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プロフィール

名前:リタ・ヘイワース(Rita Hayworth)
出生地:アメリカ合衆国ニューヨーク州
生年月日:1918年10月17日
ダンサーの両親からダンスを学び、10代からダンサーとして活躍していたリタ・ヘイワース。1930年ごろから本格的な映画出演をはじめ、徐々にキャリアを積んでいきました。
1939年の映画『コンドル』で注目を集め、1942年にフレッド・アステアと共演した『晴れて今宵は』では見事なダンスの腕前も披露。1946年の『ギルダ』で人気を決定的なものにすると、その後も数多くの作品に出演しハリウッド黄金期を代表する女優として活躍しました。
1950年代に入ると脚光を浴びる機会も減っていき、最後の出演作は1972年の『サンタマリア特命隊』。その後、アルツハイマー病を患っていることを発表し、1987年に68歳で亡くなっています。
時代を代表するセックス・シンボルとして、映画業界はもちろん小説、ファッションなど、様々な方面に影響を与え、今もなお多くのファンに愛されている伝説的存在です。
私生活では、1937年に実業家の男性と最初の結婚をして以降、生涯で5度の結婚と離婚を経験。1943年に俳優で監督のオーソン・ウェルズと結婚し、娘のレベッカを授かったものの、1948年に離婚。1949年にはパキスタンのアリ・カーン王子との結婚が大きな話題となりました。王子との間には娘のヤスミンを授かったものの、1953年に離婚しています。同年、歌手のディック・ハイムズと結婚するも、2年で離婚。1958年に映画プロデューサーのジェームズ・ヒルと結婚するも、1961年に離婚しています。
「若いころ」「昔」の写真13選
まず、リタ・ヘイワースの「若いころ」「昔」の写真をピックアップ。
1935年(17歳)本名であるリタ・カンシーノ名義でダンサーとして活動

1936年(18歳)

1940年(22歳)

1940年(22歳)映画『カンサス騎兵隊』プレミア

1940年(22歳)映画『ミュージック・イン・マイ・ハート』より

1944年(26歳)映画『カバーガール』プロモーション写真

1944年(26歳)ハリウッドのレストランで

1945年(27歳)

1945年(27歳)

1945年(27歳)

1945年(27歳)

1946年(28歳)映画『ギルダ』撮影中

1946年(28歳)

「映画」代表作6選
ここからは、チェックしておきたいリタ・ヘイワースの代表出演「映画」を6ご紹介します。
『コンドル』(1939年)

ハワード・ホークス監督。出演は、ケーリー・グラント、ジーン・アーサーなど。リタ・ヘイワースはこの作品でケーリー・グラント演じるジェフの元恋人ジュディ役で出演した。
あらすじ:ニューヨークのショーガール、ボニー(ジーン・アーサー)は巡業から戻る途中でエクアドルに立ち寄り、航空会社のパイロットたちが命がけで任務にあたる姿を目の当たりにする。なかでも責任者でパイロットでもあるジェフ(ケーリー・グラント)に強く心を惹かれたボニーは、滞在を1週間延ばすことに。しかし、ジェフの元恋人ジュディ(リタ・ヘイワース)が夫のパイロット、バット(リチャード・バーセルメス)と共に現れ…。
『血と砂』(1941年)

ルーベン・マムーリアン監督。ビセンテ・ブラスコ・イバニェスの小説が原作。共演は、タイロン・パワー、リンダ・ダーネルなど。この作品でリタ・ヘイワースはドーニャ役を演じた。
あらすじ:闘牛士になる夢を叶えたフアン(タイロン・パワー)は、故郷に戻り幼馴染のカルメン(リンダ・ダーネル)と結婚。スペイン随一の闘牛士となったフアンだが、闘牛観戦に訪れていた有閑マダムのドーニャ(リタ・ヘイワース)に誘惑され、関係をもってしまう。ドーニャの魅力にとりつかれ、次第に堕落していくフアンは、闘牛士としての名声だけでなくカルメンというかけがえのない存在までも失ってしまう。
『カバーガール』(1942年)

