マルケージの遺伝子を色濃く受け継いでいるのがミラノ近郊にあるレストラン「D’O(ディーオー)」シェフ、ダヴィデ・オルダーニだ。オルダーニはもはやマルケージ・チルドレンと呼ぶのははばかられるようなミラノを代表するトップシェフの一人で、ミシュラン1つ星をはじめ多くの賞を受賞している。現在は新しいコンセプト「クチーナ・ポップ」の元、斬新かつ楽しい料理を創り出している。
新イタリア料理の礎を築いたマルケージの遺伝子を受け継いだレストラン「D’O」
オルダーニの「クチーナ・ポップ」とは、伝統料理をベースに見る人を楽しませ、これはなんだろう?と食材や料理に興味をもってもらうこと。
新しい盛り付けやプレゼンテーションはあくまでパッケージ的な外観であり、その中にある味はあくまでイタリア料理。食材の無駄を抑えて、適正価格で、そして健康でいられるような料理を提供する、それが「クチーナ・ポップ」だ。
確かにオルダーニの料理の中にはキャビアやオマール海老といった季節感の無い高級食材は登場しない。それよりも今の季節ならば近隣の農家が作ったアスパラガスやそら豆、米、小麦などのシリアルと、ごくごく身近な食材をプロのテクニックで、時に驚きや笑いを与えつつ楽しく食べさせてくれる。
百聞は一見にしかずということで、噂の「D’O」を訪れてみた。
視覚でも楽しめる「クチーナ・ポップ」
テーブルに着くや否や登場したアミューズは、どれも一口サイズのフィンガーフードでパルミジャーノを練りこんだ直径3センチほどのミニ・パニーノや、イタリア伝統のストリートフードであるオリーブの詰め物のフライ。皿の上に浮かんでいるように見えるのはタロイモに柑橘系を練り込んださくさくのスナック。
そして絵皿の上にクリームがトッピングされた不思議な料理は、果たしてどうやって食べたらいいものかと考えているとオルダーニがやってきて「これはわたしが考案した皿で、突起部分を料理でつまんでそのままクリームを舐めてください。
恥ずかしがらなくても大丈夫、ちょうど顔が隠れるようになっているから」と説明してくれた。まだ小さいオルダーニのお嬢さんがお皿を舐めているのを見て思いついたというが、ソムリエやマネージャーなど、多くのスタッフが注視している星付きレストランで皿を舐めるのはなかなか勇気がいるもの。
おそるおそる皿を手にとってクリームを舐めて見るとこれが甘酸っぱいビーツとコクのあるヘーゼルナッツ・クリームで、勇気を出してこともあって二倍美味しく感じる。酸味や苦味、甘みと塩味、温と冷、食感の違いなどコントラストを楽しませるのも「クチーナ・ポップ」の特徴で、なによりも遊び心いっぱいの仕掛けが面白い。
次に登場したのはなんとも美しい、三色のアスパラガスを使った料理。大地を思わせるアーモンド・ビスコッティ・クランブルの下にはアスパラガスのフランが隠れている。
まるでアスパラガスが芽を出したかのような盆景料理は、スプーンでそっとフランをすくってアスパガラガスとともに食べると確かに春の味がした。
食材を無駄にしないというのは、現代のイタリア料理で重要視されているキーワードで、この料理も穂先き以外のアスパラガスはフランとして使われている。
本来イタリア料理とは、倹約精神に発する簡素な料理「クチーナ・ポーヴェラ」が根底にあり、高級食材を使った料理の対極に位置する。身近な素材で季節感を出し、なおかつ家庭では真似できない一流レストランならではの技術で仕上げる、というのがオルダーニのコンセプトだ。
春の料理はまだまだ続く。これもまた色鮮やかで美しい、旬のグリーンピースを使った一皿だが実は米と生グリーンピースを使った北イタリアの伝統料理「リジ・エ・ビジ」の進化形。滑らかなグリーンピースの下には一口サイズのリゾットが隠れており、トッピングはフレッシュと、フリーズドライにした2種類のグリーンピース。
「リジ・エ・ビジ」には本来生ハムやパンチェッタを使うことが多いのだが、オルダーニは生ハムを加熱してから油脂分を取り除き、カリカリになってから砕いたクランブルを使っている。生ハムの旨味とアル・デンテのリゾット、滑らかなピューレなど多くの食感が一度に楽しめる、これも決して家庭ではできない、プレゼンテーションは美しくて斬新、しかし味はしっかり伝統料理。
この日のハイライトは魚介類のスープ「ズッパ・ディ・ペッシェ」だ。まずはこの料理を見て欲しい。これが魚のスープに思えるだろうか?コンテンポラリー・アートのようなこの料理、実はその源はオルダーニの亡き詩、マルケージにある。
かつてマルケージが一斉を風靡した名作料理には「裸のラヴィオリ」や「黄金のリゾット」があるが、現代美術家ジャクソン・ポロックの絵画をイメージした「ドリッピング」という料理があった。
黄色いサフラン・マヨネーズにイカスミやビーツ、グリーンピースのソースを垂らし(ドリッピング)一口サイズのイカやタコ、アサリを乗せた料理で食べると口の中で確かに「ズッパ・ディ・ペッシェ」が完成する料理だった。
昨年マルケージを追悼する食事会で遅まきながら初めてこの「ドリッピング」を口にし、その美しさに驚愕したものだが「ドリッピング」をさらに進化させたオルダーニの「ズッパ・ディ・ペッシャ」はまさに鳥肌ものの美さだった。
トウモロコシ=黄、イカスミ=黒、ニンジン=オレンジ、グリーンピース=緑、ビーツ=赤で構成したモンドリアンの絵画のようなスープに添えられたイカ、タコ、アサリ、ムール貝を加えて食べる。
魚介類の旨味とさまざまな野菜の味が構成する複雑かつ極上の味わいもそうだが、なによりも食べるのが本当に惜しくなる皿の上の芸術だった。
「どうでしたか?」と楽しそうに笑うオルダーニ、実は元サッカー選手という経歴を持つ異色のシェフだ。
10代の頃はプロ選手を目指していたが怪我でサッカーを断念。次に料理の道を目指し、マルケージの元で学んでいまやミラノを代表するシェフの一人となっている。
マルケージがミシュラン3つ星を獲得した直後、店の前で写した有名な集合写真があるのだ前列中央で腕を組んでいるのがマルケージ、後列中央にいるのが若き日のオルダーニ。そして前列右端にいるのが当時研修中だった「アクアパッツァ」日高良実シェフだ。
日本におけるイタリア料理が急速に発展したのはここ30年ほどのことだが、実はオルダーニも日本におけるパイオニアの一人である日高シェフとともに学び、その結果が今日我々が口にする現代イタリア料理となっていることは実に感慨深い。
伝統を学んで革新に変える、自分が生きてきたアイデンティティを打ち出す、というのはイタリア人シェフが日々口にしている言葉だが、この写真を見るとそうしたイタリア料理の進化形がわかるような気がする。温故知新、という言葉はイタリア料理の世界において常に金科玉条の定説なのだ。
問い合わせ先
- D’O
- Piazza della Chiesa, 14 San Pietro all'Olmo,Cornaredo,Milano
Tel +39 02 9362209
- TEXT :
- 池田匡克 フォトジャーナリスト