「所得の高い高齢者」の「高額療養費の限度額」が引き上げに

マリカさん(45歳)の父・ミツルさん(73歳)は、小さな会社を経営していましたが、70歳を機に現役を退き、会長に就任しました。今は、マリカさんの兄・リュウイチさん(48歳)があとを継ぎ、社長を務めています。

第一線からは身を引いたとはいえ、まだまだミツルさんがいないと仕事が進まないこともあります。そのため、引退後も週2回は会社に顔を出しており、会社からは年間600万円の報酬をもらっています。ミツルさんには、その他の収入もあるので、年収は1000万円ほど。

仕事を息子に任せ、収入もそれなりにあり、これからは悠々自適に暮らしていけそうだ…と思った矢先のこと。2年前の健康診断で、肺がんが見つかったのです。            

幸い一命を取り止め、現在は通院で抗がん剤治療を受けながら、仕事も続けています。医療費は毎月150万円ほどかかっていますが、健康保険の高額療養費のおかげで、これまでの自己負担は5万7600円で済んでいました。

医療費の自己負担額が変わる?
医療費の自己負担額が変わる?

ところが8月。治療を受けたあと会計に行くと、約26万円の自己負担額を請求されたのです。治療内容は、それまでと何ひとつ変わっていません。それなのに、先月より4.5倍も高い自己負担額にビックリしたミツルさんは、「何かの間違いではないですか?」と事務の人に尋ねてみましたが、間違いはないといいます。

ミツルさんの自己負担額は、なぜ突然、4.5倍にもなったのでしょうか?

実は、この2018年8月から、70歳以上の人の健康保険の「高額療養費」が見直されて、所得の高い人の限度額が引き上げられたのです。

厳しい保険財政の健全化のため、70歳以上の人の負担にもメスが

国民皆保険制度を採っている日本では、誰もが、なんらかの公的な健康保険に加入しています。そのため、病気やケガをして病院や診療所を受診しても、患者が窓口で自己負担するのは、年齢や所得に応じてかかった医療費の1~3割ですみます。たとえば、70歳未満の人の自己負担割合は3割なので、医療費が1万円なら、3000円を窓口で支払います。

でも、心臓病になって大きな手術をしたり、がんの治療が長引いたりすると、医療費が数百万円、数千万円単位になることも。そうなると、自己負担するのが1~3割でも、患者は数十万~数百万円を支払わなければいけなくなり、相当な負担となってしまいます。

そこで、日本の健康保険は、「高額療養費」という制度をつくって、1か月に患者が支払う医療費の自己負担額に上限を設けています。たとえば、70歳未満で年収370万~770万円の人の高額療養費の限度額は、【8万100円+(医療費-26万7000円)×1%】なので、1か月の医療費が100万円かかっても、自己負担するのは9万円程度。治療が長引いた場合は、さらに負担が軽減されるようになっています。

こうした制度があるおかげで、医療費そのものが高額になっても、経済的に大きな負担がかからないようになっています。とてもありがたい制度ですが、厳しい保険財政を立て直すために、ここ数年、段階的な見直しが行われてきたのです。

まず、2015年1月に70歳未満の人の限度額が見直され、その後、2017年8月、2018年8月に2段階に分けて、70歳以上の人の制度改正が行われました。とはいえ、今回の見直しはすべての人の限度額を一律に引き上げたわけではなく、所得に応じた見直しとなっています。

ここ数年、行われている社会保障制度改革は、2013年8月に出された「社会保障制度改革国民会議」の報告書に沿って行われています。報告書では、「給付は高齢世代中心、負担は現役世代中心という構造を見直して、給付・負担の両面で世代間・世代内の公平が確保された」「全世代型の社会保障に転換」していくための青写真が描かれています。

つまり、これまでのように、高齢者を一律に弱者として扱うのではなく、年齢に関係なく経済力に応じて社会保険料を負担してもらい、世代に関係なく必要に応じて給付を受ける体制に見直していくことになったのです。

また、「報告書」では、「低所得層への配慮」という言葉が繰り返し使われており、高額療養費の限度額も、所得の低い人が医療費の負担によって困窮しないような見直しが行われることになりました。

そのため、この8月に見直された70歳以上の高額療養費も、住民税非課税世帯などの低所得層の人は、限度額が据え置かれたままとなりました。

一方、大幅に負担が増えることになったのが、ミツルさんなどの高所得層の人たちです。どのくらい限度額が上がったのか、具体的に見ていきましょう。

8月から、70歳以上の高所得層は、医療費の負担が大幅アップ

医療費の負担は低所得者は変わらず、「現役並み」(所得の多い人)の負担額が増えることに
医療費の負担は低所得者は変わらず、「現役並み」(所得の多い人)の負担額が増えることに

