なる作風も、実験的で創造力に富む、未知の世界をエネルギッシュに切り拓いている(契約更新をしないというニュースも流れているが、2024年9月19日段階では確認されていない)。

2017年1月、「メゾン マルジェラ」オートクチュールコレクションショーの後。
2017年1月、「メゾン マルジェラ」オートクチュールコレクションショーの後。
2017年、「ヴォーグ ファッション・カンファレンス」にて。
2017年、「ヴォーグ ファッション・カンファレンス」にて。

最後に一つエピソードを。全盛期のある年に来日したとき、京都の古い着物や織物屋を巡り、最後は島原の遊郭「輪違屋(わちがいや)」で太夫の舞を見ながら夕食という企画があった。ベタで恐縮だが、着物を着た筆者が案内するという内容はテレビ、大手新聞、モード誌が相乗りしたメディアミックスの大掛かりなものであった。

ところが約束の時間になっても現れない。聞けば、用意された日本文化を代表する旅館「俵屋」の畳の匂いが不快でいやだったとか。広報が駆けずり周り、なんとかその日に宿泊できるスィートルームを押さえて待ったが、まだ来ない。

思い余った広報担当がパリ本社に連絡をしたら、グループ総帥のアルノー氏から直々にガリアーノに「スケジュールどおりに動くように」との連絡が入った。やっと来るかと思いきや、なんとアルノーさんからの直接の指示にショックを受け、気分が悪くなって何もできないと、全てキャンセルされたのである。

筆者の想像に過ぎないが、底辺近くから急に上り詰め、ラグジュアリーの頂点で初めて味わうハイランキングのプロからの賞賛とチヤホヤする取り巻きに囲まれ「万能感」に酔っていた時期ではないのか。アシスタントやチームワークの経験もない。勝者に見えて、実は弱者。だから躊躇なく切られる。

悩みを打ち明け、癒してくれる心を開ける友もいなかった。異文化に対する関心も敬意もなく、自分より弱いと思える者には徹底的になぶる。生い立ちからくる反動か?…と短絡的には言えないが、社会的に影の薄い存在からシャンデリアの華やかさの下へ、あっという間の人々からの視線の変化は、若者の心理に大きな影響を与えたのは間違いないだろう。

確かに孤独で激務ではあるだろうが、ほとんどのクリエイターはそれを工夫して乗り越え、改善しながら進んでいる。大人にはなったのだろうが、『世界一愚かな天才デザイナー』とは、まさに核心をついたタイトルのような気がする。


映画『ジョン・ガリアーノ 世界一愚かな天才デザイナー』は、 2024年9月20日(金)より新宿ピカデリー、ヒューマントラストシネマ有楽町ほかでロードショーがスタート。事件から13年経った今、ガリアーノ自身がカメラの前で語ることとは? 彼が携わったさまざまなコレクションの貴重なアーカイブ映像や、彼と時代を共にした錚々たる面々へのインタビューも必見です。

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この記事の執筆者
1987年、ザ・ウールマーク・カンパニー婦人服ディレクターとしてジャパンウールコレクションをプロデュース。退任後パリ、ミラノ、ロンドン、マドリードなど世界のコレクションを取材開始。朝日、毎日、日経など新聞でコレクション情報を掲載。女性誌にもソーシャライツやブランドストーリーなどを連載。毎シーズン2回開催するコレクショントレンドセミナーは、日本最大の来場者数を誇る。好きなもの:ワンピースドレス、タイトスカート、映画『男と女』のアナーク・エーメ、映画『ワイルドバンチ』のウォーレン・オーツ、村上春樹、須賀敦子、山田詠美、トム・フォード、沢木耕太郎の映画評論、アーネスト・ヘミングウエイの『エデンの園』、フランソワーズ ・サガン、キース・リチャーズ、ミウッチャ・プラダ、シャンパン、ワインは“ジンファンデル”、福島屋、自転車、海沿いの家、犬、パリ、ロンドンのウェイトローズ(スーパー)
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