自殺か、他殺か、今なお謎のままである死

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映画『Maria(原題)』(日本公開時期未定)より。マリア・カラスを演じ、舞台で熱唱するアンジェリーナ・ジョリー。(C)Pablo Larraín/Netflix

自殺か他殺かそれとも事故か………なぜか一時代を象徴する美女には、そういうふうに“謎の死”を遂げた人が何人もいる。マリリン・モンローしかり、ナタリー・ウッドしかり、そしてグレース・ケリーもまたしかり。

ダイアナ元妃の死にも、未だ他殺説が消えないように、世間は彼女たちの死をなかなか受け入れられないからこそ、謎のままにしたいのかもしれない。

中でも最も謎めいているのが20世紀最高のディーバ、マリア・カラスの死なのだろう。53歳で心臓麻痺。もちろんその報道の通りなのかもしれないが、財産管理をしていた人物に毒殺されたのではないかという他殺説もある一方、自殺説が出るのも不思議ではない状況にもあったから。

アンジェリーナ・ジョリーがそのマリア・カラスを演じることで大きな話題となった、新作映画『Maria』は、カラスの晩年の心の苦悩に焦点を当てた作品と言われるだけに、具体的な死因は描かれずとも、どのような死を想起させることになるのか、そこは1つの見所となるのだろう。

私自身、マリア・カラスのCDを買い漁るほど、この人のソプラノ・ドラマティコに心酔していたことがあるけれど、その数奇な人生を知るほどに、情動的でドラマティックな歌声がどうしても哀しみや苦しみの嗚咽に聞こえ、次第に聞くことが辛くなっていった。そのくらいこの人の人生はある種、苦悩に満ちていた。これほどまでに大きな喝采を浴びながら、同時にこれほどまでに深く傷ついた人もいないのだ。

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生前の希望により、マリア・カラスの遺骨は1979年1月、故郷ギリシャのエーゲ海に散骨された。(C) Herve TARDY/Gamma-Rapho via Getty Images

100キロ超えの体重を50キロ台にまで落として

今現在、最も活躍している世界的なオペラ歌手の名を知る人って、そう多くはないのだろう。しかし1950年代、マリア・カラスの名はオペラファンにとどまらず、世界に轟き渡り、まるでロックスターのような喝采を集めていた。

それも、当時退屈で通俗的な音楽の象徴とされていたベルカント・オペラに、持ち前の演技力と品格ある声質で再びスポット当てることになったのは、紛れもなくマリア・カラスの功績。彼女の人気が高まるほどにオペラファンが増えていったという構図だ。

決して美声ではないものの、いわゆる倍音の重厚で朗々たる声質のソプラノ。そこに喜怒哀楽をそっくり乗せていける、極めて稀な存在であった。だからジャンルを超え、あらゆる音楽ファンが彼女の声を聴きたがったのだ。

でもその一方で、激しい気性から度々関係者とぶつかり、「牝虎」「我が儘なプリマドンナ」との異名を取ったほど。マスコミも賞賛と同じくらい批判的な報道をした。しかし、カラスはこれに対し「私は芸術に従順なだけ」と言い放ち、「これが芸術と言えるの?」と演出を批判したり、オペラの1幕を終えたところで、声の不調を理由に舞台を降りてしまったり。オペラの聖地、メトロポリタン劇場を半ば首という形で追われたりしているのだ。

ただ、そうなればなるほどカラスの人気は高まっていった。若い頃は肥満体である事が、大きなコンプレックスとなっていたというが、噂される「サナダムシ・ダイエット」の成果か否か、(これは当時の夫によって否定されている。ただ何らかの寄生虫を除去してから痩せ始めたのは確かのよう)、100キロを超えた体重を50キロ台まで落としたとされる。

その結果、当時の夫の言葉を借りれば、「さなぎが蝶になるように」開花。持ち前の美貌とセンスで、無類のファッションアイコンともなり、オペラの領域を超え、女優以上のステータスを持ってカリスマ的な人気を誇ることになるのだ。

早すぎる声の衰え、愛する人の裏切り

しかしながらオペラ歌手としての絶頂期は10年ほどしか続かなかった。40代に入る頃にはもう声質に衰えが見え始めるのだ。これは喉に大変な負担がかかる「ノルマ」や、狂乱オペラ「ルチア」を当たり役としたことにも起因するが、事実上のマネージャーであった夫が、金のために妻に出演を強要し、声を酷使させたせいとも言われる。そうした意味のストレスも根深いものがあったのだろう。

