鈴木保奈美さんの連載「Carnet de petite voyageuse 中途半端な旅人は語る」第二十三回
俳優の鈴木保奈美さんが、趣味のひとつである旅をテーマに、これまでの旅路を振り返る大好評連載「Carnet de petite voyageuse 中途半端な旅人は語る」。第二十三回となる今回は、【旅の絵本】と題してお送りします。
2024年よりスタートしたこの連載が、このたび一冊の単行本になりました。書籍には新たに書き下ろされたコラムに加え、保奈美さん自らシャッターを切った旅の風景や、家族が撮影したプライベートショットまで、本誌未公開カットも多数掲載されています。気になる本の内容は記事末をチェックください(一部試し読みもいただけます)。
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第二十三回「旅の絵本」 文・鈴木保奈美
遅くまで仕事をして帰宅して、シャワーを浴びて、寝つけずについとテレビの衛星放送をつける。そんなときタイミング良く出会えたら嬉しくてずっと観てしまう番組が三つある。『駅ピアノ(街角ピアノ、空港ピアノもある)』、『グレートレース』そして『ツール・ド・フランス』。グレートレースは、世界中の山地や湿地やジャングルを何百キロも、何日もかけて走破するレースで、ランナーたちは身体もメンタルもボロボロになりながら走り続ける。大会は地元の人たちがボランティアで支える。奇特な人たちがいるものだなあ、と、いつも見入ってしまう。
そして、ツール・ド・フランス。世界一の自転車レースなのだが、実は何度観ても、ルールがさっぱりわからない。もちろん速さを競うのだけれど、どうやら個人競技でありつつチーム戦でもあるようだし、山登りの強度にレベルがあってポイントが付いたり、短距離のタイムトライアルがあったりして、順位も毎日入れ替わる。ヘルメットとサングラスで選手の顔も覚えられない。でも、いいんだ。だってフランスの田舎の素晴らしい景色がずっと映し出されているから。
ちなみにフランスに住む友人にこの大会について質問してみたらば、
「フランス人が全員ツールが好きってわけじゃない、でも七月にテレビをつけたら絶対やってるから、なんとなく観てるね。景色、いいしね。いつか沿道で応援してみたいとは思うかな、ちょっと」
なんだそうだ。箱根駅伝をゆる〜くした感じかなあ。
主にフランスの(ときどき周辺国へコースを延ばすこともあるらしい。今年のスタート地はバルセロナだった)なんでもない山や森や田園地帯を数十台の自転車が列になって走り抜ける。何もない、のが、いい。何もないのに、ないからこそ、動く絵葉書みたいだ。そしてときどきどこかの村へ入って行く。教会を中心にして、役場と郵便局と雑貨屋があるだけの、田舎の小さな村。狭い道の両側で、村の人たちが大騒ぎで選手たちを応援する。十分も走れば通り抜けてしまって、また緑色の田園風景に飛び出していく。この、変化が好きだ。東京は、大きすぎる。どこまでもどこまでも都市がダラダラと続いて、空白がない。わたしにとっては生まれ育った大好きな場所で、きっと離れられないのだろうけれど、ときどき息が詰まりそうにもなる。
ツール・ド・フランスを観たら必ず手に取りたくなるのが、安野光雅『旅の絵本』(福音館書店)だ。船でやってきた旅人が、岸へ着く。馬を借りる。トコトコトコ。森で働く人がいる。畑で野菜を作る人がいる。家が建ち始める。トコトコトコ。家が増えてゆく。公園。小川。学校。城壁の内側へ入る。広場。市場。教会。城。祭り。駅。それからまた民家。街外れの牧場で牛が草を食む。トコトコトコ。やがて村人の姿は見えなくなり、旅人は森を抜け、馬を返して丘を越える。そうしてまた、次のどこかへ。
いくつもの村や森をドカンと突っ切る高速道路はこの絵本には登場しない。馬と自転車の速度は倍くらい違うのだけれど、集落に続く道があり、外から中へ、それからまた外へ、地面をたどって移動する旅人と自転車選手が、似ているなあ、と思う。そして、ううむ、このくらいの速さでいいんじゃないか? と思ったりする。
もちろん、わたしは高速道路と新幹線のおかげであちこち仕事に出かけられるし、飛行機のおかげで外国へも行くことができる。後戻りなんかできっこない。だけど、人間という生き物が本来許容できる範囲の速度や高度を超えて移動し続けて、生物レベルで大丈夫なんだろうか? と、心配になってしまうことがある。
そういえば、この間、しまなみ海道をドライブしたときに感じた言いようのない不安も、これだったのかもしれない。巨大な橋ができたおかげで、わたしは半日でいくつもの島を見て回ることができたし、島に住む人たちにも大きな恩恵があっただろう。みんなが住みやすくなるように、よくよく考えられたプロジェクトに違いない。けれど島をつなぐ橋を岸辺から見上げたとき、なんだか勿体無い、と思った。古(いにしえ)の海賊たちが跋扈(ばっこ)した、緑の島々がいくつも浮かぶ瀬戸内の風景は永遠に失われてしまったのだなあ、と寂しさに見舞われた。
それでも、わたしたちは留まることはできない。いつか火星にだって、本当に行ってしまうのだろう。
今年は安野光雅さんの生誕百周年だった。記念の展覧会が立川の美術館で開かれた。去年から楽しみにしていたこの展覧会が終了する間際、ギリギリに、観に行くことができた。
安野さんが初めて海外へ、ヨーロッパへ旅したのは1963年のことだったそうだ。それから生涯で通算二百回以上も渡航されたとのこと。おお〜。そして、どうやら飛行機の窓から見下ろす地上の景色に魅了されていらしたらしい。わたしと同じ! 嬉しい! そのときのことが絵本の解説に記されている。上空から見たシベリアの大地。道が見える。人が暮らしているということだ。あの道はどこへ続くのだろう? うんうん、わかります。やがてヨーロッパに近づき、高度が下がる。森が見える。牧場が、湖が、線路と駅が見えてくる。わたしは初めてヨーロッパへ行ったとき、ベルギーあたりの上空で、うわ、ほんとに郊外にお城があるんだ、とか、家の屋根は全部赤くて、道に沿って綺麗に並んでいるんだ、ということに感動した。あの一つ一つの屋根の下に住む人たちは、どの道を通って学校や仕事に出かけ、どこで買い物をするだろう?
安野さんが初めて降り立ったのはコペンハーゲンだったそうだ。飛行機が着陸する寸前、ぐんぐん近づいてくる未知の土地の風景は、どれほど大きな期待に満ちていたことだろう。このときの気持ちが『旅の絵本』を描くきっかけになったと書き残されている。あっそうか、だからこの絵本に描かれる風景は俯瞰なんだ、しかも高度を下げた、あと三分くらいで滑走路に届くくらいの高さ、きっと少年のようにキラキラと、好奇心に満ちた瞳で、窓ガラスに額をくっつけていらしたに違いない。
絵本を閉じて、ふう、と息をつく。こんなふうにまっさらに、心を開いて旅に出かけようと思う。
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- PHOTO :
- 鈴木保奈美 (本人の写真は、スタッフ、友人、家族が撮影)
- COOPERATION :
- ライカカメラジャパン
- EDIT :
- 喜多容子(Precious)
















