医療が進歩し生存率が上がっても、「がん」になったという心理的負担は想像を絶するものがあります。2016年の秋、東京・豊洲にオープンした英国発祥の「マギーズセンター」は、“患者やその家族が前向きに生きるきっかけとなる場”として今、注目を集めています。センター長の秋山正子さんに、設立までの歩みと思いを聞きました。
【前編:がん経験者の心の拠り所、豊洲の「マギーズ東京」】
――― 秋山さんが英国のマギーズセンターを知ったきっかけは、なんだったのでしょうか。
秋山正子さん(以下、秋山) 1990年に、私のふたつ上の姉が肝臓がんを患いました。当時、私は病院で働く看護師でした。病気を宣告された時点で、余命1か月というような状態だったんです。そのころはまだ在宅ケアというのが確立していない時代でしたが、姉は当時中学生であった子供のそばにいたい、という思いで残されたわずかな時間を自宅で過ごすことに決めたんです。当初(余命)1か月、と言われていたのが5か月あまりも自宅で過ごすことができたんですね。その姿を目の当たりにして、がん患者が家で過ごす意味、ということを考えるようになりました。
そして、その2年後に訪問看護師に転身しました。私たちが患者さんの自宅に伺うと、皆さん堰を切ったように話をしてくれたんですよね。家族や仕事への不安に始まり、医療に関する手続きへの疑問だったり。聞いていくと、それってもっと前に医療関係者が耳を傾けてあげていたら、と感じることばかりだったんです。
十数年間の中で、私たち訪問看護師がサポートできた患者さんは、病気がかなり進行した方が多かったように思います。私たちにつながってくださった時点で「余命1週間です」とか、「あと1、2日です」と。とにかく情報が患者さんたちに届きにくかったんですね。もっと早いタイミングで”自宅で医療を受けることができる”という選択肢を患者さんが知ってくれたら、と胸を痛めていた2008年、国立がんセンターの看護セミナーで英国の「マギーズセンター」のことを知りました。
主役はその人。気を遣わずに話せる場があったら
秋山 マギーズセンターが掲げていた、「医師と患者という関係性の中でなく、自由に気を遣わずに話せる場」、「自分自身で生きる力を取り戻せるようなサポート」。それは、私が考えてきたことにピタリとはまって、すぐにイギリスのマギーズセンターの見学へ行きました。
日本のがん患者や家族にも必要だと思いを強くし、まずはマギーズセンターをモデルとした相談施設「暮らしの保健室」を2011年の7月に開設しました。ここは新宿にある団地の一区画で、高齢者も多い地域ですから、がんに特化はせずに誰でも予約不要で無料で来てくださいね、ということでやっています。私たちが「ああした方がいいですよ、こうした方がいいですよ」ではなくて、ご本人の話をよく聞いて、その人自身が考えて決めることの背中を押す、という相談スタイルです。
――― 訪問看護でのご経験や思いが、マギーズセンターの呼び水となったのですね。日本での設立への道のりについて教えていただけますか?
秋山 「マギーズセンターってね」といろいろな人に話して回りましたが、多くの人が「素敵なことだけど(実現は)難しいのでは?」という反応でした。マギーズセンターの運営はすべてチャリティで賄われているのですが、「英国とは違い“寄付文化”の根づいていない日本では立ち行かない」といった厳しい声や「話をただ聞く? それだけで経営は大丈夫なの?」という意見が多かったですね。そんな折、「暮らしの保健室」を訪ねてきてくれたのが、私と同じくマギーズセンターの共同代表を務める鈴木美穂さんです。彼女自身も乳がんの経験者です。病気を克服し、仕事を続けながら若年性がん患者団体を立ち上げたりと精力的に活動する美穂さんとその仲間、そして私の周りの医療経験のあるチームとともに、マギーズセンターを東京につくるプロジェクトがスタートしました。それから、クラウドファウンディングを行い2か月で2,206万円もの寄付をいただいたり、英国のマギーズセンター本部との契約交渉や建築準備、人材の準備など開設に向けて大きく進んでゆきました。私ひとりでもできなかったですし、美穂さんやその周囲のサポート、そして本当にたくさんの人の力や思いによって、このマギーズセンターができました。
――― この秋で、オープンから1年を迎えますね。手応えはいかがでしょうか。
秋山 これほどにも必要とされていたんだな、というのが正直な思いです。昨年の10月から、約3,400人以上の方にお越しいただいています。当初、私たちが想定していた倍ほどの人数です。
病院とは違って、時間を気にせずに過ごすことができます。そして、ここに来れば経験者や医療従事者ばかりですから、がんであることを隠さなくていい。思いを話したり、逆に他の来訪者の話に耳を傾けたり……。「ひとりじゃないって思えた」という声をたくさんいただけるのは、私たちにとってもうれしいですね。
中には、セカンドオピニオンを聞くように「主治医の先生とうまくいっていないので、誰かよい先生はいませんか?」という方もいらっしゃいます。けれど、そうではなくて「ご自身が何がいちばん気になっているのか」ということを整理したり、病院との向き合い方を一緒に考える、というようなあくまで「お手伝い」をするのが私たちの役目だと思っています。自分自身の力で物事を考えたり、がんと告げられて見失いそうな自分を取り戻す、その一助になれたら。それがマギーズ流ですし、訪問看護に携わってきた経験からも、そんなふうに思っています。
――― マギーズセンターの運営について今後の課題はありますか?
秋山 この土地は、豊洲地区の「パイロットプロジェクト」として2020年までの貸借、ということになっているんです。でも、できれば引き続きこの場所で存続できたらと考えています。そのためには、利用者してくださる方の声をアーカイブしながら、実績を重ねてゆくことですね。また、運営はすべてチャリティですから少額でもたくさんの方に寄付という形で応援していただけたら、というのが強い願いです。
日本各地からこういったマギーズセンターのような場をつくりたい、という方が見学にいらっしゃっています。働く世代のがんも増えていて、もはや「特別な病気」では決してないんですよね。だからこそ、私たちがセンター的な機能となって、サポートの輪を広げていけたらと思っています。
先進的な治療法の開発とは対照的に、がん患者の心のケアや人生設計のサポートといった対策は遅れているといいます。「マギーズ東京」は、専門的な知識を持つスタッフが相談に応じてくれる力強くも温かな場所。がんの恐怖に飲み込まれそうな時や悩むとき、この場所があると思うだけで「ひとりじゃない」と気持ちが楽になることもあるかもしれません。
日本中の医療関係者も注目する新しい支援の試みは、今始まったばかりです。
PROFILE
秋山正子(あきやま まさこ)さん
NPO法人マギーズ東京共同代表理事、マギーズ東京センター長。株式会社ケアーズ代表取締役・白十字訪問看護ステーション統括所長。2016年、マギーズ東京を設立、センター長となる。
PROFILE
岩城典子(いわき のりこ)さん
マギーズ東京常勤看護師。看護師として病院で勤務後、「暮らしの保健室」室長の秋山氏に出会い、今年よりマギーズ東京に勤務。
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