ついでに言うなら、カラスは家族によくよく恵まれない人で、子供の頃は姉ばかり可愛がった毒母に無視され、歌手として成功するまでシンデレラのように家事全般を押し付けられ、成功してからは母にも姉にも生涯にわたり金を無心され続けているのだ。

かくして疲れ切った心を癒してくれたのが、同じギリシャ出身の海運王オナシスであった訳で、世界的歌姫と世界一の大富豪のW不倫は一大キャンダルになっている。それでも真の愛にようやく目覚めたカラスには、もう迷いがなかった。人懐こく、相手をたっぷり包み込むような包容力を持つオナシスは“人たらし”とも言うべきタイプの男で、カラスをたちまち虜にした。約10年間、愛を育む間に2人とも離婚していたものの、結婚には至らなかった。

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海運王オナシスとマリア・カラス。(C)Hulton-Deutsch Collection/CORBIS/Corbis via Getty Images

しかし結婚を待ちわびていたはずのカラスのもとに届くのは、非情にも“オナシスの新しい恋の噂”、その後間も無く“別の女性”との電撃結婚を新聞報道という最悪の形で知ることになるのだ。これも別の意味で”世界一有名な女性”、故ケネディ大統領の未亡人ジャクリーン・ケネディとのおぞましいほど衝撃的な結婚を。

マリア・カラスは半狂乱となり、衝動にかられて自殺を図ったとも言われる。ただ、こんな結婚がうまくいくはずがない、彼は必ず私の元に戻ってくると、それでもオナシスの気持ちを信じ続けたとされるのだ。

カラスが予想した通り、結婚当初からジャクリーンとは不仲が囁かれ、2年目から事実上の別居状態にあったオナシスは、結局カラスの元に戻っている。裏切りに対する復讐心と、変わらぬ愛がない混ぜになった、文字通り愛憎相半ばする関係が、数年続く。しかし不運にもオナシスは病に倒れ、ジャクリーンと離婚しないまま他界しているのだ。

オナシスはなぜジャクリーンを選んでしまったのか?

じゃあなぜオナシスは、ジャクリーンを選んだのか? 充分な富を得ると、男はそれに見合う名声を求めるようになる。世界最高のオペラ歌手との出会いも、彼女がピークを過ぎ不調に悩んでいたタイミング。悩める歌姫にオナシスは「歌手をやめても構わない」と言ったというが、歌わなくなったディーバに、本当に魅力を感じ続けたのかどうか? だから世界征服的な野望から“ ジャクリーン・ケネディを落とした男“という名声を選んでしまったのではないか? ちなみにオナシスは同性愛者でもあったという噂もあり、単純な見栄だけでジャクリーンを選んだとは考えにくいが、それこそ愛に生きようとしていたカラスの心を完膚なきまでに打ちのめしたのは確かなのだ。

いずれにせよこの、過激とも言える劇場性はまさにオペラ。オナシスの死後、歌手として復活を果たしたカラスは、舞台上の長年のパートナーであったテノール歌手、ディ・ステファーノとともにツアーに出て、この時改めて恋仲になっている。かつては共演のたびに喝采を独り占めするカラスに腹を立てていた人物だが、心のどこかでその時を待っていたのだろう。しかしカラスの方が、オナシスを失った虚しさを、彼との関係で埋めることができたかどうかは不明である。

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1974年3月、ニューヨークのカーネギーホールでのコンサート後、マリア・カラスとテノール歌手ジュゼッペ・ディ・ステファーノ。(C)Bettmann

ちなみに、夫をカラスに奪われたディ・ステファーノの妻は、その時どんなに苦しんだか、そしてアリア・カラスがいかに激しく毒のある身勝手な女だったかを、恨みつらみを晴らすように『わが敵、マリア・カラス』という1冊の本にしたためている。それが最もリアルなマリア・カラス像だったのかもしれないけれど、同時にこの問題作は彼女が常に嫉妬の対象になっていたことをも物語る。

ともかくカラスに関わる登場人物は、言わば彼女の人生をよりドラマチックにするに十分なキャスティング。まさしく脇役も含めて、オペラにも匹敵するようなドラマを生きた人なのだ。主役を張ったオペラ歌手は歴史的に数限りなくいるのに、なぜマリア・カラスだけが、このように今も私たちの心を捉えるのか、それも喝采の分だけ苦しみを知った、まさにオペラな人生を生きたから。天才であるが故に苦悩はさらに深かったことが、その高貴な姿からにじみ出るからなのだろう。

