当時19歳だった作家ヘミングウェイは第一次大戦中、イタリア軍に記者として従軍。激戦地だったバッサーノ・デル・グラッパ近郊で負傷した体験をもとに「武器よさらば」を書いたが、その中に、こんな一節があるのをご存知だろうか。
「ストレーガじゃないだろうね。」ぼくは聞いた。
「ちがう。グラッパだ」
「そんならいい」
彼は二つのコップについだ。二人は、人差し指を伸ばしてコップを触れあわせた。
グラッパはひどく強かった。
(「武器よさらば」新潮文庫/大久保康雄訳)
グラッパの聖地にて、真冬にグラッパを呑む
イタリアとオーストリアを結ぶ中間地点にあり、水上交通が盛んなブレンタ川が流れるバッサーノ・デル・グラッパは古来より戦略上の重要拠点であり、町にかかる13世紀のアルピーニ橋はこれまで八度も戦火にさらされてきたという。
イタリア人にとっては戦争の激戦地でありパルチザン運動の拠点としても名高い町だが、イタリアを代表する食後酒グラッパの聖地であることでも有名。
グラッパとはワインを絞った後のブドウの果皮で作る強い食後酒のこと。法律では最低アルコール度数37.5度と規定があるが、上限はその限りにあらず。時には50度を超え60度近いグラッパもあるから呑むときは注意が必要だ。
グラッパの語源はブドウの房を意味するイタリア語「グラッポロ」から来ているのでバッサーノ・デル・グラッパの町名とは直接関係はないが、この町には古いグラッパメーカーがいくつか存在する。
最も有名なのがアルピーニ橋のたもとにある1776年創業の老舗グラッパ・メーカー「ナルディーニ」で日本にもファンが多い。
そしてアルピーニ橋のたもとにはナルディーニが経営するグラッパ酒場「グラッペリア・ナルディーニ」があり、なんと朝8時から営業しているのだ。
地元の男たちは、寒い冬の朝にはバールでエスプレッソでも飲むかのように、この店でグラッパを一杯引っ掛け、三々五々仕事へと出かけてゆく。
ヴェネト地方の山あいにあるバッサーノ・デル・グラッパは冬にはドロミテ山塊から冷たい風が吹き寒さが厳しい。そんな冬の朝に町を歩いていると誇張ではなく、グラッパでも飲まないとやってられなくなるのだ。
鉄の重い扉を押して薄暗い「グラッペリア・ナルディーニ」に入ってみると、やはり朝から地元の男たちが酒を飲んでいた。
よく使い込まれた木のカウンターにもたれて男たちが注文しているのは、ショットグラスに入った赤い酒「メッツォ・メッツォ」あるいは「アペリティフ」と呼ばれるナルディーニのリキュールを炭酸で割ったカクテル。
グラッパが飲みたければ若いタイプから樽熟成のものまで、壁にナルディーニのラインナップがずらりと勢揃いしておりどれもショットで飲むことができる。ちなみにこの店では酒以外置いてなく、ソフトドリンクもつまみも一切ない。純粋にグラッパとナルディーニの酒を飲むための空間なのだ。
店の奥にある階段を地下へと降りてゆくとブレンタ川へと続いているが、ここには昔ながらの蒸留設備が残されており希望者は自由に見学することができる。
これはグラッパ作りにはブドウの果皮を運ぶのに船が必要だったことと、原材料として水が欠かせなかったためだ。
以来ナルディーニ直営のグラッパ酒場は、いまも橋のたもとで営業を続けている。店に通って50年という常連紳士と話をしているうちに「メッツォ・メッツォ」を一杯ご馳走になった。
酒場で友人知人と出会ったら、おごりおごられするのがヴェネト地方の酒文化なのである。今度は自分でナルディーニの白こと「アクアヴィーテ」を一杯注文する。
これは2度蒸留して精度を高めたアルコール度数50度のグラッパで、硬派で辛口。シャープな中にも甘みもあり一度気に入ったなら病みつきになること間違い無い。
アクアヴィーテを飲み干して店の外に出ると、またしても川から寒たい風が吹き付け気温は昼でも氷点下。飲んだばかりのグラッパが途端に熱になって体外に放射されてしまったような感じがした。北イタリアでは冬に飲むグラッパは嗜好品ではなく、体を温める必需品だ。グラッパの聖地を訪れるとそのありがたみがひしひしと伝わってくるのだ。
グラッペリア・ナルディーニGrapperia Nardini
Ponte Vecchio,2 Bassano del Grappa(VICENZA)
Tel+39-0424-227741 8:00〜20:00 無休
URL:www.nardini.it
- TEXT :
- 池田匡克 フォトジャーナリスト