これまで、70歳以上の人の高額療養費の所得区分は、「低所得者Ⅰ(住民税非課税世帯で年金収入80万円以下など)」、「低所得者Ⅱ(住民税非課税世帯)」「一般(年収約156万~約370万円)」「現役並み(年収約370万円~)」の4つに分類されていました。

また、70歳未満の人の高額療養費の限度額は、通院、入院の区別なく同額ですが、70歳以上の人は所得に関係なく、世帯単位で計算する「入院、または通院と入院の両方をした場合」の限度額とは別に、「外来特例」といって、「通院のみ」を個人単位で計算する限度額が設けられていました。

そのおかげで、ミツルさんのように、通院で抗がん剤治療を受けるようなケースでは、入院して同じ治療を受けるよりも、自己負担額はずいぶんと低くなっていました。

それが見直されて、所得が「一般」「現役並み」に分類される人たちの負担が、2017年8月、2018年8月の2段階で引き上げられることになったのです。

●70歳以上の人の高額医療費の限度額

イエロー部分の2つの所得区分は、限度額適用認定証が必要に!
イエロー部分の2つの所得区分は、限度額適用認定証が必要に!

●所得が「一般」の人の見直しは、負担増なれど小幅

「一般」の人は、個人単位で計算する「通院のみ」の限度額が、2017年8月にひとりあたり月額1万2000円から1万4000円に、2018年8月に1万8000円に引き上げられました。

ただし、それまでなかった年間限度額の制度が新たに設けられ、一般の人で通院のみの場合は、年間14万4000円が限度額となります。そのため、毎月、継続的に病院に通っている人の負担は、実質的には変わりません。

世帯単位で計算する「入院、または通院と入院の両方をした場合」は、2017年8月に4万4400円から5万7600円に引き上げられ、その金額が2018年8月以降も続きます。

こちらも、直近12か月間に高額療養費に該当する月が3回以上あると、4回目から限度額が引き下げられる「多数回該当」の仕組みが新たに導入されたため、4回目以降の限度額は、4万4400円になります。

所得が「一般」の人は限度額が引き上げられたのは事実ですが、大幅な負担増にはならないため、それほど心配しなくてもよさそうです。

●所得が「現役並み」の人の見直しは、大幅に負担増

一方、これまでよりも大幅に負担が増えるのが、「現役並み」の所得の人たちです。

まず、2017年8月に「通院のみ」の限度額が見直されて、ひとりあたり月額4万4400円から5万7600円に引き上げられました。

2018年8月からは、「通院のみ」の限度額は廃止され、「入院、または通院と入院の両方をした場合」の限度額に一本化されました。同時に、「現役並み」の所得区分は上表のように、3つに細分化されることになったのです。

年収1000万円のミツルさんの所得区分は、今年8月から「現役並みⅡ」に分類されることになりました。抗がん剤治療にかかる医療費は1か月あたり約150万円ですが、通院治療なので、これまでは自己負担額は5万7600円で済んでいました。

今年8月から、その限度額が通院も入院も一本化され、【16万7400円+(医療費の総額-55万8000円)×1%】に引き上げられたため、ミツルさんの自己負担限度額は月額、約18万円になりました。

これだけでも大幅引き上げですが、窓口で請求されたのは26万円。病院の事務の人は、金額には間違いがないといいます。

これは、ミツルさんが、ある手続きを忘れていたために起こったトラブルで、本来なら約18万円を支払えばよいところを、約26万円を請求されることになったのです。

ミツルさんが忘れていたのは、「限度額適用認定証」という証明書類の申請でした。

「現役並みⅠ・Ⅱ」の人は「限度額適用認定証」を申請しよう

「現役並み(年収約370万円~)」の人は忘れずに「限度額適用認定証」を申請しよう
「現役並み(年収約370万円~)」の人は忘れずに「限度額適用認定証」を申請しよう

高額療養費は、所得に応じて異なる限度額が設けられています。70歳未満の人は、所得に応じで5つに分類されていますが、病院や診療所、薬局では健康保険証を見ただけでは、その患者の所得区分がわかりません。

そのため、以前はいったん病院の窓口で、かかった医療費の3割(70歳未満の人の場合)を支払ったあとで、加入している健康保険に申請して、高額療養費の限度額との差額を払い戻す手続きが必要でした。

いずれ返ってくるとはいえ、一時的にでも高額な医療費を立て替えるのは、家計の負担になります。そこで導入されたのが「限度額適用認定証」です。これは高額療養費の所得区分を証明する書類で、医療機関の窓口で提示すると、自己負担するのは「最初から高額療養費の限度額まででよくなる」という、優れものです。

