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プロフィール

 

名前:ジンジャー・ロジャース(Ginger Rogers)
出生地:アメリカ合衆国ミズーリ州 
生年月日:1911年7月16日

14歳からプロのダンサーとしてのキャリアをスタートさせたジンジャー・ロジャース。ボードヴィルのツアー中、ニューヨークを訪れたことをきっかけに、ラジオやブロードウェイでも活動をはじめました。
その後、ハリウッドに活動場所を移し、映画にも出演。1933年のミュージカル映画『四十二番街』『空中レヴュー時代』などで注目を集めました。
フレッド・アステアとのダンス・パートナーとして脚光を浴び、ふたりは10本の映画で共演しています。
1940年には映画『恋愛手帖』でアカデミー賞主演女優賞を受賞。演技派女優としても高い評価を受けています。
1949年の映画を最後にフレッド・アステアとの共演はなくなり、ソロの女優として多くの作品に出演。1995年に83歳で亡くなるまでの間、ハリウッド黄金時代を築いたスターのひとりとして多くのファンに愛されてきました。

私生活では、恋多き女性として知られており、生涯で5度の結婚と離婚を経験。1929年、10代で最初の結婚をするも2年で離婚。1934年にリュー・エアーズと再婚しましたが、1940年に離婚しています。1943年には俳優のジャック・ブリッグスと結婚するも、1949年に離婚。1953年にフランス人俳優のジャック・ベルジュラックと結婚するも、4年で離婚。5度目は1961年に歌手のウィリアム・マーシャルと結婚しましたが、1969年に離婚しています。

「若いころ」「昔」の写真12選

まず、ジンジャー・ロジャースの「若いころ」「昔」の写真をピックアップ。

ミズーリ州で誕生 

1913年 2歳。
1913年 2歳。

ヴォードヴィルのダンサーとして活動

15歳ごろ。
15歳ごろ。

1930年代

 

1930年代

 

1933年(22歳)映画『ゴールド・ディガーズ』より

 

1933年(22歳)メイクルームで

 

1935年(24歳)

 

1936年(25歳)映画『有頂天時代』より

右は、フレッド・アステア。
右は、フレッド・アステア。

1936年(25歳)

 

1937年(26歳)映画『踊らん哉』より

左は、フレッド・アステア。
左は、フレッド・アステア。

1937年(26歳)

 

1938年(27歳)

 

「映画」代表作4選


ここからは、チェックしておきたいジンジャー・ロジャースの代表出演「映画」「テレビシリーズ」をご紹介します。

『トップ・ハット』(1935年)

右は、フレッド・アステア。
右は、フレッド・アステア。

マーク・サンドリッチ監督のミュージカル映画。共演は、フレッド・アステア。

あらすじ:騒音トラブルがきっかけで出会ったダンサーのジェリー・トラヴァース(フレッド・アステア)とデイル・ルモント(ジンジャー・ロジャース)。互いに心惹かれるようになったふたりだが、デイルはジェリーのことを友人の夫であると勘違いしてしまう。恋心を隠し、ジェリーを避けるためにヴェネツィアへ逃れるデイルだったが、ジェリーは彼女の誤解を解こうと奔走する。

『艦隊を追って』(1936年)

左は、フレッド・アステア。
左は、フレッド・アステア。

アーヴィング・カミングス監督。

あらすじ:海軍兵士のボビー・ジョーダン(フレッドア・アステア)は、寄港した町でダンサーのキャロル・リード(ジンジャー・ロジャース)に出会う。彼女の働くダンスホールで時を共にするうち、キャロルに魅了されるボビー。しかし、彼女にはある秘密があって…。

『ステージ・ドア』(1937年)

左から、アン・ミラー、ジンジャー・ロジャース、ルシール・ボール。
左から、アン・ミラー、ジンジャー・ロジャース、ルシール・ボール。

グレゴリー・ラ・カーヴァ監督。共演は、キャサリン・ヘプバーン、アドルフ・マンジューなど。

あらすじ:女優の卵たちが住む寄宿舎「ステージ・ドア」。舞台女優を目指すテリー(キャサリン・ヘプバーン)は、いくつものオーディションに挑戦するも失敗続き。同じ寄宿舎に住むライバルのジーン(ジンジャー・ロジャース)とは性格や考え方も正反対で、お互いに反発しあう。しかし、共に夢を追いかけるうち、ふたりの間には友情が芽生えていく。

『恋愛手帖』(1940年)

左は、デニス・モーガン。
左は、デニス・モーガン。

サム・ウッド監督。クリストファー・モーリーの小説が原作。この作品でジンジャー・ロジャースはアカデミー賞主演女優賞を受賞した。

あらすじ:失恋の末にニューヨークで働き始めた27歳のキティ・フォイル(ジンジャー・ロジャース)は、医師のマーク(ジェームズ・クレイグ)から結婚を申し込まれる。貧しくも気のいい彼の申し出を承諾したキティだったが、かつての想い人ウィン(デニス・モーガン)が現れ、駆け落ちを持ち掛けられてしまう。ふたりの男性の間で揺れ動くキティは、自分自身の人生を見つめ直していく。

「元夫」の写真3選


情熱的で華やかな私生活が注目を集めていたジンジャー・ロジャース。生涯で5度の結婚と離婚を経験しています。ここからは、「元夫」の写真をピックアップ。

1934年に結婚した2番目の夫リュー・エアーズと

1934年11月 結婚式。
1934年11月 結婚式。1941年に離婚。

1953年に結婚した4番目の夫のジャック・ベルジュラックと

1954年。
1954年。1957年に離婚。

1961年に結婚した5番目の夫ウィリアム・マーシャルと

1961年。
1961年。1969年に離婚。

「美貌遍歴」10選


次に、30代からの「美貌遍歴」をお届けします。チャーミングな表情、そのカリスマ性は、時代を越えた価値があるはず!

1941年(30歳)第回 アカデミー賞授賞式

左は、ジェームズ・スチュワート。
左は、ジェームズ・スチュワート。

1944年(33歳)

 

1945年(34歳)

 

1948年(37歳)

 

1949年(38歳)映画『ブロードウェイのバークレー夫妻』プロモーションポートレイト

右は、フレッド・アステア。
右は、フレッド・アステア。

1951年(40歳)舞台『Love and Let Love』プロモーション

 

1969年(58歳)映画『メイム』より

 

かつてのダンスパートナー フレッド・アステアと

1970年代
1970年代

1978年(67歳)パリにて

 

1980年(69歳)パリ オリンピア・ミュージック・ホールでのステージ

 

「晩年」の写真


1949年の映画『ジンジャー・ロジャースのダンス・スタイル』を最後に、フレッド・アステアとの共演はなくなり、その後はソロの女優としてさまざまな作品に出演したジンジャー・ロジャース。
晩年は健康問題もあり、舞台や映画に出演する機会は減っていたものの、エンターテイメント界に多大な影響を与えたスターとして多くのファンに愛されてきました。
1985年4月、83歳で逝去。ハリウッド黄金時代の立役者として活躍は、今もなお色褪せることなく輝き続けています。

1993年(82歳)

 

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