カラスを演じるアンジェリーナ・ジョリーもまたオペラな人

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映画『Maria(原題)』より。アンジェリーナ・ジョリー扮するマリア・カラス。(C)Pablo Larraín/Netflix

日本公演を最後に完全に引退をし、最後の恋人とも別れたカラスは、パリにおいて隠遁生活のような暮らしに入る。この時の心模様を描いたのが映画『Maria(原題)』だが、天才と呼ばれた圧倒的な成功者の、あまりにも悲しい晩年。そして、悲劇的な最期。それは当たり役の1つと言われた「椿姫」のように、失意のままに病死していく、救いのない悲しみにも思えるし、愛する人の後を追って城壁から身を投げた「トスカ」の激しい愛の末路ともシンクロする。さらに言えば、自らが裏切った男に殺されるものの、実は殺されることを知っていた“消極的な自殺”なのではないかともという読み方もある「カルメン」の、複雑な悲しみにも思えてくるのだ。

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映画『Maria(原題)』より。(C)Pablo Larraín/Netflix

なぜマリア・カラスをアンジェリーナ・ジョリーが演じるのか、顔も似ていないしと、最初は不可解だったけれど、こうやってマリア・カラスの人生をひもといていくと、その尋常ならざる人生を振り返ることができるのは、まさにアンジーのように、強いのに脆そうな、どこか複雑な、常人の理解を超えていく毒性をもった存在にしか無理なのかもしれないと思えてきた。

アンジーもまた、女優としてある種“天才的”であり、一見“野心の塊”にも見えるけれど、実は成功願望よりも愛を優先する女。言うならば深すぎる愛情の持ち主で、だから養子と実子を含めて6人の子供を連れて、強硬に離婚を決めた。酒を飲んで子供たちに暴力を振ったかもしれないブラッド・ピットに対し、容赦はしなかったのだ。

子供の頃はいじめを受けたり、父親の裏切りに苦悩したり、遺体を取り扱う葬儀コーディネーターを目指したり、何度もリストカットを繰り返すような不安定な時代もあった。やがて慈善に目覚め、国連の大使なども務めて、ハリウッドにおける社会派の象徴となっていく。

一方で、恋多き女は、同性愛も含めた数多くの交際遍歴のもと、3度の結婚をしている。その間、がん発生のリスクを抑えるための予防として両乳房の乳腺切除手術を受け、それも子供たちと少しでも長い時間一緒に生きるためと語った。どの側面をとってもやはり只者ならない人。

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マリア・カラスを演じるアンジェリーナ・ジョリー。映画『Maria(原題)』より(C)Pablo Larraín/Netflix

本人自身も、誰にも負けないほどドラマチックな人生を紡いでいるが、同じように愛を優先したいという意思を持っていたとしても、アンジーはより急進的に自分の人生を切り開いてきた人。マリア・カラスは、愛にすがりたいと考えつつも結果として自ら次々に扉を閉じてしまった人。登場人物全員が死んでしまうような悲劇的なものが多い、文字通りオペラな人生を生きた人だったのだ。

ネガティブな思考を持ちながらも、結果としてこれほどポジティブに生きている人はいないかもしれないアンジェリーナ・ジョリーが、マリア・カラスの最後の心情を、一体どのように伝えるのか、何か怖さにも似た期待が押し寄せてくる。

映画『Maria(原題)』は11月27日に一部劇場で公開、12月11日よりNetflixで配信開始(いずれもアメリカ国内)。日本での公開時期未定。 
この記事の執筆者
女性誌編集者を経て独立。美容ジャーナリスト、エッセイスト。女性誌において多数の連載エッセイをもつほか、美容記事の企画、化粧品の開発・アドバイザー、NPO法人日本ホリスティックビューティ協会理事など幅広く活躍。『Yahoo!ニュース「個人」』でコラムを執筆中。近著『大人の女よ!も清潔感を纏いなさい』(集英社文庫)、『“一生美人”力 人生の質が高まる108の気づき』(朝日新聞出版)ほか、『されど“服”で人生は変わる』(講談社)など著書多数。好きなもの:マーラー、東方神起、ベルリンフィル、トレンチコート、60年代、『ココ マドモアゼル』の香り、ケイト・ブランシェット、白と黒、映画
PHOTO&MOVIE :
Getty Images, Pablo Larraín/Netflix
COOPERATION :
石津文子
WRITING :
齋藤薫
EDIT :
三井三奈子