鈴木保奈美さんの連載「Carnet de petite voyageuse 中途半端な旅人は語る」第十一回

俳優・鈴木保奈美さんによる連載「Carnet de petite voyageuse 中途半端な旅人は語る」では、保奈美さんの趣味のひとつである旅をテーマに、これまで経験してきた旅路を振り返ります。

第十一回を迎える今回は、前回につづき【マルタにいったい何があるというんですか(2)】。友人の誘いで突然、マルタ島へ訪れた保奈美さん。聖ヨハネ大聖堂や騎士団長の宮殿など、観光名所へ足を運びますが…。今回も保奈美さん自ら撮影したフォトも大公開します。

鈴木保奈美さん
俳優・文筆業
(すずき ほなみ)ときにエスプリの効いた感性豊かな文章には定評があり、本誌でも数多くのエッセイを執筆。現在、『あの本、読みました?』(BSテレ東)ではMCを、『365日の献立日記』(NHK-Eテレ)ではナレーションをと幅広く活躍している。若い頃からの旅行好きで、まとまった休みがとれるとすぐにどこかへ出かけたくなる。公式インスタグラム https://www.instagram.com/honamisuzukiofficial/も好評。

第十一回「マルタにいったい何があるというんですか(2)」 文・鈴木保奈美

俳優の鈴木保奈美さんが撮影したマルタ島の景色
秋の終わりに保奈美さんが訪れたのは、地中海に浮かぶマルタ島。首都ヴァレッタの象徴ともいうべき聖ヨハネ大聖堂は、16世紀に騎士団によって建てられた。天井には守護聖人聖ヨハネの一生が描かれ、床全体を埋め尽くすモザイクはその下で眠る騎士団員たちの墓碑となっている。

黄色地に赤文字ラベルのCISKビールをグビリと飲んで、ぷはあ、昼のビールって最高、とかヘラヘラ笑っているうちに、別便の二人も合流して、早速カラマリフリットなんか頼んじゃう。友の一人はヨーロッパ在住だが、ここマルタは彼女にとっても異国なわけで、土地勘のないもの同士。船頭がいないから、それぞれが船を漕ぐ。緩やかなチームで作戦会議を始める。

ヴァレッタはマンハッタンをうんと小さくしたような街で、一時間もあれば一周できてしまう。半島を貫くメインストリートを中心に、碁盤の目状に通りが交差していて、絶対に迷子にならない。細い路地の隅まで太陽が照らすから、不審な陰がない。安全な街なのだ。十一月は流石にオフシーズンで、閉まっている土産物屋も多いけれど、路上にテーブルを出したカフェやレストランは大人たちで賑わっている。きっと夏休みには、テーブルを掻き分けなければ歩けないほどに人が溢れていたのだろう。季節を外して正解だったな、と思った。

マルタ島を訪れた俳優の鈴木保奈美さん
 

だって、ローマからの機内で一緒だった高校生たちみたいな若者だらけだったら。彼らの油分と弾力たっぷりの肌から立ち昇る汗や、オーデコロンやてらてら光るリップグロスや、誘惑や嫉妬や嬌声や、視線と駆け引きの応酬や、渦巻くフェロモンに疲弊したことだろう。我々には、もはやジリジリと肌を焦がす太陽はいらない。陽だまりのテラスで、ほっこりとビールを飲みたいのだよ。つい最近まであっち側だったはずなのに、アタシも枯れたものよね。

俳優の鈴木保奈美さんが撮影したマルタ島の景色
 

ひとまず眼前の観光名所からおさえよう。聖ヨハネ大聖堂の外観はあっさりとした蜂蜜色の石造りだけれど、内側は金と黒と紅に彩られて絢爛だ。ドイツやイングランドやプロヴァンスやオーベルニュ、といった騎士団チームが装飾を競ったとのこと(この辺り、主に中田氏のYouTube大学で得た知識)。清らかな信心というよりマウントの取り合いを感じるなあ。でも、嫌いじゃない。そういうモチベーションで人は生きるし、文化が生まれるのだものね。

俳優の鈴木保奈美さんが撮影したマルタ島の景色
石造りの要塞都市ヴァレッタは、街全体が淡い蜂蜜色で覆われている。細い路地を巡っていくと、歴史を感じさせる佇まいのなか、今を生きる人々の生活感溢れるエネルギーも感じられて。

大聖堂の一遇には、カラヴァッジョがマルタで描いた作品が展示されている。ローマで人を殺めて指名手配犯となったカラヴァッジョは、騎士団を頼ってここまで逃げてきたらしい。あの地中海を、カラヴァッジョも渡ってきたのか。どんな船で。どんな航海だったことだろう。そうしてやっと辿り着いて、命をつなぐために描いた絵。それを四百年後に見学するわたしたち。しかもカラヴァッジョは、マルタ島でも暴力沙汰を起こしてまたも逃走したという。そんな彼だからこそ、描けたのだろうか?

