2011年3月11日。あの東日本大震災の影響を受けたのは、人間だけではありません。人間と家族同然に暮らしていたペットたちもまた、あの日を境に平穏な生活を奪われてしまったのです。

福島県飯舘村(いいたてむら)にて6年間、独りぼっちでご主人の帰りを待ち続けたラブラドール犬・ツトム君のエピソードをご紹介します。被災地のペット支援を行うボランティア団体『清川しっぽ村』の吉島崇憲さんにお話をうかがいました。

このツトム君の生き様は、動物愛護についてもっと考えるきっかけになりそうです。

■そして村に誰もいなくなった……

飯舘村は、周囲を山林に囲まれた緑豊かな里山。地震の揺れそのものの被害はほかの地域ほど深刻ではなかったものの、原発からわずか40キロに位置するこの村では、高濃度の放射線汚染により、全村避難を余儀なくされました。避難生活にはさまざまな制約が伴うもの。仮設住宅では犬や猫などペットを飼うことはできません。

どんなにペットへの愛が深くても、住民たちは断腸の思いで“家族”を故郷に置き去りにせざるをえなかったのです。ツトム君も飯舘村に残された一匹。大好きだった散歩にも出かけられなくなり、小屋でただひたすらご主人の帰りを待ち続ける日々を送ることになります。

疲弊しつつあるツトム君
疲弊しつつあるツトム君

震災直後から、ボランティア団体が現地入りして給餌活動などを行ったおかげで、ツトム君はなんとか飢えをしのぐことはできました。

久しぶりの食事をするツトム君
久しぶりの食事をするツトム君

とはいえ、避難命令の出た飯舘村では、ボランティアの活動も日中に限られ、夜間は立ち入ることができません。漆黒の闇に包まれ、野生動物に襲われる危険もあり、さらに冬場は連日氷点下を記録する極寒の村……。独りぼっちのツトム君はどんなに不安だったことでしょう。

ボランティアの人々は、ツトム君が吠えるのを一度も聞いたことがないといいます。震災前からもともとおとなしいワンちゃんだった可能性もあるものの、多くの被災者たちがPTSD(心的外傷後ストレス障害)に悩まされたのと同様、ツトム君もまた、心に深い傷を受けたのは想像に難くありません。

■ようやく避難解除されたけれど

忽然と住民が消えた飯舘村において、ツトム君がご主人を待ち続けて早6年……。2017年の春、ようやく避難指示が解除され、飯舘村にも少しずつ人気が戻ってきました。

ところが、ツトム君の孤独な日々は続きます。ご主人は飯舘村に家を新築するなど、再びツトム君と暮らす準備を着々と進めてはいたものの、やむにやまれぬ家庭の事情で、まだしばらく戻れないことになったのです。そして、すでに老犬の域に差しかかったツトム君は、このころから目に見えて衰弱していきました。

衰弱していくツトム君
衰弱していくツトム君

長きにわたる孤独な生活のストレスからか食欲がなく、あばら骨が浮き出るほどに……。さらには後ろ足が弱くなって歩くこともままならなくなり、ついには小屋のなかでそそうをするまでに至ります。

ボランティア団体は、飯舘村を訪れるたびに糞尿で汚れた小屋を掃除をするなど、ツトム君が少しでも快適に暮らせるよう懸命にサポートを行いましたが、家族のようにつきっきりの世話ができるわけではありません。このままではツトム君は危険な状態……。

■さようなら大好きな故郷・飯舘村

ふたたびご主人と暮らし、飯舘村の美しい自然のなかを散歩するのをずっと待ち望んでいたであろうツトム君。しかし、日に日にやせ細り、排泄のコントロールもきかず、小屋で糞尿まみれになってしまうような状態を、これ以上、放置するわけにはいけません。

2017年7月、ツトム君はついに慣れ親しんだ故郷・飯舘村を離れることになりました。ツトム君の現状に心を痛めたボランティア団体が、ツトム君を新しいご主人に引き合わせてくれたのです。

