【目次】

【「プロレス記念日」とは? 制定の由来と7月30日の意味】

7月30日はプロレス記念日として知られています。日付は1953年7月30日に、プロレスラーの力道山が日本プロレスリング協会を設立したとされることに由来します。プロレス記念日は戦後の日本プロレス界の礎となった出来事を記念した日であり、現在では、プロレスの歴史や魅力にふれるきっかけとして紹介されています。

なお、この記念日は企業や団体が登録したものではなく、由来となる出来事にちなむ「今日は何の日」として知られているものです。現時点では、制定した団体や制定時期を示す公的な資料は確認できませんでした。


【力道山とは? 日本プロレス人気を築いた伝説のレスラー】

■伝説のレスラーは相撲界出身だった

力道山さんは昭和を代表するプロレスラーのひとりです。1924(大正13)年、朝鮮半島の生まれとされ、戦前は大相撲の力士として活躍しました。1939(昭和14)年に二所ノ関部屋へ入門し(※)、1940(昭和15)年に初土俵。1949(昭和24)年には関脇へ昇進するなど、将来を期待された力士でした。しかし、1950(昭和25)年に大相撲を引退。その後、プロレスラーへ転向し、アメリカで経験を積みながら新たな道を歩み始めます。

※1940年という説もあります

■日本プロレス界の礎を築いた存在

1953(昭和28)年、力道山は日本プロレスリング協会を設立。翌1954(昭和29)年には、木村政彦さんとタッグを組み、アメリカから来日したレスラー、シャープ兄弟と対戦。この試合は日本テレビで中継され、大きな注目を集めました。力道山さんが繰り出す「空手チョップ」は、プロレスを象徴する技として広く知られるようになり、戦後の日本で大きな人気を獲得。外国人レスラーと戦う姿は、多くの日本人に熱狂をもって受け入れられ、プロレスブームの中心的存在となりました。

■ジャイアント馬場やアントニオ猪木など、多くの弟子を育成

力道山さんは、自身がスター選手として活躍しただけでなく、後進の育成にも力を注ぎました。後に日本プロレス界を代表する存在となるジャイアント馬場さんやアントニオ猪木さんも、力道山が率いた日本プロレスで育ちました。力道山の名は現在も日本プロレス史に刻まれ、高く評価されています。

1963(昭和38)年12月、東京・赤坂で暴力団員に腹部を刺され、手術を受けましたが、同月15日に39歳で亡くなりました。


【日本のプロレスの歴史|戦後から現在までの歩み】

■日本のプロレスのルーツは明治時代に

日本のプロレスの歴史は、実は戦後から始まったものではありません。

日本人レスラーの海外での活動や、西洋式レスリングの興行は明治時代から見られました。また、1921(大正10)年には、アメリカのレスラー、アド・サンテル氏が来日し、柔道家との対抗試合を行っています。ただし、こうした試合を現在につながる「日本初のプロレス興行」とみなすかについては諸説あります。プロレスが継続的な興行として大衆に定着したのは、力道山さんが活躍した第二次世界大戦後のことです。

■力道山が築いた戦後プロレスの黄金期

日本のプロレスが全国的なブームになるきっかけとなったのが、力道山さんの登場です。1951(昭和26)年、元大相撲関脇の力道山さんがアメリカのレスラーらと試合を行ったことを機に、日本で本格的なプロレス興行が始まりました。1953(昭和28)年には日本プロレスリング協会を設立。

1954(昭和29)年のシャープ兄弟との対戦では、かの有名な「空手チョップ」を武器に、外国人レスラーと戦う姿が注目を集めました。プロレス興行はテレビ中継とも結びつき、街頭テレビに人々が集まるなど、戦後日本を象徴する娯楽のひとつへと成長しました。

■新たな団体設立とスター選手の誕生

力道山さんの死後、日本プロレス界は絶対的なスターを失いましたが、ジャイアント馬場さんやアントニオ猪木さんらの活躍が、プロレス人気の再燃を牽引します。1972(昭和47)年には、新日本プロレスと全日本プロレスが旗揚げされ、それぞれが異なる個性をもつ団体として発展。猪木による異種格闘技戦など、新たな魅力も生まれました。

■多様なスタイルへ進化する現代プロレス

1990年代以降は、多くの団体が誕生し、プロレスのスタイルも多様化しました。現在では、男子プロレス、女子プロレスをはじめ、大規模な団体による興行だけでなく、地域に根ざした活動や、エンターテインメント性を重視したプロレスなど、時代とともにかたちを変えながらも、幅広い世代に支持されるエンターテインメントとして受け継がれています。


【プロレスとは? 基本ルールと勝敗の決まり方】

■そもそも「プロレス」って?