数ブロック先には騎士団長の宮殿があり、武器庫、という博物館のような空間には夥しい数の武器が展示されていた。剣、斧、槍、大砲、甲冑や鎖帷子…。重そうだなあ、痛そうだなあ、だいたいこの鎧、自分で着られるかしら、と、時代劇のロケで俳優さんたちが鎧兜を身に付けるときの苦労を思い出す。友人が団長の甲冑の前に立って「偉い人のは、威嚇するために豪華に作ってるけど、実戦には使ってないよね」と呟く。うん、でも、他の粗末な造りのものは? 中の人はどうしただろう? ここにある武器は、一体どれだけの血を吸い込んだのだ? そう考えたら嫌な動悸がしてきて、最後まで観ることはできなかった。

幸い嫌な夢を見ることもなく、翌朝はすっきり目覚めた。ぷらぷらと散歩がてら、マルタの定番朝食「パスティッツィ」を買いに行く。リコッタチーズが詰まったパリパリのパイ。食べながら戻ってきたら仲間も起き出していて、コーヒーを飲んで出発。タクシーで三十分ほどの漁港、マルサシュロックの朝市へ行く。

俳優の鈴木保奈美さんが撮影したマルタ島の景色
左はマルタの人々が愛してやまないCISKビール。フルーティで飲みやすく乾いた喉を潤してくれる。

海沿いに立ち並ぶテントはオフシーズンとは思えない程の賑わいだ。新鮮な魚介、フルーツ、大きくて甘そうなパンやヌガー、オリーブやナッツやピクルス。レースや銀細工やチープな玩具や麦わら帽子。キョロキョロしながら二往復して、島特産の海塩とスパイス、蜂蜜とプロポリスを買う。遠い国に来ても、ここの人たちは魚を食べるのだ、と知ると、一気に親近感がわくものだ。そういえばこの旅で、わたしたちはボンゴレやイカ墨パスタばかり、よく食べた。

俳優の鈴木保奈美さんが撮影したマルタ島の景色
マルタ南部にある漁港マルサシュロックの朝市にて。地中海の採りたての魚介類が朝日を浴びてキラキラ輝く。
俳優の鈴木保奈美さんが撮影したマルタ島の景色
 

街に戻る途中で聖アンジェロ砦に立ち寄る。蜂蜜色の石でスッキリと積み上げられた砦はモダンな美術館のようで、凄惨な戦いの血生臭さは微塵も感じない。展望台は広々として、空は晴れ渡り、地中海は青い。この向こうはアフリカ大陸だ。十六世紀、数ヶ月に及ぶ戦いの末、マルタ騎士団がオスマン・トルコを退けたのです、と館内のビデオが教えてくれる。まあ、退けられたオスマン帝国の言い分もあるよねきっと、と思う。

例えば、もしも、この時スレイマン一世が勝利していたら、二十一世紀のマルタ島はどんな顔をしていたのだろう? 街角のあちこちで微笑むマリア像のかわりに、島はアラベスク模様で彩られていたかもしれない。それでも空と海は、今日と同じように青いはず。そしてわたしはやっぱりのんきに、「うわあ、この海の向こうはアフリカ大陸なんだ」と言いたい。

日本に帰ってきた次の週、マッサージに行って土産話をしていたら、背中側からエステティシャンが素っ頓狂な声を上げた。「大変、ホナミさん、連れて帰ってきちゃいましたよ! まさかカタコンベに行きました!?」へ? カタコンベには、行かなかったけど。そういえば騎士団長の宮殿でいっぱい武器を見て、気味が悪かったんだよね、何か、いたのかしら?「うわ、それですね。体調悪くありませんでした? えい、えいっっ、大丈夫、祓っておきましたよ!」ええと、なんだか、ありがとうございます…。 

あれだけの場所だから、いろんな想念が宿っていてもおかしくはない。だけどわたしは元気に楽しく旅してきたから、良くない影響は受けていない。それよりもっと知りたくて、考えたい。そして願わくば、港区までついて来てしまった何者かが、ぐるりと東京上空を旋回して、同じ島でも騒々しくて平和な国もあるもんだ、なんて感慨とともに、無事に地中海を渡ってあの蜂蜜色の街に舞い戻っていられますように(無事にっていうのもおかしなものだけど)。

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PHOTO :
鈴木保奈美(本人の写真は、スタッフ、友人、家族が撮影)
EDIT :
喜多容子(Precious)