マリリン・モンローからキアヌ・リーブスまで!5人のセレブと帝国ホテルが紡ぐストーリー
1890(明治23)年11月3日、海外からの賓客を迎える「日本の迎賓館」として開業された帝国ホテル。日本の文明開花を支え、西洋文化の礎を築いた、ひと言では語り尽くせない存在は、明治・大正・昭和・平成と時代を超えておもてなしの心を継承し、日本にある数多のホテルの中でも「別格」として、今もなお燦然と風格ある輝きを放ち続けています。
その開業130周年を記念する、専属チームがスイートでの滞在と食事を特別なものに演出する宿泊プラン「インルームダイニングで楽しむスイートステイ」をPrecious.jpが体験取材。その様子を伝えるシリーズ、いよいよ最終回の番外編は、取材を通して出会った、帝国ホテルの伝統と革新の精神をいまに伝えるストーリーをご紹介します。
それでは早速、歴代の偉人たちが織りなす、数々の逸話を紐解いていきましょう。
■1:マリリン・モンロー|寝るときはシャネルの5番!新婚旅行で滞在した彼女の朝食とは?
1954年2月に、大リーグのスター選手ジョー・ディマジオと新婚旅行で帝国ホテルに宿泊した往年の大女優マリリン・モンロー。滞在中の記者会見にて「夜は何を着て寝るの?」という質問に「シャネルの5番」、と今なお語り継がれる名言を放ちました。
他の女性が発した言葉なら「あざとい!」と反感を買いそうですが、それは無邪気な可愛らしさで同性をも魅了するマリリンです。強烈なインパクトで、全女性の、大女優と帝国ホテルへの憧れをさらに高めるエピソードとなりました。
ちなみに滞在中、彼女が食べていた朝食は薄く切ったパンをカリカリになるまで焼き上げたメルバトースト、子羊背肉のローストにホットミルク。夫のジョー・ディマジオは帝国ホテルに滞在中、愛する妻に帝国ホテルアーケードにある、開業以来の老舗の「ウエダジュエラー」でパールのネックレスを購入したそうです。
■2:フランク・ロイド・ライト|20世紀を代表する建築家の面影を感じる「オールドインペリアルバー」
ルードヴィヒ・ミース・ファン・デル・ローエ、ル ・コルビュジエとともに、近代建築の三大巨匠の一人と呼ばれるフランク・ロイド・ライトが手がけたのが、1923年(大正12年)に完成した帝国ホテル旧本館、その名も「ライト館」です。ライトは建物を立てる土地の材料を使用することにこだわり、栃木県より美観と軽量さを兼ね備えた日本独特の大谷石を外壁に使用しました。平等院・鳳凰堂から着想を得たライト館のデザインは、大谷石とレンガを組み合わせた独特の造形美で「世界で一番美しいホテル」と絶賛されました。
ライト館は1967年、老朽化のために惜しまれながら取り壊されましたが、その壁画やテラコッタの一部を「オールドインペリアルバー」で観ることができます。
また、こんな劇的な出来事も。1923年(大正12年)9月1日、ライト館開業披露の日、各界名士ら約500名を招待した祝宴が予定されていました。ほぼ準備も整い、来賓の到着を待っていた午前11時58分に関東大震災が発生。震災に伴う火災のために、東京の中心部が焼け野原に近い状況になったにもかかわらず、ライト館は一時的に7室が使用不能となりましたが、被害は軽微で済みました。当時として珍しいオール電化のホテルであったことから出火を免れ、また、鉄筋コンクリート構造の表面装飾材としてレンガを用いるなど、部分をつなぎ合わせて連結した構造が、建物全体に柔軟性を持たせていたため激しい揺れにも耐えることができたのです。
被害を免れた帝国ホテルは、他の罹災地に宿泊していた外国人旅行者や、一般市民の避難場所として機能しただけでなく、各国大使館や新聞社などにオフィスとしてスペースを解放したのだそうです。
その後、大正から昭和にかけて社交の中心として、文化の発信地にもなったライト館。その面影は当時そのままの調度品を残した「オールドインペエリアルバー」で感じることができます。
