鈴木保奈美さんによる新連載がスタート!「Carnet de petite voyageuse 中途半端な旅人は語る」

雑誌『Precious』11月号では、俳優の鈴木保奈美さんによる新連載「Carnet de petite voyageuse 中途半端な旅人は語る」がスタート!

記念すべき第一回は「ビュシとライカ」と題し、保奈美さんがこれまで経験してきた旅を振り返ります。『Precious』7月号のファッション特集の撮影で訪れたパリでの滞在を振り返りながら、保奈美さん自ら「ライカ」で撮影したフォトも今回、大公開します。

鈴木保奈美さん
俳優・文筆業
(すずき・ほなみ)俳優・文筆業。感性豊かな文章には定評があり、今回より満を持して連載エッセイを開始。そのほか『あの本、読みました?』(BSテレ東)ではMCを、『365日の献立日記』(NHK-Eテレ)ではナレーションを、と活躍は幅広い。公式インスタグラムhttps://www.instagram.com/honamisuzukiofficial/も好評。

第一回「ビュシとライカ」 文・鈴木保奈美

俳優の鈴木保奈美さん
 

大概の五十代の女の中では、旅をしてきた数は多いほうだと思う。十九歳の時、CM撮影のために初めて、サイパン島へ飛んだのを皮切りに、ファッション誌や紀行番組のロケでずいぶんと海外に連れて行ってもらった(九十年代は、テレビ局や出版社が潤沢な予算を誇っていたのだ)。国内も、化粧品のキャンペーンで三十以上の都道府県を訪ねた。あ、これは旅とは言わないか。派遣か。いや、やはり、移動すること、いつもと違う景色を見て、いつもと違う空気を吸い、はじめましての人と言葉を交わし、自分のものではない枕で眠ること、それはわたしにとっては旅なのだ。

職業柄、世間の同世代の女性よりは自由になるお金があったし、まとまった休みを取ることもできた。ひとり旅が好きだし、周りからは大胆だと言われるチャレンジもしてみた。が、バックパッカーというほどワイルドなことはしていない。深夜特急で大陸を横断してもいないし、ガンジス川でバタフライを泳いでもいない。休みが取れればすぐにでも飛び立つというほどの行動力は無いし、ナスカの地上絵とイースター島のモアイを見たいという夢も、どうにか実現させようという強引さが衰えてきた気がする。そんな中途半端な旅人が、旅について何を語りやがるのだ、とツッコミを入れつつ、やはり旅を想うのは楽しい。思い出であれ、将来の目標であれ。今年五十八回目の誕生日を迎えた自分が、あとどれだけ旅をすることができるのか、今後のプランは吟撰されていくのか、ヤケクソ気味に領土拡大していくのか。自分にとって旅とはなんなのか。立ち止まって記憶と胸の内を探ってみるとしよう。これもひとつの旅と言えないだろうか?

幾度かの打ち合わせの後、ファッション撮影のロケ地がパリに決まり、わたしは一つのリクエストをした。とあるプチホテルを、訪ねてみたい、と。泊まるんじゃなくて、ただどうなっているのか、見てみたかった。三十年前に一人で滞在した小さなホテルがまだそこにあるのかどうか(ここで三十という数字に慄おののくのである。自分が老いたという驚きではない。三十年前にすでに一人で外国を旅するほどの大人であった自分が、なぜ未だにこれほど未熟であるのか、と)。ホテルの名は、「Hôtel de Buci(ホテル ドゥ ビュシ)」。ビュシ通りにあるビュシホテル。シンプルです。外国のホテルはこんな名付け方が多いように思う。通りに必ず名前が付いていて、通り自体が一つの表情を持つから。日本なら京都の街がそうだ。街並みそのものが文化となっていて馥郁(ふくいく)と個性的に香っている。

パリの街を歩く俳優の鈴木保奈美さん
コート(メンズ)¥198,000・ニット¥41,800・スカーフ¥24,200(オールド イングランド銀座店)、バッグ¥341,000(ヴァレクストラ ジャパン)、カメラ¥990,000(ライカ)、その他/私物

「Hôtel de Buci(ホテル ドゥ ビュシ)」

パリ左岸の中心、サンジェルマン教会のすぐ裏手にある4つ星ホテル。全面リニューアルされた隠れ家的ホテルの客室はそれぞれ重厚な色調の壁紙やアンティーク家具で装飾され、クラシカルな雰囲気。メトロの駅からも近く、旅慣れた人たちから長く愛され続けている。
住所:22 Rue de Buci,75006 Paris
URL:https://www.buci-hotel.com/hotel-de-charme-paris-6


