今回は12月の歌舞伎座で『於染久松色読販(おそめひさまつうきなのよみうり)』、通称『お染の七役(ななやく)』を初役で勤める歌舞伎俳優・中村壱太郎さんにインタビュー。

娘から年配女性、そして男性まで七役をたったひとり、早替りで演じ分ける壱太郎さん。本格的な稽古が始まる前に、見どころや壱太郎さんのプライベートも伺ってきました。 

十二月大歌舞伎
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——鶴屋南北作『お染の七役』は、宝永年間に実際に起きたお染と久松の心中事件を、舞台を大坂から東京に移した作品ですが、お話をいただいたときはどんなお気持ちだったのでしょうか?
大役をいただくときはいつも驚くのですが、本当にびっくりしました。長い間歌舞伎に携わっていますと、「次はこれができるかな、次はこんな役をやりたいな」という近い目標は見えてきます。とはいえ、『お染の七役』はいつかやりたいという夢の役。それがいきなり現実になったので、最初は嬉しさよりも驚きでした。 
決まったのは、9月の末です。スケジュールがかなりギリギリだったこともあって余計にびっくりしたんです。でも、歌舞伎は毎月公演をやっておりますし、演目の発表は直前なんです。聞いたすぐ後にウェブにも載っていて、それを見たら改めて「本当にやるんだ」と思いました(笑)。 
——『お染の七役』を監修するのはこの演目を熟知する、人間国宝で歌舞伎界を代表する女方・坂東玉三郎さんです。お稽古では玉三郎さんからどのような指導を受けられたのですか?
この公演が決まった時点で、すでに10月と11月の公演への出演も決まっていました。そのため、玉三郎のおじさまとなかなか時間が合わず、公演地も異なっておりましたので、現実的に稽古の時間が取れませんでした。日帰りで東京へ帰って2時間×2日間お稽古していただく程度なんです。
とはいえ、歌舞伎では本稽古と言いまして、本番前の4日間が勝負。この4日間でどれだけのことを体得できるか、教えを乞うことが大切だと思っています。  
土手のお六
土手のお六
——玉三郎さんの舞台はご覧になっているのですか?
はい。玉三郎のおじさまは、平成15年を最後に今回のような『お染の七役』を演じていらっしゃいませんが、僕はそのとき13歳。観ていることは間違いないんですがあまり記憶がなく、役が決まってから改めて記録映像で拝見しました。
実は『お染の七役』は、(中村)七之助のお兄さんが2015年の『赤坂大歌舞伎』で演じたときにかぶりついて観ていたんです。「いつかこの役をやってみたいな」と思ったのは、そのときでした。 
今回、同じように玉三郎のおじさまに習われた七之助のお兄さんも稽古を見て教えてくださることになり、ありがたいです。通常ではふたりの女方の先輩が教えてくださるなんてあり得ません。おふたりのご意見やダメ出しを聞いて創っていくつもりです。
七之助のお兄さんは僕より7歳上で、日ごろから公私共々仲良くしていただいています。玉三郎のおじさまはものすごい大先輩ですから、パッと伺えないようなことも七之助のお兄さんがいてくださることで伺えるのかな、というありがたさがあります。
——七役それぞれのポイントを教えてください。 
まず、お染ですが娘役といって本当にかわいいお嬢様です。油屋という質屋の大店の娘でいいところのお嬢様なんです。対して、お光は久松の許婚で田舎暮らし。お染と同年代の娘役です。そのふたりの女性が久松という男性を取り合います。久松は油屋の奉公人ですが、よく言う二枚目と申しましょうか、やわらかみのある男性です。
そして、ここからが変わってくるんですが、小糸は芸者です。芸者といっても江戸っ子の、きっぷのいい粋な芸者。ちょっと大人な女性です。竹川は奥女中で品が高い女性だと思います。そして土手のお六。悪婆(あくば)といわれるお六ですが、根っからの悪い人という訳ではないんです。早替りのなかでもお六のときは、しっかり芝居をするところがあります。油屋へお金をゆすりに入る。それがこのお芝居の面白い眼目となっています。
最後にお染の母貞昌は僕らが「老け」という、と言ってもおばあさんではなくてお母さん役ですが。老けを演じるときは通常、白くしている肌を茶色に落としてシワを描いたりするんですが、今回は早替りなので化粧はそのまま。風情としてはこれが一番年配の役になります。 
油屋娘お染
油屋娘お染
——壱太郎さん推しのキャラクターはありますか?
お染とかお光のような娘役はこれまでも多く演じさせていただきましたので、引き出しはあるんですが、やっぱりお六が一番の眼目。私は江戸っ子の女という役をほとんど演じたことがありません。
江戸前の芸者はなかなかイメージがしづらくて、私としては新境地であり、いちばん気をつけなくてはいけないところ、役をキャッチしなければいけないところだと思っています。 
——歌舞伎初心者に本作の見どころを教えてください。
初めて歌舞伎をご覧になる方に早替りはとても面白く映ると思います。最初の30分くらいは物語を追う楽しさというよりも、「次はどうやって変わるんだろう」という楽しみがあると思います。そこからだんだんと濃いお芝居に入っていきますので、わからなくなりそうな事になればイヤホンガイドやプログラムなどでストーリーを追うといいですよ。 
『お染の七役』は早替りをはじめ、お芝居をしっかり見せる場面も踊りをしっかり見せる場面もあります。さらに、歌舞伎でいう立廻り、殺陣(たて)ですね。そういった歌舞伎のいろいろな要素を楽しめる舞台になっていますので、何かひとつでも好きになってもらえたらうれしいです。「お試し」ではないですが、いろいろな要素が含まれているので、とっかかりとしてはとても楽しめるのではないかと思います。
奥女中竹川
奥女中竹川
