セレブが華を競うファッションの祭典「メットガラ」のチェアウーマン
今や「ニューヨークの宝石」「社交界の頂点」と呼ばれる存在になった、「メットガラ(MET GARA)」。メトロポリタン美術館(通称「MET」)に付属する服飾研究所が開催する、展覧会のオープニングを飾るガラパーティのことだ。
毎年5月の第1月曜日に開催されるこのイベントは、もはやファッション界だけではなく、世界的なニュースとしても注目の的となっている。「誰が共同議長?」「テーマは何?」「ゲストは?」「どのブランドの服を着ていくのかしら?」と、噂は一気に盛り上がる。だが招待者リストが発表されるのは前日の夜で、そんな焦らせ具合も熱気に拍車をかけている。
主催者は、米国版『ヴォーグ』編集長のアナ・ウィンター。そしてこのイベントこそが、彼女の存在感を最大限に示すものとなっている。
完全招待制で、チケットは日本円で一人数百万円からテーブル買い切りで数千万円と言われる高額設定。にもかかわらず、招待を熱望する富裕なセレブリティは後を立たず、全てはアナの意向次第というわけだ。売上は服飾研究所の活動資金として活用される。芸術文化としてのファッションを支援するための、華やかさとアカデミックさが表裏一体となった稀有なチャリティイベントである。
2024年の展覧会のタイトルは、「眠れる美:ファッションの目覚め」。メットガラのテーマは「時の庭」であった。ゲストは、毎回のテーマに合わせてドレスアップするのが恒例だ。リアーナをはじめ、豪華な顔ぶれが、過剰なほどスペクタクルに演出されたドレスを着てポーズをとる。
さながら歌舞伎の大見得を思わせるレッドカーペット風景は、毎回人々を熱狂させ、メディアに特集が組まれるほど。アートとファッションの結びつきが生み出す、まさにケミストリーの結晶。アナの最高作品の一つであることは間違いないだろう。
15歳でファッションの道へ。『ヴォーグ』ブランドを確立した立役者に
アナ・ウィンターは、1949年ロンドン生まれの英国人。父親は『イブニング・スタンダード』の編集者、母親の父はハーバード大学教授というインテリ階級の出身だが、アナは、高校中退で大学には進学していない。高校在学中の15歳で当時の流行の発信地「BIBA」で働きはじめ,翌年退学。ハロッズのインターンプログラムに入学してファッション界への一歩を踏み出した。
父親からのアドバイスもあって、その後1970年に就職した『ハーパース・アンド・クイーン』の編集アシスタントを皮切りに、編集者人生が始まることになる。75年にはニューヨークに渡り姉妹誌『ハーパース バザー』のファッションエディターとなるが、上司と衝突を繰り返し、9か月で解雇。『ヴォーグ』にも面接に行ったが「何をやりたいか」と編集長に聞かれ「あなたの仕事に就きたい」と答え不採用になった。
その後は数誌を渡り歩き、辣腕ぶりを発揮。83年に米国版『ヴォーグ』のクリエイティブ・ディレクターに抜擢、85年には英国版『ヴォーグ』の編集長として母国に呼び戻され、保守的だった『ヴォーグ』を一躍トレンド最先端のモード誌へと変身させた。その実績を買われ、88年に再びニューヨークへ、38歳で米国版『ヴォーグ』の編集長に就任する。
当時の『ヴォーグ』は、ライバル誌『エル』に押され、ファッション誌というより、ライフスタイル寄りになっていて退屈な内容だった。現在のように、ファッション界の頂点として返り咲いたのは、アナの手腕に他ならない。
新進デザイナーやフォトグラファーの発掘、最大限に引き出される誌面の視覚効果などモード的な視点の鋭さは、誰もが認めるところであるが、最大の発行部数にするための、広告のクライアント対策などマーケティングにも手腕を発揮し、HIV研究のためのチャリティ主催など、現在の『ヴォーグ』につながるブランディングを成し遂げた。
現在は、『ヴォーグ』を発行するコンデナスト社のグローバル・コンテント・オフィサーも兼任し、『ニューヨーカーズ』を除いて、同社が発行するすべての雑誌の監修をする立場へと上り詰めている。
