「啄木忌」をご存じですか? これは、石川啄木の「忌日」です。「忌日」と聞いても、ピンとくる人は少ないかもしれませんね。今回は「啄木忌」の意味や由来のほか、石川啄木にまつわる雑学をご紹介します。
【目次】
【4月13日の啄木忌。「読み方」「意味」「由来」】
■「読み方」
「啄木忌」は「たくぼくき」と読みます。
■「意味」
「啄木忌」は、夭折の歌人・石川啄木の「忌日」です。「忌日」は「きにち」もしくは「きじつ」と読み、「命日」とほぼ同じ意味で使われます。「初七日」や「一周忌」、「二十三回忌」など、「忌日」を基準とした忌日法要は一般的に知られていますね。「忌日」も同様に、毎年または毎月、成仏を願う仏事供養である法要が行われます。
■「由来」
太宰治の「忌日」は「桜桃忌」。芥川龍之介 は「河童忌」です。このように、誰に由来する忌日なのか、名称からはすぐにわからないものもありますが、「啄木忌」の由来はわかりやすいですね! 石川啄木の名前と、亡くなった日付である4月13日に由来します。
【ビジネス雑談に役立つ「啄木忌」「石川啄木」の雑学】
■啄木忌の「季語」は?
「啄木忌」の「季語」は春です。
■石川啄木って、ざっくりどんな人?
石川啄木(1886〜1912年)は、明治時代に活躍した歌人であり詩人、評論家です。わずか26歳で亡くなってしまったため、歌集は『一握の砂』と『悲しき玩具』のふたつだけですが、誰でも名前を知っている有名な歌人ですね。でも、有名であるにもかかわらず、「生活には困窮していた」というイメージをもっている人が多いのではないでしょうか。
石川啄木は現在の岩手県盛岡市生まれ。本名は石川一(はじめ)。「啄木」はペンネームです。神童と呼ばれるほど頭がよく、中学在学中に浪漫主義文学に触れて詩人を志し、1905年には愛の至上性を歌う詩集『あこがれ』を刊行。天才少年詩人の名を世間に知らしめました。
そして、「文学で生計を立てる」ために、当時憧れていた与謝野鉄幹、与謝野晶子夫妻を尋ねますが、仕事はみつかりませんでした。やがて結婚し、父が失職して生活が苦しくなると、詩から小説に筆を転じます。北海道に渡り各地を流転後、単身上京し創作に専念しようとしますが、小説は成功しませんでした。
その年の秋、家庭に対する啄木の無配慮にたえかねて妻が家出。その体験を基とした評論や短歌を制作していきます。貧しい生活の出口を社会主義に求め、尖鋭な社会批判を示す一方、現実を改変できない者の悲しい代償行為として、短歌を創作します。ふたつの歌集にまとめられた短歌は、冷笑的諧謔性や深い哀傷感をもって日常の感情を率直に歌い、歌壇に画期の新風を呼びました。
■石川啄木の代表作は?
誰でも1度は耳にしたことがある、石川啄木の俳句をご紹介しましょう。
「はたらけど はたらけど 猶わが生活(くらし)楽にならざり ぢつと手を見る」
「友がみな われよりえらく見ゆる日よ 花を買ひ来て 妻としたしむ」
「ふるさとの訛(なまり)なつかし 停車場の人混みの中に そを聴きにゆく」
実直な暮らしぶりにもかかわらず、経済的には豊かさとはほど遠い…「清貧」といった言葉がぴったりくるような作風ですね。でも、結構激しい作品もあるのです。
「一度でも我に頭を下げさせし 人みな死ねと いのりてしこと」
なんだか私たちが抱いている啄木のイメージとは違う、激しい印象の作品ですね…。しかし、これが人間の本来の気持ちなのかもしれません。
■怠け者でかなりの浪費癖という逸話も…
石川啄木は、幼いころから才能を発揮しながらも、経済的には常に困窮していました。18歳で中学の同級生だった女性と結婚しますが、まずは結婚式をすっぽかし、その後も遊女通いや借金を繰り返し、勤務していた新聞社は無断欠勤が当たり前。家族への仕送りもほとんど行っていなかったようです。なかなかのダメンズぶりに妻が家を出るのも当たり前…な状況ですが、一方で、母や妻への愛情も見せるなど、矛盾した行動が目立ちます。また、友人たちへの多額の借金を返さないなど、責任感に欠ける面も多々見られました。
そんな啄木も、晩年には自身の行いを悔い改めます。世間一般によく知られている「はたらけどはたらけど〜」といった句は、1910年に発表した歌集『一握の砂』に掲載されたもの。この改心から、わずか2年後には亡くなってしまうのです。
■石川啄木の死因は?
啄木の死因は肺結核です。妻の節子、父、そして友人の若山牧水に看取られながら、わずか26歳でその生涯を終えました。
■ 石川啄木記念館・盛岡市玉山歴史民俗資料館がリニューアル!
長く閉館していた石川啄木記念館は、盛岡市玉山歴史民俗資料館との複合施設として、今年(2025年)4月13日(日)13時に、リニューアルオープン。4月13日は入館無料。5月17日には、小説「影裏」で第157回芥川賞を受賞した作家・沼田真佑氏によるリニューアルオープン記念講演会『沼田文学の世界』が開催されます。
※事前の申し込みが必要です。詳細は公式ひーむページをご参照ください。
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石川啄木がローマ字で書いていた日記は、『啄木・ロ-マ字日記』として岩波文庫から出ています。残念ながら現在では絶版となっていますが、家族に知られたくない、数々の浮気や借金、人の悪口などが、ローマ字で綴られています。啄木の妻は、彼の死後もこの日記を保存していたそうですが、果たしてその中身を知っていたのでしょうか。「素晴らしい創作物と、人格は別物」とはよく言われることですが、現代社会ではなかなか受け入れがたいキャラクターです。ある意味、明治という時代に生まれてよかった人なのかもしれません。
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- Precious.jp編集部
- 参考資料:『日本国語大辞典』(小学館) /『デジタル大辞泉』(小学館) /『日本大百科全書 ニッポニカ』(小学館) /『世界大百科事典』(平凡社) /石川啄木記念館・盛岡市玉山歴史民俗資料館(https://www.mfca.jp/takuboku/) :