職人の町フィレンツェではもともと工芸が盛んで、靴やバッグなどの革製品始め、宝飾品も扱う金細工、マーブルペーパーに代表される紙職人、額縁や家具など多岐にわたる木工職人などが中世以来活躍してきた。銀細工もそのひとつで、1841年のフィレンツェには下請け含め26件の銀工房が存在していた。
フィレンツェの職人街サン・ヤコピーノ通りの一角にある「パッリアイ」
1906年に生まれたオルランド・パッリアイもそうした銀工房で10代から腕を磨き、戦後間もない1947年に独立。修道院の一階に開いた小さな工房が「パッリアイ」の始まりだった。1966年はアルノ川が氾濫して洪水がおきるなどフィレンツェにとっては受難だったが、時を同じくして「パッリアイ」は「ティファニー」から銀細工の発注を受けるようになる。伝統の銀細工が世界のトップブランドにも認められるようになったのだ。
創業者オルランドの死後、後を継いだ息子のパオロは工房を現在の場所ボルゴ・サン・ヤコポ通りに移す。1階は「パッリアイ」の美しい作品が並ぶショーウインドウだが、ふと目を挙げてみるとその建物は細く長いことに気がつく。これはルネサンス以前にフィレンツェに多く存在した塔のひとつ。まさに歴史ある街の老舗工房、という雰囲気にぴったりのロケーションだ。
ヨーロッパで人気のギフト用銀製品
現在の「パッリアイ」は銀製品の修復から注文制作まで受け持つが特に多いのがギフト用銀製品。ヨーロッパでは古来より銀が珍重されており、子供が生まれた時に銀のスプーンを贈る習慣がある。これはいわゆる暗黒の中世の頃、貴族に仕えた庶民や無産階級は貧困に苦しみ、身の回りの財産といえば食べるためのスプーンしかなかった時代に遡る。ゆえにスプーンとは生の象徴であり、せめて食べるものには困らないようにとの願いを込めて銀のスプーンを子供に贈るようにと言われる。さらに銀は殺菌効果が非常に高いことから食器には最適であり、古来より魔女や吸血鬼と戦う際には強力な武器となったとの言い伝えがある。また、チェーザレ・ボルジアに代表される、権謀術数渦巻いたルネサンス期には、要人は毒殺の危険がつねにあったため銀の食器を使用していたということもある。これは当時の毒に多用されたヒ素や硫化水素と銀が触れると化学反応がおこり黒ずんでしまうことから毒薬検知器の役割も果たしていたからだ。
家族経営の「パッリアイ」は老舗のわりには敷居が低く一見の客でも気後れすることは決してないだろう。頼めばあれこれ見せてもらえるが、装飾品始めほとんどの銀製品は92.5%の銀と75%の銅で作る合金925「スターリングシルバー」で作られている。銀のスプーンはじめ、燭台、カトラリー、アクセサリーなどフィレンツェの巧を持ち帰るのに手頃な大きさのものは多いが、店主のパオロの気が向けば奥の工房に案内してくれるだろう。ある時見せてもらったのは、イギリスからの修復の注文だというイギリス王家の古い紋章。「これは写真撮るなよ」とパオロは笑っていたがその価値たるや想像を絶するものがある。小さな店の奥に歴史的銘品が隠れていたりするのがフィレンツェの老舗工房の奥深さでもある。
Pagliai「パッリアイ」
Borgo San Jacopo, 41r FIRENZE
Tel+39-055-282840
9:00〜13:00、15:30〜19:30 土午後、日祝休
www.argentierepagliai.it
- TEXT :
- 池田匡克 フォトジャーナリスト