同じく米国版『ヴォーグ』の編集長を務め、メットガラの先鞭をつけた、元祖ファッションアイコンであったダイアナ・ヴリーランドは、多くの雑誌の編集者として40年近く活躍したが、編集長職は10年足らずであった。一方、アナは英国版『ヴォーグ』編集長から、ニューヨークに渡り、38歳で米国版ヴォーグの編集長になって以来、2024年まで、米国版だけでも編集長歴36年のキャリアだ。今後も現在のポジションで40年は軽く超えそうな気配である。
2011年にはファッションへの多大な貢献に対して、フランスでレジオンドヌール勲章を受賞。17年には、大英帝国勲章を受賞している。その知名度と実力から、第二次オバマ政権では、駐英大使の候補にも上がっていたほどだ。
そして、もっとも彼女の一般的な知名度を上げたのが、映画『プラダを着た悪魔』である。高圧的な態度と冷酷さで、部下を命令どおりに操る姿を描いた原作は、1年間アナのアシスタントを務めたローレン・ワイズバーガーによるもの。実体験に基づくとされているがワイズバーガーは否定している。
この映画の試写会に「プラダ」を着て娘と余裕しゃくしゃくと現れたアナだが、試写後に娘から「ママそのものね!」と言われたエピソードがあるとか。
変わらぬヘアスタイルに垣間見える「ブレない」「譲らない」強固な意志
15歳のときから変わらないというボブカット、黒縁のシャネルのサングラスがトレードマーク。本人曰く、「退屈なショーを見ているときでも悟られないから」。喜怒哀楽を表情に出さないアナらしい選択である。
アナは勤勉な人でもある。朝5時に起き、テニスをし、ヘアとメイクを整え、8時には出社している。夜にはあらゆる夜会に顔を出し、笑顔で挨拶して回る。だが、すぐさま姿を消し、アフターパーティなどに出ることはなく、さっさと帰宅して22時には就寝というのがルーティンだ。
ワークホリックとも呼ばれる。だが、このワークホリックこそがどれほどアナを助けてくれたことだろう。優柔不断を嫌い、ベストと信じる結果のためには、努力を惜しまない。他人にも同じ努力を要求する。だから、高い評価につながる。仕事中毒は、彼女にとって達成感を得るための、呼吸するぐらい当たり前のことではないのだろうか。
アナのように強い信念を持つことは、物事を成し遂げるためになくてはならないものだが、誰もが賛同できることだけではなく、敵もつくる。今の彼女は「唯一無二」とも言える状況だが、数えきれないほどの逆風を浴び、裏切られたこともあるのも事実だ。解雇の噂が流れたこともある。
毛皮好き、痩身好み、人種差別…。今でこそ多様性、内包性という時代の流れで問題視されるが、アナの長い編集長時代には、不平をこぼすスタッフはいても問題にならず、全て彼女の好みで、突破してきた事柄だ。
個人的な話で恐縮だが、筆者も2005年のパリコレクション取材の際、アナが動物の権利運動団体「PETA」から顔にパイを投げつけられたときにすぐ側にいて、あっけにとられた顔を彼女のパイまみれの正面顔と共に、世界に配信されたことがある。
いつもアナは一人で行動しているので、守る人もいなかったのだ。後から来た『ヴォーグ』のクリエイティブ・ディレクターが、抱き抱えるようにして連れて行ったのを覚えている。次のショーは姿を見せなかったが、その次のショーには、何事もなかったようにパステルカラーのツインセットに着替えて、フロントロウに座っていた。本当に何事もなかったように飄然と。
アナは、毛皮好きは公言していたし、実際たくさんの毛皮を着ている。雑誌にも掲載していたので象徴的な存在として狙われたのだろう。
また、白人の痩身の女性が好みで、自らもそうだが周りにいる編集者たちも、グレース・コディントンなどアナの着任以前からいる実力者を除けば、側近はほとんどお嬢さん的な白人の上流階級出身のスタッフたちだ。
2020年には、『ヴォーグ』の元従業員からの複数の証言で人種差別的な職場環境を培ってきたと指摘され、それまで一切の無反応を貫き、無慈悲なイメージが助長するに任せていたアナもさすがにこの時は社内メールで謝罪した。「ブラック・ライブズ・マター(黒人差別に抗議した運動)」などもあり、社会的な非難に繋がりかねなかったからだ。
何より、このときアナに打撃を与えたのは、『ヴォーグ』の元クリエイティブ・ディレクター、アンドレ・レオン・タリーの回顧録の出版であろう。初のアフリカ系クリエイティブ・ディレクターとして、30年近くアナを支え、マーク・ジェイコブスやトム・フォード等、また非白人の多様な人種のクリエイターに光を当てたファッション界で尊敬される生き字引的な存在であった(22年に他界)。
