【目次】

【犀星忌とは?いつ・何の日かをわかりやすく解説】

■3月26日は「犀星忌」

「犀星忌(さいせいき)」とは、詩人・室生犀星(むろうさいせい)の命日である3月26日のことです。犀星が肺がんのため、72歳で亡くなったのが昭和37(1962)年のこの日でした。

■何をする日?

「犀星忌」は文学関係者やファンの間で知られる「文学忌日」のひとつ。犀星が生まれ育った金沢では、室生犀星記念館や雨宝院(うほういん)、犀川の畔などに文学ファンが集まり、献花や詩の朗読などが行われることも。また、「犀星忌」に犀星の作品を読み返したり、ゆかりの地を訪ねたりと、それぞれのかたちで偉大な文学者を偲ぶ日といえるでしょう。


【室生犀星とは?生涯と人物像・功績を解説 】

■生涯

室生犀星は、明治22(1889)年、石川県金沢市で旧加賀藩士小畠与左衛門と女中の間に生まれました。生後間もなく雨宝院の住職・室生真乗の内縁の妻にもらわれ、7歳のときに室生の養子となります。幼少期は不遇であったといわれ、高等小学校も中退しています。その後は裁判所の給仕をしながら俳句を習い、文学を志します。そして、地方新聞の記者を経て明治43(1910)年に上京、金沢と東京を行き来しながら苦労して詩作を続けました。

作品が認められ始めたのは大正1(1912)年。翌年には北原白秋が主宰していた文芸雑誌『朱鷺(ザムボア)』に犀星の詩が掲載され、詩人として認められるようになります。

大正5(1916)年に萩原朔太郎と共同で詩の月刊誌『感情』を創刊。美しさを追求する耽美主義的な白秋の『朱鷺』や理屈っぽい知的な詩が主流の時代でしたが、『感情』は人間の生々しい感情を言葉にすることを目指した新感覚の雑誌でした。

大正7(1918)年には『愛の詩集』や『抒情小曲集』を刊行。青年期のみずみずしい感情を文語で綴った詩は大きな反響を呼びましたが、翌年には小説家に転身。以降、抒情詩的な小説を発表し続けました。

亡くなったのは東京都内の病院でしたが、死の数日前までペンを走らせたといわれています。

■功績

室生犀星が日本文学史に残した功績は多岐に渡ります。さくっとまとめてみましょう。

1)生々しい感情を、日常の言葉で表現

犀星は、それまで主流だった堅苦しい文語体ではなく、日常の言葉である口語体で人間の感情を生々しく綴るスタイル「口語自由詩」を確立しました。故郷、金沢への愛憎や孤独などを飾らない言葉で表現し、萩原朔太郎とともに「大正抒情詩」の黄金時代を築きます。

2)詩人から小説家への転身

30代で小説家に転身した犀星。詩人ならではの繊細な感覚を美しい文体で綴った小説は、日本文学に「詩的散文」という領域をもたらしました。

3)萩原朔太郎との友情と文学的交流

朔太郎と犀星の関係は、朔太郎が白秋主宰の雑誌に掲載された犀星の詩に感動し、手紙を送ったことから始まったといわれています。不遇な少年時代を過ごし、貧しい生活から這い上がった「野性味あふれる抒情詩人」である犀星。一方、裕福な医者の家庭で育ち、繊細で鋭敏な感覚で言葉を紡ぐ「孤独な魂の詩人」と称される朔太郎。境遇も作風も異なるふたりでしたが、お互いに自分を理解しうる唯一の人として認め合うように。やがて詩誌『感情』の創刊で萩原朔太郎も世に出ますが、「ふたりの切磋琢磨がなければ日本の近代詩は違うものになっていた」といわれています。

4)後進への影響と育成

小説家へと転身した犀星ですが、その作品には詩人としての鋭い感覚が宿り、「詩的散文」というスタイルを確立しました。これは、後進の作家に大きな影響を与えました。犀星を師と仰いだ堀辰雄は、犀星の抒情性を近代的な文学へと発展させたといわれています。また、言葉の響きを重んじた犀星の作品は、戦後の作家たちに「日本語の美しさ」を再認識させました。