プロレスとは、「プロフェッショナル・レスリング[professional wrestling]」の略称です。リング上でレスラー同士が技をかけ合い、勝敗を競う競技であると同時に、観客に物語や感情、迫力ある攻防を届ける興行として発展してきました試合では、相手を投げる、押さえ込む、関節技をかけるなど、さまざまな技が繰り広げられます。レスラーには高い身体能力や技術だけでなく、試合を盛り上げる表現力も求められるのが、プロレスならではの大きな特徴ですね。

■勝敗はどのように決まる?

プロレスの代表的な勝敗の決まり方には、以下のようなものがあります。

◆フォール勝ち

相手の両肩をマットにつけ、レフェリーが3カウントを数えると勝利となります。プロレスを象徴する決着方法のひとつです。

◆ギブアップ

勝ち関節技などをかけられた選手が、降参の意思表示をすることで試合が終了します。

◆ノックアウト(KO)、レフェリーストップ

ダウンした選手が規定のカウント以内に立ち上がれない場合や、レフェリーが試合続行不能と判断した場合に決着します。採用される方式は団体や試合形式によって異なります。

◆リングアウト

リング外に出た選手が、規定のカウント以内に戻れなかった場合は敗北となります。

◆反則負け

禁止されている攻撃などを行った場合、レフェリーの判断で失格となることがあります。

※細かなルールや決着方法は、団体や試合形式によって異なります。

■多彩な試合形式

プロレスには、1対1で戦う「シングルマッチ」だけでなく、複数の選手が組んで戦う「タッグマッチ」など、さまざまな形式があります。試合形式によって戦術や展開も変わり、レスラー同士の技の応酬だけでなく、チームワークや駆け引きも見どころのひとつです。


【プロレスと格闘技の違いとは?】

■プロレスと格闘技。どこが違う?

プロレスと格闘技は、どちらも相手と戦う競技ですが、その成り立ちや目的には違いがあります。

ボクシング、柔道、総合格闘技などの競技では、統一されたルールのもと、その場の攻防によって勝敗を決めることが基本です。

一方、プロレスはリング上の攻防に加え、選手のキャラクター、対立関係、入場、技の見せ方などを含む興行文化として発展してきました。どちらも高度な身体能力と技術を必要としますが、観客への見せ方や物語の位置づけに違いがあります。

■プロレスならではの「魅せる」要素

プロレスの大きな特徴は、競技性とエンターテインメント性の共存です。華麗な技の応酬、選手同士の因縁、会場を盛り上げるパフォーマンスなど、観客を引き込む演出もプロレスの魅力のひとつです。そのため、プロレスラーには格闘技術や身体能力だけでなく、観客に物語を伝える表現力も求められます。

■「勝敗」だけでは語れないプロレスの魅力

プロレスでは、勝敗そのものだけでなく、そこに至るまでの過程や選手の個性も大切にされています。強さを競うだけではなく、レスラーの生き方やライバル関係、技を受けて立ち上がる姿なども含めて楽しむ文化が、長くファンを魅了してきました。

■比喩として使われる「プロレス」

日常会話では、ときに「プロレス」が、表面上は激しく対立しながら、実際には一定の了解のもとで展開されるやり取りの比喩として使われることがあります。

しかし、こうした用法は、プロレスそのものを単なる「出来レース」とみなす誤解にもつながります。実際のリングでは、鍛え抜かれた身体、受け身、安全に技を成立させる技術、対戦相手との信頼関係が不可欠です。


【日本の代表的なプロレス団体と歴代人気レスラー】

■日本プロレスの礎を築いた「日本プロレス」

1953(昭和28)年、力道山さんによって設立された日本プロレスリング協会(通称・日本プロレス)は、日本における本格的なプロレス興行の中心となりました。力道山さんの活躍によってプロレス人気が高まると、その後の日本プロレス界を支える多くのレスラーが育成されます。

なかでも、ジャイアント馬場さんやアントニオ猪木さんは、のちに日本を代表するスター選手へと成長しました。力道山さんの死後もかれらふたりを中心に活動を続けましたが、主要選手の離脱やテレビ中継の終了などが重なり、1973(昭和48)年に興行活動を停止しました。

■日本プロレスの系譜を受け継ぐ団体

日本のプロレス界には、現在も多くの団体が存在し、それぞれ独自のスタイルで活動しています。

代表的な団体として知られるのが、1972(昭和47)年に旗揚げされた新日本プロレスと全日本プロレスです。
新日本プロレスは、アントニオ猪木さんが創設した団体で、強さや競技性を重視したスタイルでも注目を集めました。現在では国内最大規模のプロレス団体のひとつとして、国内外で興行を展開しています。