その巨体と特注のシャネルのスーツや大きなLVロゴ入りのマントで身を包んだ姿は、コレクションの名物であり、『ヴォーグ』のツートップとして認識されていた。が、ある時期から急速に関係が悪化したようで、『ヴォーグ』から突然解雇。ポッドキャストやメットガラのインタビュアーなど全ての職を、説明も、金銭的な保証もなく外された。
回顧録のなかで「アナはいつものやり方で黙って僕をクビにした」そして「植民地的な環境に属する植民地的な女性で、白人の特権を危うくしたり、特権を問題視することは一切許さない」と辛辣に批判し「無慈悲」と断じた。
不都合にいちいち反応せず、ポーカーフェイスで妥協のない決断をくだすのがアナ流。だが、編集長とは、ある意味独裁者的存在なのではないだろうか? 民主的な多数決だけで決められるコンテンツなど、なんの面白みもあるはずがない。良し悪しはともかく、彼女が一貫したアティテュードを持ち続けているいるのは確かだ。
意外にも「攻めすぎない」スタイルが基本だったが、近年は変化が
装うファッションにもスタイルがある。基本的にはコンサバな服が好みだ。多分クローゼットには、ワンピースドレスが多くを占めているのではないだろうか。細身の身体のラインを引き立たせ、シンプルなデザインでスリムなものがよく似合う。
2000年~2015年頃には「ステルス・ウェルス」(姿の見えない富裕。つまり大袈裟ではない贅沢感。米『ヴォーグ』が作った言葉で、今ではクワイエット・ラグジュアリーとも表現)なシンプルで上質な半袖セーターにタイトスカートや、ツインセットもよく着ていて、ニュートラルカラー使いがとても上品だった。
「プラダ」と「シャネル」を愛用しているのも知られているとおり。一度、「プラダ」のショーに登場した服をアナがすでに着てフロントロウに座っているのを見たときには驚いたが、ブランドとの密接な関係を感じさせるものだった。
だが、このところドレスの愛用は変わらないものの、プリント使いがぐんと増えてきた。花柄や幾何学柄、大柄とさまざまだが、首元には存在感があるネックレスを合わせるのが、最近の定番スタイルだ。服が派手になった分、足元は「マノロ・ブラニク」のベージュのバックストラップパンプスなど、定番で目立たないものを選択している。
さすがに毛皮を身につけることはないが、代わりにプリントやヴィヴィッドな色のコートを着ていたりする。記事冒頭で触れた今年のメットガラでも、「ロエベ」のコサージュに彩られたタキシードコートを着ていた。
アナに袖を通してもらうために、デザイナー達はしのぎを削る。アナが着るだけで広告費に換算すればいかほどになるか。ファッション界最強のインフルエンサーである。
スリムで長身。服がよく似合う容姿、いつ見ても完璧にカットされたボブヘア、スタイリッシュな定番スタイル、2回の離婚を経て、現在の恋の噂は20年来の親友といわれる英国人俳優ビル・ナイ。これから絶対にメットガラに呼ばないのは「ドナルド・トランプ」とテレビのインタビューでも明快に答え、喝采を浴びた。明確な姿勢と叡智に満ちた決断力、敵に回したら怖い存在。政治家としてもきっと一流だろう。
15歳でファッションを志した少女は、いまだに成長中。いったいどこまで上り詰めるのか?
「この時代、ファッションは個性であって、着る人がどんな人かを反映するもの」「ファッションが教えてくれること。それは人生に欠かせないものであり、輝かせてくれるもの」
私たちのモチベーションを刺激する名言の数々。一目でわかるアイコニックなスタイル。「肝心なのは年齢ではなく、態度や考え方」と語るアナ・ウィンターは、自らの手でキャリアを築き上げ、「クイーン・オブ・ファッション」の座を更新し続けている。
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- TEXT :
- 藤岡篤子さん ファッションジャーナリスト
- PHOTO :
- Getty Images
- EDIT&WRITING :
- 谷 花生(Precious.jp)