犀星がポケットマネーを投じて昭和35(1960)年に設立したのが「室生犀星詩人賞」(第7回で終了)。優れた詩集に贈られる賞で、彼の「後進を育成したい」という強い思いの表れでした。


【室生犀星の代表作と名言】

■代表作1「小景異情」(1918年)

「ふるさとは遠きにありて思ふもの そして悲しくうたふもの」の一節は、広告や映像作品などでも引用されることが多く、印象に残っている方も少なくないはずです。これは世の中に認められる以前の「小景異情」という作品の一部です。日本語の響きを大切にし、感情を口語体に乗せて表現した犀星の作品は、音読すると、日本語の響きの美しさがより鮮やかに感じられます。犀星の原点であり、春の気配を感じさせるこの作品は、「犀星忌」のころに読んだり口にするのにふさわしいと言えますね。

■代表作2「あにいもうと」(1934年)

「あにいもうと」は、粗暴だけれど妹を深く愛する兄と奔放な妹の情愛を描いた物語で、「犀星が小説家としての地位を確立した作品」といわれています。映像化との相性もよく、これまでに1936(昭和11)年、1953(昭和28)年、1976(昭和51)年と複数回映画化されており、なかでも1976年版は今井正監督、草刈正雄さんと秋吉久美子さんの主演による作品として、現在も広く知られています。

■代表作3「杏っ子」(1957年)

読売文学賞を受賞した、犀星の晩年の代表作のひとつ。自身の複雑な生い立ちを背景に、家族の関係性や女性の生き方を繊細に描いた自伝的色彩の濃い小説で、美しく抒情的な文体が印象的です。


【ビジネス雑談に使える「犀星忌」の豆知識】

「犀星忌」にちなみ、室生犀星という文学者の会話の糸口として取り入れてみてはいかがでしょうか。

■杏の花をこよなく愛した

「犀星忌」は別名「杏花忌(きょうかき)」とも呼ばれます。これは彼が愛した杏の花が「犀星忌」のころにほころぶことに由来します。現在、室生犀星記念館となっている彼の旧別荘には、杏の木が植えられています。

■「室生犀星記念館」はふたつあります

杏の木がある旧別荘は軽井沢にあります。犀星は1931(昭和6)年に別荘を建て、亡くなる前年までの約30年間、毎年夏をここで過ごしました。堀辰雄や川端康成、志賀直哉など、彼と交流した多くの作家も訪れています。現在は室生犀星記念館として、例年4月下旬から11月初旬にかけて一般公開されています。

また、生まれ育った金沢市にも室生犀星記念館が。こちらは生家跡に建つミュージアムで、平成14(2002)年にオープンしました。直筆原稿や愛用品などの所蔵品を公開しています。

■大の犬好き!

文学界随一の愛犬家としても知られる犀星。特に愛犬ジモンとの交流や、愛犬に注いだ愛情は、随筆「ジモン」や「犬の系譜」にも綴られています。彼によると、犬は「人間が忘れてしまった誠実さを瞳に湛えている」のだそう。萩原朔太郎との仲を取り持ったのもジモンだったようです。軽井沢で過ごしている時期には、毎日犬と散歩する姿があったとか。

■猫も好き!

犀星は愛犬家として有名ですが、猫にも愛情たっぷり。生涯、犀星やその家族が飼った犬は3匹ですが、猫は10匹近くだったそう! 犀星と愛猫のジイノが、ともに火鉢にあたっている写真が知られ、ジイノは「火鉢猫」として犀星ファンの間でも愛されています。

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  • 犀星が好んだ杏の花は、バラ科の落葉小高木。薄紅色の花弁は梅の花のように可憐で、果実に似た甘酸っぱい香りを漂わせます。実は生食でも、干したりジャムにしたりも。また種子は漢方で「杏仁(きょうにん)」といい、咳止めなどにも用いられます。「犀星忌」に彼の作品を音読(脳活にいいそう!)したり、杏のスイーツをいただくのもいいのではないでしょうか。

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