ルッキズムへの強烈な皮肉「サブスタンス」という狂気の傑作

“美しくなりたい女の狂気”は、昔から数々の物語を生んできた。「鏡よ、鏡。――この世で1番美しいのは誰?」「それは、あなた……女王様でございます」それを毎日繰り返す白雪姫の継母は、そのルーツとも言えるけれど、ハリウッドでもモノクロの時代から、その狂気がもたらす傑作は少なくない。

古くは『サンセット大通り』。往年の美人女優が、世間から忘れられつつある中で、愛されることと若さに執着して正気を失う物語。『別離』は整形手術で若返って夫の愛を取り戻そうとする人妻を演じたエリザベステーラーが、現実の出来事のように若返ったことで話題になった。『永遠に美しく』は、永遠に美しくあろうとして美容整形に走る2人のセレブの悲喜劇。この作品でも人工的に作った若さは最後に破壊されるが、超話題作と言ってもいい最新作『サブスタンス』も、美しくなりたい、若返りたい狂気が想像を絶する展開で描かれる。
ジャンルとしては“ホラー”だが、ルッキズムへの強烈すぎる皮肉は、美しさと醜さが紙一重であるというロジックをありえない手法で描き、賛否両論あるはずだが、批評家たちには異例の好評を博し、ホラーではありえないほどの名だたる賞を受賞。アカデミー賞でも、5部門でノミネートされている。
今回この作品で、オスカーの主演女優賞にノミネートされ、受賞は逃したものの、本命視されていたのが、デミ・ムーア。ゴールデングローブ賞では主演女優賞に輝いた他、全米映画俳優組合賞 SAGアワードや、放送映画批評家協会賞の主演女優賞も獲得している。

ポップコーン女優、初めての快挙!?
この人がメジャーな賞を次々受賞するのは女優人生で初めてのこと、オスカーへのノミネートももちろん初である。受賞のスピーチでは、自分がこんな賞を取れるなんて夢にも思ってもいなかったと、率直に驚きを見せた。もちろん受賞者の多くは一様に信じられない!と言うが、彼女は心底そう思ったはず。
63歳にして、初めての快挙。それだけでなく、「自分はポップコーン女優だったから」と言って憚らない。それは文字通り、ポップコーンを頬張りながら見るようなお手軽な映画にしか出ない役者、と言う意味で、オスカーなどには無縁という裏の解釈もありそうだ。
ご存知のように、20世紀の名作『セント・エルモス・ファイアー』で注目され、『ゴースト/ニューヨークの幻』でブレイク、坊主になった『G.I.ジェーン』、ストリッパーを信じた『素顔のままで』もヒットした。この経歴でも、ポップコーン女優から脱皮することがなかったのは、ある種この人が自らの生い立ちに負い目を感じていたからではなかったか。16歳でデビューするまで、紐解くほどに壮絶な子供時代を生きてきた人なのだ。

毒親のもとで育った壮絶な少女時代。18歳で、最初の結婚
10代の若すぎる両親は、デミが生まれる前に離婚、母親はずっと不安定で再婚するもアル中に苦しみまた離婚、その後、育ての父は自殺。母親も薬物依存で自殺を繰り返し、デミを買春させるような毒親だったと言う。デミ自身もまた、薬物に溺れた時期がある。
18歳で最初の結婚しているが、4年で離婚、『セント・エルモス・ファイアー』で共演したエミリオ・エステベスと婚約するも3年後に破局。ブルース・ウィリスと再婚し、3人の娘を設け、この結婚は13年間続いた。その後、16歳年下の俳優アシュトン・カッチャーと結婚するが、度重なる夫の不倫などで別居、結局離婚した。

3度の結婚の合間合間にも多くの恋愛遍歴を残してきたが、今はフリー。そういう女優はハリウッドには少なくないけれど、壮絶な生い立ちからして、この人には何とか幸せになってほしいといったシンパシーを感じる人が少なくなかったはずなのだ。
16歳年下の夫をつなぎとめるため?美しくあることへの異常な執着
ただ3度目の結婚が怪しくなるあたりから、女性としても少し危うい印象を放つようになった。結婚当初は"20代よりも美しい40代女優"が讃美されていた時期でもあり、デミ・ムーアもまた変わらぬ美貌で世間を沸かせていたが、やはり16歳年下の夫との生活がプレッシャーとなったのだろう。やがて若さに執着するあまり、美容医療のやりすぎがゴシップ誌でしばしば取り上げられたりした。浮気癖ある若い夫の愛を取り戻そうという意図もあったはず。夫の21歳の浮気相手との“3P”も受け入れざるを得なかったという驚愕の事実も。映画『別離』の人妻が夫の愛を取り戻すことはできなかったように、それも徒労に終わるのだ。
その一方で、年齢的にも女優としてのキャリアに影がさし始めていた。元々が年齢差ばかりか、キャリア的にも格差婚と言われ心配もされていたのに、アシュトンの方が俳優としてどんどん格を上げ、投資でも成功していた。立場は完全に逆転していたのだ。だから慰謝料で揉めて離婚調停が長引くが、その間にアシュトンは個性派女優ミラ・クルスと恋仲になり、離婚成立後たちまち結婚してしまう。
まさしく、この『サブスタンス』という映画を地で行くように、その後のデミ・ムーアは、美だけに異様に執着しているように見えた。ファンは、とてもキュートだった昔の面影がまるでなくなった顔の変貌をひたすら残念がったと言われる。かくして仕事ではなく、容姿のことばかりが取り立たされるようになると、さらにキャリアに影響すると言う悪循環に陥っていく。

人生はまだ終わっていないという天のお告げ、魔法のオファー
でも、美意識の高さから、また美容医療の進化もあって、デミ・ムーアは逆に50代後半から美貌を取り戻しているかに見えた。そんなふうにキャリアを諦めなかった彼女のもとに、映画『サブスタンス』へのオファーが持ち込まれるのだ。本人も、受賞スピーチでこう語っている。
「数年前にはもうおしまいだ、これ以上飛躍することはない、これ以上することはないと思うに至ってた。まさにどん底の状態にあった時に、この魔法のような、大胆不敵で型破り、まさに狂気の脚本が私の元に届いたの。それは言わば、私はまだ終わっていないという天のお告げでした」と。
『サブスタンス』はある意味で彼女のために書かれたような脚本なのだ。かつては最もギャラの高い女優に登り詰めたこともあった人、でも逆にだから、このオファーに応じるのには、大変な覚悟と勇気を要したはずだ。
自らの境遇にあまりにも似過ぎた設定、捨て身にも思える猛烈な演技。近未来的と言っていいのか、人間の掟を破るまでの禁断の美容医療に対する痛烈な批判が描かれる訳で、並の女優なら躊躇しただろう。そこは修羅場をくぐり抜け、女優としても、女としても、深い苦悩を知っているデミ・ムーアだからこそ、これを受け入れ、見事に演じられたのだ。

まさにデミ・ムーア自身の栄光と悲哀、怒りと絶望を全て投影したような物語は、正視できないほどおぞましく、美しい。この人の壮絶な人生を考えると、万感胸に迫るほど。
そういう意味でも、この63歳の人生、なんと感慨深いのだろう。

- TEXT :
- 齋藤 薫さん 美容ジャーナリスト
- PHOTO :
- Getty Images
- WRITING :
- 齋藤薫
- EDIT :
- 三井三奈子