■3:エリザベス女王|女王が名の由来!現在も「ラ ブラスリー」にて提供される魚介メニュー
1975年(昭和50年)に英国のエリザベス女王が来日した際に、帝国ホテルで開催された午餐会で、当時の料理長 村上信夫さんが魚介好きな女王のために考案したのが「車えびと舌平目のグラタン」です。
エリザベス女王はドーバー海峡で漁れる舌平目とエビが好きだという情報を得て、村上さんが考案。車海老を舌平目で巻き、オランデーズソースをかけて焼いた料理のこちら、女王は「日本は英国と同じように魚の美味しい国ですね」、と何一つ残さず綺麗に召し上がったとか。
この料理に、来日を記念して女王に因んだ名をいただきたい、とお願いしたところ、女王はの返事はフランス語の「レーンヌ・エリザベス」でした。こちらはなんと現在も「ラ ブラスリー(現在は休業中)」にて提供されています。
もう一つ、女王に関する高貴なエピソードを。女王の来日で迎賓館における料理を総括担当した帝国ホテルスタッフは、女王の帰国の際にその仕事を称えられ、英国の紋章の入った革の財布を贈られたそうです。女王は手渡しする際に「この中身は社長に入れてもらってくださいね」とおっしゃったそうです。ユーモアのセンスも抜群!の女王、さらにファンになってしまいますね。
その名前の使用を許可するほど女王がお気に入りの料理の味はどんなものなのか…。ぜひ帝国ホテルで味わってみてはいかがでしょうか。
■4:キアヌ・リーブス|大のお気に入り!魔術師レベルのランドリー
帝国ホテルの、世界最高レベルのサービスは挙げたらキリがないほどですが、なかでも有名なのが、1911年に日本初として設置されたホテル内ランドリー。多い時で約500点の衣類が集まり、預かり時にボタンが取れていた場合はランドリーで用意しているものをつけて戻すなど、そのきめ細かさは感動レベルです。
それに驚いた人のひとりが、俳優のキアヌ・リーブス。主演したSF映画『JM』の中で「洗濯を頼みたい。帝国ホテルで頼むような洗濯だ」とアドリブで言ったエピソードは有名です。
その他にもきめ細かなサービスの代表例として、よく挙げられるのが「常識破りのベッドメイク」です。帝国ホテルではデュべの端を、マットレスから出してベッドメイク。こうすることで、デュべを引っ張り出すことなくスムーズにベッドに入ることができます。
常識にとらわれて頭でっかちになることなく、宿泊客の心地よさを優先して実践する心のこもったおもてなしは、今後も感動を呼び続けることでしょう。
■5:村上信夫|東京オリンピックを陰で支え、フランス料理を広めた「ムッシュ村上」
鹿鳴館から招聘された初代料理長の吉川兼吉さんから、いまに受け継がれるカレーを考案した第8代 石渡文治郎さん、現在の第14代総料理長の杉本雄さんまで、開業当初から誇る、フランス料理を受け継いできた歴代のシェフたち。なかでもNHK『きょうの料理』の講師を務め、家庭へプロの味を伝えた村上信夫さんは有名かもしれません。
パリのホテル・リッツで修行し、帝国ホテル名物である「バイキング」を考案した村上さん。1964年の東京オリンピックでは選手村の富士食堂の料理長としてオリンピックを支えました。
日本の西洋料理の草分けとして、120年以上の伝統を誇るダブルビーフコンソメやセレブが愛した料理だけでなく、バイキング形式を誕生させ、多くの逸話をもつ帝国ホテルの料理は、個性豊かな歴代の料理長によって開業当初から守り続けられています。
一世紀以上という唯一無二の長い歴史のなかで、ひとりひとりの宿泊客に真摯に向き合い、輝かしいストーリーを紡いできた帝国ホテル。ひとたび触れれば、心のこもったおもてなしに誰しもがきっと感動するはず。今日も帝国ホテルのどこかで新たな伝説が誕生しているかもしれません。
問い合わせ先
- TEXT :
- 神田 朝子さん ライター/ピアニスト
公式サイト:epiphany piano studio
- PHOTO :
- Getty Images(エリザベス女王、キアヌ・リーブス)