サンジェルマンの大通りから一本入って “逆くの字” 型に細く伸びるビュシ通りは、朝夕はマルシェが立つ生活感あふれる界隈だった。その中ほどにあるホテルはこぢんまりとして──ここからわたしの記憶はモノクロームになる──まずエレベーターの扉が、ガラガラと自分で開閉する蛇腹式なのが楽しかった(でも同時にちょっと怖い、まさか閉じ込められないよね? と)。部屋はベッドの脇にスーツケースを置いたらもういっぱいで、それから地下に食堂があった。昔は食糧庫だったのであろう、いかにも石灰岩をくり抜いた洞窟のようなカーブした天井で、ひんやりと薄暗く、毎朝たっぷりのカフェクレームを飲んだ。フランス人の朝食はクロワッサンじゃなくて、バゲットにバターとジャムを塗りたくったタルティーヌを食べるのだ、とここで覚えた。それから思い浮かぶのは、マルシェの時間、通りに並んだ台に載せられた野菜や魚介類。おばさんが抱えた買い物かご。吸い殻や野菜クズや、牡蠣を洗った水が流れるアスファルト。

あの頃わたしはデジカメを持っていたはずだけれど、なぜかこの旅の写真は残っていなくて、ただ断片的な画像だけが記憶に残っている。美術館にもずいぶん行ったはずなのに、絵画の印象はあまりなくて(オランジュリーのモネの睡蓮だけはびっくりした、この話はまた、いつか)、それよりもルーヴル美術館のチケット売り場の老婦人のほつれた前髪を思い出す。

パリで撮影する俳優の鈴木保奈美さん
 

三十年後のその場所に、「Hôtel de Buci」は 、あった。相変わらずあっさりとした、気を惹かない佇まいで、こういうのがパリのいいところだ、と知ったかぶりで呟いてみる。街並みが変わらない。けれどよく見れば、通りを満たす活気は違う種類のものになっている。もくもくと上がる湯気や生臭い氷を積んだ店はずいぶんと減って、洒落たバーやチェーンのパン屋になっている。今夜のおかずを求める人々の喧騒はなくて、観光客の旺盛な賑やかさ。シャッター通りになるよりはずっと良いのだ、と思う。街は進化する。人々の過ごし方が変わるものだもの。モノクロの中に収めておこうだなんて、余所者のわがままだ。そう思いつつ、ライカのファインダーを覗けば、つい既視感のあるものを探してしまう。鉄の窓枠。通りに倒れた自転車。野良犬と鳩。母親たちのおしゃべりに飽きてよそ見をする子供。

そうして足を踏み入れた懐かしいホテルは、見事にカラフルなのだった。おそらく間取りはそのままに、けれど全てが品よく使いやすく現代的にリニューアルされていた。もちろんあの蛇腹のエレベーターはなくなっている。洞窟の天井は塗りなおされ、地下にはスパまでできちゃって。私のノスタルジーは見事に打ち砕かれた。

がっかりしたわけではないのだ。そこに留まるな、と言われたような気がしたのだ。失われていくものを嘆いて追いかけたとて何になる? だけど俺たち生きなきゃならないんだからさ、と。気取ったパリジャンも、実は微笑みの裏でぎりりと歯軋りしているってわけだ。そうだよ、私たち、明日にも目覚めてタルティーヌを食べるんだもの。なんだか可笑しくなって、もう一度ライカを覗く。モノクロの色彩が融けて、私は慎重にシャッターを切る。


保奈美さん自らが撮影したパリの風景写真を大公開

ここからは保奈美さん自らがコンパクトデジタルカメラ「ライカQ3」で撮影した、パリの風景写真をお届けします。

鈴木保奈美さんが撮影したパリの風景
 

滞在したホテルの窓から。午前6時ーまだ明けきらない微妙なグラデーションを描く空に、街並みがシルエットとなって。

鈴木保奈美さんが撮影したパリの風景
 

フラワーアレンジメントもエレガント。

鈴木保奈美さんが撮影したパリの風景
 

何本も並んだカトラリー。エスカルゴ用も、オイスター用も。

鈴木保奈美さんが撮影したパリの風景
 

下町のカフェで、貫禄のマダムと遭遇。

鈴木保奈美さんが撮影したパリの風景
 

本場のオニオングラタンスープは、やけどするほど熱々。

鈴木保奈美さんが撮影したパリの風景
 

ホテル越しに見たビュシ通り。

鈴木保奈美さんが撮影したパリの風景
 

小さな店が途切れることなく続く左岸の裏通りは、歩くだけでも高揚する。

鈴木保奈美さんが撮影したパリの風景
 

白い車に描かれたドリルを持った作業員のリアルなイラストに注目。

問い合わせ先

PHOTO :
浅井佳代子(鈴木保奈美さん写真)
STYLIST :
犬走比左乃
HAIR MAKE :
福沢京子
EDIT :
喜多容子(Precious)
モデル・文 :
鈴木保奈美
パリ・コーディネーター :
AYUMI SHIMODA