チャールズ・ヴィダー監督。共演は、ジーン・ケリーなど。
あらすじ:ショーガールとしてナイトクラブで働くラスティ(リタ・ヘイワース)は、恋人で舞台監督のダニー(ジーン・ケリー)に支えられながらスターになることを夢見ていた。あるとき、人気ファッション誌のカバーガールコンテストに出演したラスティは見事優勝。一躍注目の存在となり、念願だったブロードウェイの舞台にも立つことになる。一方で、ダニーとは心のすれ違いが生じはじめ…。
『晴れて今宵は』(1942年)

ウィリアム・A・サイター監督。主演は、フレッド・アステア。
あらすじ:人気ダンサーのロバート(フレッド・アステア)は、休暇で訪れたブエノスアイレスで賭け事に興じ、大負けしてしまう。旅費を稼ぐためホテルの舞台に立つことを画策するロバートだったが、オーナーのアクーニャ(アルフレッド・マンジュー)はそれを拒否。さらに、アクーニャの次女マリア(リタ・ヘイワース)から、恋文を送った相手だと勘違いをされてしまったことで、家族の騒動に巻き込まれてしまう。
『ギルダ』(1946年)

チャールズ・ウィダー監督。共演は、グレン・フォード、ジョージ・マクレディなど。
あらすじ:アルゼンチン、ブエノスアイレス。青年ジョニー(グレン・フォード)は、カジノでのイカサマ行為がばれ、殺されかけていたところを闇組織のボスであるマンスン(ジョージ・マクレディ)に拾われる。マンスンの信頼を得て、右腕となったジョニー。しかし、元恋人ギルダ(リタ・ヘイワース)がマンスンの新妻として現れたことで、複雑な三角関係に陥ってしまう。
『上海から来た女』(1947年)

オーソン・ウェルズ監督・主演。公開当時夫婦だったふたりの共演が話題となった。
あらすじ:ニューヨークの港で働くマイケル(オーソン・ウェルズ)は、強盗に襲われていた美しい女性、エルザ(リタ・ヘイワース)を助ける。エルザには夫アーサー(エヴェレット・スローン)がいることを知りながら、強く心惹かれるマイケル。しかし、アーサーが所有するヨットの船員として雇われたマイケルは、航海の途中で起きた殺人事件の犯人に仕立て上げられてしまう。
「元夫/子ども」の写真6選
5度の結婚と離婚を経験しているリタ・ヘイワース。オーソン・ウェルズとの間に長女レベッカを、アリ・カーン王子との間に次女のヤスミンを授かっています。ここからは、「元夫/子ども」の写真をピックアップ。
1937年に結婚した最初の夫エド・ジャドソンと

1943年に結婚したオーソン・ウェルズと

1949年に結婚したアリ・カーン王子と

1953年に結婚したディック・ハイムズと

娘のレベッカ、ヤスミンと

1958年に結婚したジェームズ・ヒルと

「美貌遍歴」5選
次に、1950年代からの「美貌遍歴」をお届けします。年齢を重ねてもなお、天性の魅力は変わらないまま。
1955年(37歳)

1956年(38歳)

1965年(47歳)

1968年(50歳)映画『バスタード』プロモーション写真

1975年(57歳)

「晩年」の話題
1940年代に絶大な人気を誇ったリタ・ヘイワースですが、1950年代以降は徐々に人気も低迷。短期間に繰り返される結婚や離婚、アルコール依存症といった私生活のスキャンダルも多く、演技以外の面で注目されることが増えていきました。
1972年の作品を最後に実質的な引退状態となり、その後、アルツハイマー病を患っていることを公表。当時は認知度の低い病だったものの、リタ・ヘイワースが公表したことで世間の関心が高まったともいわれています。
1987年5月、68歳で死去。ハリウッドの黄金期を支え、波乱の人生を生きたリタ・ヘイワース、その功績は今もなお輝き続けています。
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- TEXT :
- Precious.jp編集部
- PHOTO :
- Getty Images