清潔な小屋に入るツトム君
清潔な小屋に入るツトム君

ツトム君の新しいご主人は、老犬の介護看取りをライフワークとしている東京都のOさん。わざわざ飯舘村まで足を運んだOさんは、一目でツトム君を気に入り、ツトム君もまたすぐにOさんになついて散歩に出かけるなど、まさしく運命の出会いでした。

新しいご主人と散歩するツトム君
新しいご主人と散歩するツトム君

子犬のころからツトム君を育ててきたご主人も苦悩の末、ツトム君を遠方の里親に託すことを承諾してくれました。ただただツトム君の健康と幸せを願って……。

■ツトム君が見つけた新しい幸せ

こうして故郷・飯舘村を離れて、Oさん宅に迎えられたツトム君。その後、新しい環境に慣れることはできたのでしょうか?

ツトム君の新しい家族は、ご主人のOさん、奥さん、そして先住犬のメイちゃんや2匹の猫です。メイちゃんはほかの犬には警戒するのに、なぜかツトム君とはすぐに仲よしに! もともと人間にも動物にもフレンドリーなツトム君の、犬柄(?)のたまものかもしれません。

先住犬と触れ合うツトム君
先住犬と触れ合うツトム君

また、猫たちもおっとりとしたツトム君のそばには安心して寄ってきます。

猫と一緒にひなたぼっこするツトム君
猫と一緒にひなたぼっこするツトム君

Oさん宅では飯舘村のように野生動物に襲われる不安もなく、のんびりくつろぐこともできます。

安全な寝床で横になるツトム君
安全な寝床で横になるツトム君

犬小屋生活が長かったせいか、寝るときにからだの一部を壁にくっつけるほうが落ち着くようです。そんなツトム君のために、Oさんは壁の近くに敷物を敷いてあげています。

まだあばら骨が浮いていますが、移住してからわずか1か月半ほどで、体重が4~5kg増えたとのこと。毎日おいしいご飯を食べているおかげです。ここでは広々としたお庭で大好きなお散歩もできるので、後ろ足の状態もよくなってきました。

元気に外を走るツトム君
元気に外を走るツトム君

それでも、おうちの中でそそうをしてしまうのは相変わらず……なようですが、ご主人のOさんは「しょうがないよな~」と笑顔で受け入れてくれています。

■今はちっとも寂しくないよ!

このように、飯舘村の厳しい環境から移住して、現在の平穏な環境で過ごす中、ツトム君の内面にも変化のきざしが……。ずっと吠えなかったツトム君がついに寝言で「ワンワン!」と発したそうなのです!

安心して眠るツトム君
安心して眠るツトム君

ここにいれば、もう暗闇のなかでおびえたり、寒さにこごえたりする必要はありません。6年間の孤独な日々を耐え抜いたツトム君は、今は温かい家族とともにおだやかな日々を送っています。

ケアしてもらっているツトム君
ケアしてもらっているツトム君

避難先から住民が戻ってきたり、ボランティア団体が地道に里親探しの活動を行ったりしているものの、被災地では今もなお、取り残されたペットたちが少なくないようです。

また、避妊手術を受けていない犬、猫から新しい生命が生まれ、その子たちも十分なケアを受けられている状態ではないといいます。被災地のペットたちが1匹でも多く、ツトム君のような幸せを見つけられるように、私たちひとりひとりも何かできることがないか、考えていきたいものですね。

PROFILE
一般社団法人 清川しっぽ村(いっぱんしゃだんほうじん きよかわしっぽむら)
東日本大震災で被災したワンちゃんネコちゃん等を助ける活動を行う。神奈川県の清川村に犬猫避難所を設立し、保護・里親を探す活動のほか、被災地での給餌活動などを行う。
公式サイト
公式ブログ
この記事の執筆者
Precious.jp編集部は、使える実用的なラグジュアリー情報をお届けするデジタル&エディトリアル集団です。ファッション、美容、お出かけ、ライフスタイル、カルチャー、ブランドなどの厳選された情報を、ていねいな解説と上質で美しいビジュアルでお伝えします。
WRITING :
中田綾美