——壱太郎さんは、四代目中村鴈治郎さんを父に、日本舞踊吾妻流六代目家元の吾妻徳穂さんを母に持ち、お祖父様が人間国宝の四代目坂田藤十郎さんという古典芸能のサラブレッドです。上方の名門・成駒家の家に生まれ、将来を背負って立つ立場ですが、壱太郎さん自身が歌舞伎俳優という道を選ばれたのはいつだったのでしょうか?
子供のころから遊びに行く父の仕事場も、祖父の仕事場も歌舞伎の環境ですし、自然と物心ついたときには歌舞伎が身近にありました。私が歌舞伎俳優でやっていこうと思えたのは、祖父が四代目坂田藤十郎を73歳で襲名したときからです。一般の企業で言えば、普通は引退している年齢ですよね。それが、70歳過ぎてから新たなる挑戦として襲名し名前を変えて「これからだ!」と。そんな祖父の姿を見て、一生やっていける歌舞伎の素晴らしさを感じました。
私は身近にあった歌舞伎に違和感もなく、かと言って舞台に出ることを強制されたこともなかったので楽しくやってこられたという感じですね。声変わりがあまりなかったことと、父がかなり放任だったのもよかったんだと思います。
歌舞伎では普通、自分の父親に習うことが多いのですが、私の父は「誰にでも教えてもらいなさい、いろんな舞台に出なさい」と言っていました。私は大学まで学業を主体にしておりましたので、学校があるので舞台は休むなど、自分が出る芝居、出られない芝居は自分で決めさせてもらっていたんです。そんな環境で育ってこられたことを父に感謝しています。 
許嫁お光
許嫁お光
——歌舞伎俳優にとって大切にしていることは何ですか。 
今、漫画の『ワンピース』や『NARUTO-ナルト-』といった作品やさまざまな新作歌舞伎が増えています。私がそうした新作歌舞伎に身を投じたときに、習ってきたことを忠実に行うことは当然ですが、どれだけ自分が習ってきた引き出しで闘えるか。それを特に大切にしています。
正直なところ、前例がない役は自分でどうにでも料理できる。だからこそ、いろんな作品を見ていて今まで習ってきたことを基にどれだけできるか。そこが本当の勝負なんだと思っています。
芸者小糸
芸者小糸
——毎回ご登場いただいている皆さんに「あなたにとって大切なこと(人)や、最近購入されたPreciousなモノ」を伺っています。壱太郎さんはいかがですか。
大切にしていることといえば、朝の時間です。必ず風呂に浸かる。朝ごはんを食べる。そして、必ず歩いて出勤する。朝に他の仕事がない限りは、その3つを大事なサイクルとして守っています。
風呂に浸かると言っても15分、20分くらいなんですが、その間は好きな音楽やラジオを聴いて過ごす。これがすごく大事だなと思います。毎日公演をしていると、朝は絶対バタバタするんですよ。疲れが溜まってくると(劇場への)入りの時間もどんどん遅くなってくるし(笑)。自分の中で自分をどれだけリラックスした状態で劇場へ持って行くことができるか。20代前半では考えられなかったことですね、ギリギリまで寝て劇場へ行くという状況でしたから(笑)。アラサーになると生活って変わってきちゃうんですね。 
このごろ買ったモノは、僕はあんまり買い物しない人なんですけど……、あ、すごいものがありました! 今年の8月に初めて自分で自分の衣裳をつくったんです。
ご存知の方もいらっしゃるかもしれませんが、歌舞伎の衣裳やカツラはすべて借り物なんです。演じる私たちの身丈に合わせて直して下さる。それこそお染のお母さんの衣裳は、玉三郎さんが着ていらした物を私の手の長さ、足の長さに合わせて着せてくれます。
そんななかで、1月に玉三郎のおじさまとご一緒したときに、ご自前のお衣裳を着ていらしたんですね。「自前の衣裳を持つということは責任感も出てくるし、とても大事なことだよ」とおっしゃられた。衣裳をつくると言っても相当のお金のかかることですが、言われたからには早々にやってみようとつくったわけです(笑)。 
後家貞昌
後家貞昌
——どんな衣裳だったんですか?
後輩の尾上右近くんが『研の會』という自主公演をやっているんですが、そこで彼とずっと一緒に踊りたかった演目が歌舞伎舞踊の名作『二人椀久(ににんわんきゅう)』でした。思い入れの深い舞踊なので、そこまで思っているなら衣裳をつくってみようと初めて打掛をつくったんです。とてつもなく高価な買い物でした(笑)。でも、それは着ること以上の意味がありました。自分の家に保存しておくこともそうですし、眺めるだけでも気分が上がります。 
この着物の柄は「片身変わり」と言って、ちょうど半分で柄が変わっています。僕の母方は日本舞踊(吾妻流)の家なのですが、曽祖母が同じ片身変わりの白地の打掛で、半分に流水、半分に桜という柄を持っていたんですね。それでそれを基につくろうと自分でデザインしました。地の色を黒に変え、流れる水を延ばしてみるなど、工夫をしています。 
それと、着物をつくる過程で職人さんたちと話すことも大きな意味がありました。職人さんも、染物、下絵、縫い……とさまざまです。玉三郎のおじさまからは、そういう方々と話すのも大事だよと教えていただきましたが、実際、みなさんとお話しすることを通じて衣裳を着る重みを感じました。自分の中で大切なことに気づかされ、大切なものを買ったなという気がします。 
丁稚久松
丁稚久松
——上方での公演が多い壱太郎さんですが、最後に京都でお気に入りのレストランを教えてください。
京都は本当に色々な店があるんですが、なかでもお寿司になりますが、「まつもと」です。京都で公演があると必ず食べに行きます。江戸前のお寿司で赤酢のシャリなんですよ。店主は神奈川出身なのに、祇園で江戸前鮨をやると店を開いた。そのシチュエーションが素敵だなあと。
もともとご飯を食べにいったり飲みにいったりする友人関係から始まったんですが、プライベートのときはめちゃくちゃはしゃいでいるのに、仕事となると無言になって鮨を握る。私たち歌舞伎俳優も同じですけれど、そのギャップが面白いんです。もちろん味もおいしいですよ。 

