ここ数年イタリアでは食関連のユネスコ世界遺産の登録が相次いでいる。無形文化遺産ならば2013年の「地中海食」にはじまり、2014年パンテッレリーア村における伝統的農事「ヴィーテ・アド・アルベレッロ」(仕立てられたブドウの株)、2017年「ナポリピッツァの職人技」。一方世界遺産はというと2014年ピエモンテのブドウ畑の景観:ランゲ=ロエーロとモンフェッラート、2019年のコネリアーノとヴァルドッビアーデネのプロセッコ栽培丘陵群とほぼ毎年のように食関連の世界遺産が増え続けている。
なぜコーヒーが世界遺産に?
フィレンツェを代表する料理「ビステッカ・アッラ・フィオレンティーナ」も無形文化遺産登録に向けて現市長ダリオ・ナルデッラが運動を始めているのだが、2019年12月2日イタリア下院議会が今度は「エスプレッソ」の無形文化遺産登録活動開始を正式に表明した。
「Consorzio di Tutela del Caffè Espresso Italiano Tradizionale(伝統的イタリア式エスプレッソ・コーヒー保護組合)」によればこれはメイド・イン・イタリーの食文化を世界に広げる運動の一環であり、その原産地と特徴を守るための活動だとのこと。
なぜコーヒーにも保護と世界遺産認定が必要なのか?
イタリア議会農業奨励委員会のユネスコ担当Maria Chiara Gadda(マリア・キアラ・ガッダ)によれば「エスプレッソはイタリア社会の象徴であり、いまや国境を超えて世界中に輸出されています。そこでもう一度エスプレッソとはイタリア生まれ、イタリア育ちのイタリア文化であることを世界に向けて発言したいのです」という。
確かにエスプレッソ・マシンはAngelo Miriondo(アンジェロ・ミリオンド)により1884年トリノで発明された。それはコーヒーの歴史を変える大変革であり、数多くのバリスタたちに仕事と誇りを提供した。
そしてその発明を世に広め、「エスプレッソ」がイタリア文化の一部となるよう普及に努力、活躍したのはLuigi Bezzera(ルイジ・ベッツェーラ)、Desiderio Pavoni(デジデリオ・パヴォーニ)、Pier Teresio Arduino(ピエル・テレジオ・アルドゥイーノ)、Achille Gaggia(アキーレ・ガッジア)といったコーヒー界の巨人たちだ。
一方、「エスプレッソ」が国境を超えて世界中に普及したのは、「イタリアの奇跡」といわれた戦後の高度経済成長の時代になってからだ。
80年代までバールというのはトラットリア同様、大半が家族経営であり、エスプレッソ・マシンを扱う技術は父から息子へと口承で伝えられてきた。
しかし、90年代初頭になると職業としてのバリスタに人気が集まるようになるのだが本来の文化的側面が失われ始める。自らバールをオープンする若いバリスタたちの多くはビジネス目的であり、家内制手工業的な家族経営のバールはいまや少数派となりつつあるからだ。
また、現状世界のコーヒー地図を眺めてみると必ずしも「エスプレッソ」が世界中で大人気、というわけでもない。サードウエーブ・コーヒー、あるいはスペシャリティ・コーヒーといった新世代コーヒーを若者が好むのは世界共通の現象だし、そうした波は着実にイタリアにも押し寄せている。
今回の下院の決定についてGambero Rossoのジャーナリスト、Michela Becchi(ミケーラ・ベッキ)はこうコメントしている。「歴史や伝統というものは保護したり制限するものではないし、過去に縛られてばかりいるのではイタリアに進歩はない。ゆえに未来に向けて「エスプレッソ」の価値を再確認するのは重要なことです。」
とはいえ、もしも「エスプレッソ」がユネスコ無形文化遺産になったからといってバールの敷居が高くなるのでは意味がない。歴史あるとはいえわずか1ユーロで気軽に美味しく楽しめるのがイタリアのバール、そして「エスプレッソ」最大の魅力なのだから。
- TEXT :
- 池田匡克 フォトジャーナリスト