鈴木保奈美さんの連載「Carnet de petite voyageuse 中途半端な旅人は語る」第二十回
俳優・鈴木保奈美さんの大好評連載「Carnet de petite voyageuse 中途半端な旅人は語る」では、保奈美さんの趣味のひとつである旅をテーマに、これまで経験してきた旅路を振り返ります。
第二十回となる今回は、【いつか】と題してお送りします。
第二十回「いつか」 文・鈴木保奈美
2026年3月。中東のニュースばかり見ている。野球は好きなのに、WBCの大谷選手の活躍をまったく知らない。中東ばかり追っている。
先週、雑誌の取材を受けたとき、インタビュアーから「鈴木さんは、ニュースにずいぶん関心があるんですね」と言われて、大いに驚いて、逆に取材をしたくなった。「世間の皆さんは、ニュースを見ないんですか?」と。そのインタビュアーは、「ええ、ほとんど見ないと思いますよ、たいていの人は」と答えた。本当だろうか。
わたしは政治の椅子取りゲームへの関心は薄いし、経済の専門用語に至ってはちんぷんかんぷんだ。けれど、国際情勢だけは、──もしかすると「世間の皆さん」よりは少しばかり──気にしている。なぜなら、娘たちが通った学校の関係で、国際結婚したカップルや日本に住む外国人、外国に住む日本人を身近に知っているからだ。
イスラエル人の友人がいる。彼女は日本人男性と結婚し、十年近く東京に住んでいた。彼女とわたしの子供たちは、幼稚園で同級生だった。彼女は教師をしていて、真面目で感情表現が豊かで、おおらかで少し繊細な人だった。一緒に和食屋さんへ行ったとき、懐石弁当の盛り付けに「こんなに小さな空間にこんなに美しく季節を表す食べ物を並べるなんて、日本人だけが持つ特技よ! なんて素敵なの!」と感激していた。家族でイスラエルに帰国した後も、時々メールや電話をくれた。「日本の人は、イスラエルって戦争ばかりしていると思っているんでしょう? でも、わたしたちの住んでいるところは、自然が豊かで、コミュニティの中に学校も病院も劇場も、なんでも揃っていて暮らしやすくて、食べ物が美味しい、素晴らしい場所なの。ホナミも来てくれるといいんだわ」と、よく言っていた。わたしもいつか行きたいわ、と言っていた、その「いつか」は、まだやって来ない。
成長した彼女の息子と娘は、やがて兵役を務めることになった。「おかげさまで成績が良かったから、軍の中心に近い部署にいるらしいの、危険な前線には行かないのよ」と聞いて、「まあ優秀なのね、良かったわね」と返した。そのときわたしは、数点の成績の違いで前線へ送られる若い兵士のことなど考えていなかった。良かったのだ、彼女の家族さえ安心なら。
2023年10月、武装勢力に拉致されたイスラエルの人々の中に、彼女の親戚がいた。それを聞いてわたしは、我がことのように心を痛めた…いや、我がことだっただろうか? わからない。でもとても気の毒に思い、親戚の無事と、彼女の心の平穏を祈った。彼女は人質の家族グループの中心となり、政府に働きかけたり、海外メディアに訴えたり、精力的に動くようになった。わたしは何もできないながらも、彼女の動向を追い、心の中で応援していた。ところが、彼女の口ぶりがだんだん極端になってきた。曰く、パレスチナ人が悪いのだ、イスラエルは完全に正しいのに、と。その言葉をどう受け止めれば良いのか、わたしはわからなくなった。長い歴史を経てそれぞれが信じる正義に、善悪の区別をつけられるだろうか? 遠い島国に住む部外者が、何を思えば良いのだろう?
2年ののち、彼女の叔父と叔母は無事に帰ってきたそうだ。でも、彼女の闘いは終わっていないようだ。そしてわたしたちは、もう連絡をとっていない。
そうして新たな火蓋が切られて、わたしは恐れ慄(おのの)いてニュースにかじりついている。なぜならついこの間、母と旅した、そして娘が滞在するドバイにも影響が及んでいるからだ。見覚えのあるビル群。母娘で展望台から見た場所に黒煙が上がっている。幸いにも、娘はすこぶる元気で、日本で報道されているような危険は感じていないと呑気なメッセージを送ってきた。それでも気が気でならない。ニュースの画面の中の出来事が、初めて「我がこと」としていきなり胸に飛び込んできた。ああ、これが本当の脅威だ。今までの自分はあまりにも軽薄で狭量な嘘つきだった。イスラエル人の友への心配なんて、生ぬるい同情に過ぎなかった。彼女が受けた、受け続けたショックはいかほどのものだったか。想像力が欠如しているのは、わたしも、「ニュース? 見ませんねえ」という大半の人々も、変わりはないのだ。
攻撃を受けた街角で、イラン人の女性がカメラに向かってつぶやいた。「アメリカもイランも、どちらも良いと思わないわ。あの人たちは、話し合うということができないのかしら?」ええ、本当に。わたしたちは小学生の頃から、喧嘩をしないで話し合いましょう、と教えられているのに。ごめんね、いいよ、で仲直りだよ、と教えられているのに。だけどわたしは、と思う。もしも自分の家族が戦禍に巻き込まれたら、絶対に「いいよ」だなんて許さないだろう。家族を奪った相手を一生憎み続けるだろう。憎まないためには、奪われてはならない。奪わせてはならない。たとえ戦闘員だとて、誰かの娘か息子であることに変わりはない。戦いを終えて家に帰れば、誰かの父であり、母であり、兄や姉であるのだ。「罪のない市民」と「兵士」の間に、境界線なんてないはずだ。どの一人でも、奪わせてはならない。
もしも私たちの頭上にミサイルが落ちてきそうなとき、戦争は国が勝手にやっていることです、罪のない国民にはかまわないでくださいという理屈が通るだろうか? だって、さっきのニュースの女性の言葉を借りれば、「話し合うことができないあの人たち」に、国の舵取りを任せてきたのは誰だ? 逃げ惑うだけの被害者になる前に、「話し合うことができる人たち」を選べる権利と、選ぶ義務を、少なくともわたしたちは持っている。そのありがたみと責任を、改めて確かめる。
飛行機の窓から大地を眺めるのが好きだ。地球の表面にウニュウニュとしわが寄って山となり、雨が溜まって湖となり、流れる川が地形を作る。草が生え、森ができ、水辺に人が住み着いて、道を伸ばす。燃やさないでほしい。イランにも、レバノンにも、イスラエルにも、素晴らしい自然と人が築いた街がある。貴重な遺跡がたくさんある。どうか破壊しないでほしい。そして、いつか空が静かになった時、イスラエルの友人の自慢の家を訪ねたい。
ああ、またも他人任せなことを思っている。誰かが空を静かにしてくれるのを、待ち続けることしかできないのだろうか、本当に?「いつか」を引き寄せることは、できないだろうか?
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- PHOTO :
- 鈴木保奈美 (本人の写真は、スタッフ、友人、家族が撮影)
- EDIT :
- 喜多容子(Precious)

