認定証があると、医療機関の窓口での支払いを抑えられるので、入院や手術をすることがわかっている人、長期療養中の人などが、事前に入手しています。

でも、70歳以上の人は、これまでは「限度額適用認定証」は必要ありませんでした。それは「高齢受給者証」で、高額療養費の限度額も把握することができたからです。

70歳以上の人の医療費の自己負担割合は、所得によって異なります。原則的に、70~74歳の人は2割、75歳以上の人は1割です。ただし、70歳以上でも、「現役並み」の所得がある人は、自己負担割合が3割となっています。

そのため、70歳以上の人には、健康保険証と一緒に、窓口負担割合を証明する「高齢受給者証」が発行されています。これを見れば、高額療養費の限度額もわかるため、これまでは70歳以上の人には、「限度額適用認定証」は必要なかったのです。

ところが、今回の見直しで、「現役並み」の人の高額療養費の所得区分が3つに分類されました。「高齢受給者証」では、「現役並み」ということはわかっても、3つの所得区分のどこかはわからないので、「現役並みⅠ」「現役並みⅡ」の所得区分の人は、事前に「限度額適用認定証」を入手しておかないと、医療機関の窓口では「現役並みⅢ」の限度額まで支払わなければいけなくなってしまうのです。

ミルツさんのように高額な医療費を継続的に支払っている70歳以上の人は、まずは自分の所得区分を調べたうえで、「現役並みⅠ」「現役並みⅡ」にあたる人は、「限度額適用認定証」を忘れずに入手しておきましょう。「限度額適用認定証」は、加入している健康保険に問い合わせれば、すぐに発行してもらえます。

もしも、医療費の会計時までに「限度額適用認定証」を手に入れられなくても、健康保険に申請すれば、払い過ぎた自己負担分は取り戻すことができます。ただし、診療を受けた月から2年以内に手続きしないと、払い戻しは受けられないので、早めに手続きするようにしましょう。

ただし、「限度額適用認定証」も万能ではありません。同時期に複数の医療機関を受診したり、家族も病気になって医療費が高額になったという場合は、それらを合算して高額療養費の申請をしないと、払い過ぎた医療費を取り戻すことはできません。

ミツルさんの高額療養費の限度額は、【16万7400円+(医療費の総額-55万8000円)×1%】で、これは世帯単位の金額です。ミツルさんがほかの病院に支払った自己負担分、同じ健康保険に加入している妻が支払った自己負担分もまとめて、16万7400円+αは支払わなくてよい、ということです。

70歳未満の人は、それぞれの医療費が2万1000円以上ないと合算できないという縛りがありますが、70歳以上の人は金額に関係なく、すべての医療費を合算できます(ただし、健康保険の対象となる医療費のみ)。忘れずに申請して、少しでも医療費の負担を抑えるようにしてください。

高所得層ほど「医療費の備え」が必要な時代がやってきた

「現役並み」の所得がある70歳以上の高齢者は160万人で、そのうち高額療養費の対象になるのは30万人程度(70歳以上人口の1.4%)
「現役並み」の所得がある70歳以上の高齢者は160万人で、そのうち高額療養費の対象になるのは30万人程度(70歳以上人口の1.4%)

今回の見直しで、8月からのミツルさんの1か月の医療費の自己負担額は約18万円となり、これまでの5万7600円の3倍になりました。ただし、療養が長引いて高額療養費に該当する月が、過去12か月間に3回以上になると、「多数回該当」が適用されて、4回目からは、限度額は9万3000円に引き下げられます。

収入がある層なので、払えない金額ではないと思いますが、治療が長引くと少々手痛い出費になりそうです。

厚生労働省は、「現役並み」の所得がある70歳以上の高齢者は160万人で、そのうち高額療養費の対象になるのは30万人程度(70歳以上人口の1.4%)と推計しています(一定の仮定を用いて試算した粗い推計。2013年ベース)。

万一の医療費に備えるために、民間の医療保険に加入するという方法もありますが、持病があると加入できないことが多く、加入できても保険料は通常よりもかなり割高になります。万一の医療費に備えられる万能選手は、日頃からの貯蓄です。

これまでは、高齢になると誰もが医療費の負担が低くなっていましたが、高所得層の人たちは、現役時代と同じ負担をし続けることになります。そうした変化を意識して、老後の医療費の備えについて考える必要がありそうです。

また、高齢になると、細かい制度内容まで理解するのが難しくなる場合があります。とくに「限度額適用認定証」や「世帯合算」の仕組みに気がつかないと、損をすることになってしまいます。70代に差しかかる親がいる場合、きちんと制度を理解しているか、子どもたちも目を配ってあげたいものです。

この記事の執筆者
1968年、千葉県生まれ。編集プロダクション勤務後、1999年に独立。医療や年金などの社会保障制度、家計の節約など身の回りのお金の情報について、新聞や雑誌、ネットサイトに寄稿。おもな著書に「読むだけで200万円節約できる!医療費と医療保険&介護保険のトクする裏ワザ30」(ダイヤモンド社)がある。