【目次】

【前回のあらすじ】

ドラマ前々回の「鸚鵡(おうむ)のけりは鴨(かも)」では、松平定信(井上祐貴さん)が強行した幕府の出版統制により、恋川春町(岡山天音さん)が衝撃的な自死を遂げます。

第36回より。(C)NHK
第36回より。(C)NHK

蔦重(横浜流星さん)にとっても定信にとっても、春町の死はあまりに重く、「春町の死をむだにしないためにも、ここで退くわけにはいかない…」と、ふたりとも「自分なりの正義」にとらわれてしまい、それぞれが信じるやり方で、暴走していきます。

「世を正しく導こう」と、市井を顧みず倹約の鬼になる定信と、「演太女(エンタメ)の力で権力に抗(あらが)おう」と、定信に一矢報いることにこだわる蔦重。己の「正義」のために突き進むふたりは、そのベクトルこそ正反対ではありますが、人の意見に耳を貸さず、視野狭窄(きょうさく)に陥っているところはそっくりです。

対立といえば、プロデューサー・蔦重と、クリエイター・山東京伝(古川雄大さん)の反目ぶりも、今回の見所でした。春町が亡くなり、朋誠堂喜三二(尾美としのりさん)も去り、大田南畝(桐谷健太さん)ら有能なクリエイターを次々に失った蔦重ですが、幕府から厳しい制裁がいつ下るのか予測がつかない今、武士の作家に頼ることはできません。そういう意味でも、町人だった京伝は、蔦重にとってはまさに「地獄に仏」ならぬ「地獄に京伝」な存在だったのです。

(C)NHK
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蔦重より11才年下の京伝は、ベテラン戯作者の間を調子よく立ち回る、才能豊かなチャラ男という印象でしたが、今や彼も29歳。『江戸生艶気樺焼(えどうまれうわきのかばやき)』などを世に出したヒットメーカーのひとりとなっていました。蔦重としては「自分がその才能を発掘した」との思いが強かったかもしれませんが、京伝自身、すでに世に認められた人気クリエイターであり、しかも『黒白水鏡(こくびゃくみずかがみ』という黄表紙(京伝は北尾政寅として絵を担当)で罰金を科せられたばかり。うかつには動けません。

しかし、さすが京伝。やってくれました! 八方塞がりの状況のなか、歌麿と共に『傾城買(けいせいかい)四十八手』という洒落本を創り上げ、その才で蔦重をうならせます…ここまではよかったのですが、実は同時期、別の版元からも『心学早染草(しんがくはやぞめぐさ)』という本を出版します。

これは当時流行りの心学を取り入れた、教訓的傾向の強い黄表紙です。私たちにもおなじみの、「善玉」「悪玉」という言葉もこの作品が由来といわれ、似たような黄表紙が次々に出板される程、大ヒットになりました。黄表紙としては異例の理屈臭さも特徴で、まじめな定信が主導する、新たな時代のムードにぴったりとマッチした内容となっていました。

『心学早染草』について、「権力におもねった本だ」と怒りを爆発させる蔦重に対して、権力に抗うとか抗わないとかより、面白いことがいちばん大事だと訴える京伝。

京伝の、「おもしろけりゃいい」という価値観は至極真っ当。そして何より「豆腐の角に頭をぶつけて死ぬ」という、戯作者としての生き方を最期まで貫いた、恋川春町の気持ちを汲んだものでもありました。それすら気付かず、京伝の頭を本で思い切り叩く蔦重の強権ぶりは、駿河屋の親父さん(高橋克実さん)そっくりです。こんなの全然おもしろくもなんともないよ、あの世で春町先生が泣いてるよ、蔦重(号泣)!

今回見せた蔦重の言動に、忍び寄る「老い」、感性や嗅覚の鈍化を感じてしまったのは、筆者だけでしょうか…? 蔦重の「老い」と京伝の「成熟」…時の流れは残酷なものです。

さて、定信が中州(隅田川を埋め立てつくられた歓楽街)を取り壊し、岡場所の取り締まりを始めたことで、吉原には仕事を失った女郎たちが溢れ、倹約令の影響もあって、まさに存亡の危機。

『べらぼう』第1話で、初めて田沼意次(渡辺謙さん)に会った蔦重が、「警動(けいどう)」を願い出たのを覚えていますか? 警動とは私娼のいる地域や賭場に対して行う、不意の取り締りのこと。意次が断った警動を、奇しくも今回、定信が実行したことで、意次の為政者としての判断が正しかったことが証明されたのでした。

一方で、喜多川歌麿(染谷将太さん)は、着実に巨匠への道を歩み始めます。栃木ネタの漫才でおなじみの「U字工事」の益子卓郎さんが、栃木の豪商・釜屋伊兵衛役で登場。熱烈なファンとして、歌麿に肉筆画を依頼します。肉筆画とは、絵師が直接、筆で描いた一点もの。絵師としての名が高まるだけでなく、報酬も高額です。

歌麿の最高傑作と言われる肉筆画「雪月花三部作」(深川の雪・品川の月・吉原の花)は、伊兵衛の依頼によるものといわれています。なかでも「品川の月」は天明8(1788)年、「吉原の花」は寛政3~4(1791~92)年の製作とされますから、いずれ『べらぼう』でも、その描写を見ることができるかもしれませんね。