京都・南座の11月の公演中にインタビューを受けてくださった壱太郎さん。早替りのお稽古はひとりではできないため(最低4、5人はいるそう)、とにかく本番前の本稽古が勝負だとおっしゃっていたのが印象的でした。さて、どんな七役を見せてくださることか楽しみです。お話に出てきた、おつくりになった着物の写真も提供くださいました。プレシャスなお衣裳をご覧ください!

舞台で使用した着物
中村壱太郎さんが初めてつくった衣裳
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中村壱太郎氏
中村壱太郎さん
歌舞伎俳優
(なかむら かずたろう)1990年8月3日、東京都生まれ。1991年11月、京都・南座〈三代目中村鴈治郎襲名披露興行〉『廓文章』の藤屋手代で初お目見得。1995年1月、大阪・中座〈五代目中村翫雀・三代目中村扇雀襲名披露興行〉『嫗山姥』の一子公時で初代中村壱太郎を名乗り初舞台。2007年に史上最年少の16歳で大曲『鏡獅子』を踊って注目される。2014年、日本舞踊の吾妻流七代目家元吾妻徳陽を襲名。上方の名門・成駒家の将来を担う。

公演情報

  • 十二月大歌舞伎本ちらし昼の部 昼の部
  • 十二月大歌舞伎本ちらし夜の部 夜の部
十二月大歌舞伎 平成30年12月2日(日)~26日(水) 
於染久松色読販(おそめひさまつうきなのよみうり) お染の七役(おそめのななやく) 質屋油屋の娘・お染と山家屋清兵衛の縁談が進められるが、お染には実は久松という心に決めた相手がいた。だが、久松にも母が決めたお光という許嫁がいる。
久松は元々は武家の息子で、消えた御家の短刀と折紙(=保証書)を探していた。久松の姉・竹川も弟を案じ、短刀の捜索と金の工面を土手のお六に依頼。お六と亭主の鬼門の喜兵衛は、一策を講じ、油屋から金を騙し取ろうとするが……。
壱太郎さんは油屋娘お染、丁稚久松、許嫁お光、後家貞昌、奥女中竹川、芸者小糸、土手のお六の七役を演じます。 
この記事の執筆者
生命保険会社のOLから編集者を経て、1995年からフリーランスライターに。映画をはじめ、芸能記事や人物インタビューを中心に執筆活動を行う。ミーハー視点で俳優記事を執筆することも多い。最近いちばんの興味は健康&美容。自身を実験台に体にイイコト試験中。主な媒体に『AERA』『週刊朝日』『女性セブン』『朝日新聞』など。著書に『バラバの妻として』『佐川萌え』ほか。 好きなもの:温泉、銭湯、ルッコラ、トマト、イチゴ、桃、シャンパン、日本酒、豆腐、京都、聖書、アロマオイル、マッサージ、睡眠、クラシックバレエ、夏目漱石『門』、花見、チーズケーキ、『ゴッドファーザー』、『ギルバート・グレイプ』、海、田園風景、手紙、万年筆、カード、ぽち袋、鍛えられた筋肉
PHOTO :
松竹