全日本プロレスは、ジャイアント馬場さんが創設した団体です。大型外国人レスラーとの対戦や、技の攻防を重視したスタイルで人気を獲得しました。

2000(平成12)年には、全日本プロレスから独立するかたちでプロレスリング・ノアが旗揚げしています。

現在では、大規模な会場で国内外へ興行を発信する団体に加え、地域に密着した団体、物語性やエンターテインメント性を前面に出す団体などが活動しています。プロレスは時代に合わせて姿を変えながら、幅広い観客に支持される興行文化として受け継がれています。

■日本を代表する名レスラーたち

日本プロレス史には、時代を象徴する多くのスター選手が登場しました。

◆力道山さん

戦後日本にプロレスブームを巻き起こした国民的スター。「空手チョップ」を武器に外国人レスラーと戦う姿は、多くの人々を熱狂させました。

◆ジャイアント馬場さん

身長209cmともいわれる巨体を生かした豪快なファイトで人気を集め、全日本プロレスを創設。長年にわたり日本プロレス界を牽引しました。

◆アントニオ猪木さん

新日本プロレスを創設し、「闘魂」を掲げて数々の名勝負を生み出しました。異種格闘技戦など、新しいプロレスの可能性を示した存在です。

◆初代タイガーマスク

華麗な空中技で、それまでのプロレスのイメージを大きく変えました。1980年代のプロレス人気を支えたスターのひとりです。

■時代とともに広がるプロレスの魅力

現在のプロレス界では、伝統的なスタイルを受け継ぐ団体だけでなく、エンターテインメント性を重視する団体、地域に根ざした活動を行う団体など、多様な形で発展しています。


【「プロレス記念日」に知っておきたい豆知識】

■街頭テレビを熱狂させたプロレス中継

1950年代、日本ではまだテレビが一般家庭に広く普及していませんでした。そんな時代に、多くの人を集めたのがプロレス中継です。街頭テレビの前には黒山の人だかりができ、力道山さんと外国人レスラーの対戦に人々が熱狂しました。

1963年5月24日に日本テレビ系列で生中継された「ザ・デストロイヤー 対 力道山」戦は、平均世帯視聴率64.0%(ビデオ・リサーチ調べ)を記録し、現在でも、歴代高視聴率番組の4位にランクインしています。プロレス人気は、テレビという新しいメディアの普及とも深く結びついていたのです。

ちなみに、歴代高視聴率番組の第1位は、1963年12月31日に行われた「第14回NHK紅白歌合戦」。平均視聴率81.4%という驚異の数字です。

■「空手チョップ」は力道山の代名詞

力道山さんの必殺技として知られる「空手チョップ」は、プロレスを象徴する技のひとつです。実際には空手の技そのものではなく、手刀を使った打撃技として広まりました。外国人レスラーを相手に戦う力道山の姿とともに、多くの人々の記憶に残っています。

■プロレスは世界各地で独自に発展している

プロレスは日本だけでなく、アメリカやメキシコなど世界各地で人気を集めています。アメリカではエンターテインメント性を前面に打ち出す団体が発展し、メキシコでは華麗な空中技でも知られる「ルチャ・リブレ」が独自の文化を築いてきました。日本のプロレスも海外の影響を受けながら、独自の進化を続けています。

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力道山さんが日本プロレスリング協会を設立したことに由来する「プロレス記念日」。戦後の日本で人々に夢や興奮を届けたプロレスの人気はテレビ時代の到来とともに大きく広がりました。時代とともにかたちを変えながらも、鍛え抜かれた肉体で観客を魅了し、選手それぞれの個性や物語を伝えるプロレスの魅力は、今も多くのファンを惹きつけています。

この記事の執筆者
Precious.jp編集部は、使える実用的なラグジュアリー情報をお届けするデジタル&エディトリアル集団です。ファッション、美容、お出かけ、ライフスタイル、カルチャー、ブランドなどの厳選された情報を、ていねいな解説と上質で美しいビジュアルでお伝えします。
参考資料:『デジタル大辞泉プラス』(小学館) /『日本大百科全書 ニッポニカ』(小学館) /『世界大百科事典』(平凡社) /一般社団法人 日本プロレスリング連盟(https://www.ujpw.org) /日本レスリング協会公式サイト(https://www.japan-wrestling.jp) /nippon.com「日本のプロレスの歴史」(https://www.nippon.com/ja/features/h00082/) /ビデオリサーチ調べ 週間リアルタイム視聴率ランキング「全局高世帯視聴率番組50」(https://www.videor.co.jp/tvrating/past_tvrating/top50/50.html) :