伊兵衛からの依頼を報告し「おきよがいたら、俺、何でもできそうな気がするよ」と、愛しそうにきよさんを抱きしめる歌麿。ところが、アップになったきよさんの足には湿疹のようなものが…。さらにドラマ後半では湿疹が増え…「もしかして、それ梅毒?」「残酷すぎ!」と、SNSをざわつかせました。


【江戸の女房は強かった!】

吉原に吹く不景気風を吹き飛ばそうと、政演(山東京伝)と歌麿に絢爛豪華な吉原本を依頼する蔦重に、妻のていさん(橋本愛さん)は真っ向から反論します。今回は夫婦のガチバトルがますますヒートアップ。メガネを外し、蔦重相手に一歩も引かない、ていさんのすさまじい目力に、思わず目を閉じてしまう蔦重がなんとも微笑ましかったですね。

(C)NHK
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思えば、恋川春町が生前最後に話した相手は、ていさんでした。蔦屋の前で立ち話をしていたとき、豆腐の行商人が上げる「とうふ〜」という声を、春町と共にていさんも聞いていたはずです。その後の展開を考えれば、ていさんは、自分たちを巻き込むまいとひとりで逝くことを決意した、春町の気持ちを絶対にむだにはしまいと固く心に決めていたに違いありません。

■「韓信の股くぐり」とは

「旦那さまは所詮、市井のいち本屋にすぎません」「お志はわかりますが、少々己を高く見積もりずぎではないでしょうか」。京伝に対しある意味、独裁者のようにふるまう蔦重に向かって、ていさんはこう言い放ちます。つまり、「一介の庶民が自惚(うぬぼ)れて勘違いすんなよ!」ってこと!

さらに「韓信の股くぐりとも申します」と主張しますが、この意味、おわかりでしたか?

韓信とは中国の前漢の武将です。若いときに町で無頼の男に辱められ、相手の股をくぐらされるという屈辱を受けますが、怒りや憎しみをじっとこらえ、のちに立身出世を果たした人物。この故事から「韓信の股くぐり」は、「大志を抱く者は、目前の恥や苦労を耐え忍ばなければならない」という意味で使われているのです。

■江戸の女は強かった!

蔦重の場合、実質的には入り婿のようなものですから、ていさんの発言にそれなりの力があるのはある意味当然とも言えますが、実際の江戸の夫婦の力関係はどうだったのでしょうか? 「江戸は男尊女卑」だと思い込んでいませんか?

江戸の町は男女の比率がかなりいびつな男社会で、(享保(61721)年の男女比は男100に対して女がわずか55だったと言います。江戸後期に向かい均衡化していきましたが、上流階級の男性が複数の女性を独占していたこともあり、庶民は男余りで生涯独身の男性も少なくなかったのです。

そのため、女性の初婚・再婚、年齢などにこだわる男性はむしろ少数で、幕府も「なるべく女性は2度以上結婚しなさい」と奨励していたそうです。女性が結婚すると、亭主には「床の間に飾っておく」くらいの勢いで大事にされ、「かかあ天下」は当たり前。貧乏長屋で誰かが嫁をもらうと、まるで宝くじに当たったような騒ぎだったとか。

武家など、上流階級になればなる程、女性は「家」という制度に押し込められてしまいますが、財産をもたない庶民においては、かなり自由な夫婦関係、平等なパートナーシップを結んでいました。「三行半(みくだりはん)」と呼ばれる離縁状も、男が女に叩きつけるものではなく、離縁したい女が男からもぎ取っていく「再婚許可証」だったのです。

『べらぼう』で、定信が推進する政治は緊縮財政の最たるものです。過剰な倹約はデフレを引き起こし景気は悪化の一途。日々の少々の贅沢など、ささやなお楽しみまで奪われた庶民は鬱憤が溜まっていくばかりです。一方で日本のリアルとして、この記事が公開される10月4日には、自民党総裁選の投開票が行われます。「寛政の改革」ならぬ「令和の改革」を推し進めてくれるのは誰なのか。女性が働く環境の改善や、女性特有の健康課題に光を当てる取り組みについても、今後の政策でさらに前進していくことを期待したいですね。


【次回 『べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~』第38回「地本問屋仲間事之始」のあらすじ】

蔦重(横浜流星さん)は、歌麿(染谷将太さん)のもとを訪ねると、体調を崩し、寝込むきよ(藤間爽子さん)の姿があった…。

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そんななか、蔦重は鶴屋(風間俊介さん)のはからいで、口論の末、けんか別れした政演(京伝/古川雄大さん)と再び会うが…。一方、定信(井上祐貴さん)は平蔵(中村隼人さん)を呼び、昇進をちらつかせ、人足寄場を作るよう命じる。

さらに定信は、改革の手を緩めず、学問や思想に厳しい目を向け、出版統制を行う。歌麿に新たな仕事を依頼するが、てい(橋本愛)がその企画に反論する。

※『べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~』第37回「地獄に京伝」のNHK ONE配信期間は2025年10日5日(日)午後8:44までです。

この記事の執筆者
美しいものこそ贅沢。新しい時代のラグジュアリー・ファッションマガジン『Precious』の編集部アカウントです。雑誌制作の過程で見つけた美しいもの、楽しいことをご紹介します。
WRITING :
河西真紀
参考資料:『日本国語大辞典』(小学館) /『デジタル大辞泉』(小学館) /『世界大百科事典』(平凡社)/『杉浦日向子の江戸塾』(PHP出板)/『お江戸でござる』(新潮文庫) :