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プロフィール


名前:ロミー・シュナイダー(Romy Schneider)

出生地:ドイツ国オストマルク州(現:オーストリア) ウィーン

生年月日:1938年9月23日

没年月日:1982年5月29日(43歳没)

1953年公開の『再び白いライラックが咲いたら』でスクリーンデビュー。1955年公開の『プリンセス・シシー』で初主演を務めて以降、数々の映画に出演。1974年公開の『L'important c'est d'aimer』(日本では未公開)、1978年公開の『ありふれた愛のストーリー』では、フランス映画界の権威であるセザール賞・主演女優賞を受賞した。

1982年公開の『サン・スーシの女』の撮影時点で体調を崩しており、気力を振り絞りクランクアップを迎えたものの、結果的に最後の映画出演となる。同年5月29日、心不全のため43歳という若さで死去。私生活では、1958年公開の『恋ひとすじに』で共演したアラン・ドロンと交際・婚約に発展するも、1963年に破局。婚約解消に至りつつも、その後、生涯にわたって公私ともにアランから支えられることとなる。

1966年、最初の夫で舞台演出家のハリー・マイエンと結婚し、息子ダーヴィッドをもうけるが、1975年に離婚。同年、個人秘書のダニエル・ビアシーニと再婚。1977年には、のちに女優となる娘のサラが誕生した。

「若いころ」「昔」の写真10選


最初に、ロミー・シュナイダーの若いころの写真をご紹介します。

1955年ごろ(17歳ごろ) 『プリンセス・シシー』より

1957年ごろ(19歳ごろ) 『モンプチ わたしの可愛い人』より

1958年ごろ(19歳ごろ) 『制服の処女』より

1958年ごろ(20歳ごろ) 『恋ひとすじに』より

1959年3月(20歳) 当時の婚約者アラン・ドロンとの旅行中

1960年ごろ(21歳ごろ)

1963年ごろ(25歳ごろ) 『勝利者』より

1964年ごろ(26歳ごろ) 『何かいいことないか子猫チャン』より

1968年ごろ(30歳ごろ) 『地獄のかけひき』より

1970年ごろ(32歳ごろ) 『どしゃ降り』より

「映画」代表作10選


ドイツ映画界を経て国際的な知名度を得たロミー・シュナイダーは、数々の映画に出演しました。ここで、彼女の代表的な出演映画をご紹介します。

『再び白いライラックが咲いたら』(1953年)

撮影現場でのロミー・シュナイダーとパウル・クリンガー。

ロミー・シュナイダーのスクリーンデビュー作で、ヒロイン・テレーゼ役は母のマグダ・シュナイダーが務めた。ロミーはテレーゼの娘、エフシェン役を演じた。

あらすじ:歌手を志すヴィリー(ヴィリー・フリッチ)は、針子として働くテレーゼと結婚して1年。夢を捨てきれないヴィリーは、テレーゼが妊娠していることを知らないまま家出。15年後、夢を実現させ戻ってきたウィリーの目の前には、テレーゼと娘・エフシェン、そして二人と家族同然に暮らしていたペーター(パウル・クリンガー)の姿があった。

『プリンセス・シシー』(1955年)

ロミー・シュナイダーの初主演作。オーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフ1世の皇后・エリザベートを演じた。母・マグダも、エリザベートの母・ルードビカ役で出演している。本作は人気を博し続編も製作されたが、ロミーは「愛らしいお姫様」であるエリザベートのイメージが定着するのを嫌っていた。

あらすじ:フランス革命の影響で危機に瀕していたハプスブルグ家のソフィー大公妃(フィルマ・デギッシャー)は、夫のカルル大公(エリッヒ・ニコービッツ)を退位させ、息子のヨゼフ王子(カール・ハインツ・ベーム)の即位を画策。皇后候補にルードビカ公妃の長女・ヘレーネ(ウッター・フランツ)が浮上する。一方、「シシー」と呼ばれる次女・エリザベートは、大自然あふれる田舎暮らしを満喫していた。

『恋ひとすじに』(1958年)

歌手を志す美しきヒロイン・クリスチーヌ役を演じた。この作品で初共演したアラン・ドロンとは交際・婚約に発展したのち破局するが、その後も公私にわたって関係を築くことになる。

あらすじ:オーストリアの若き少尉フランツ(アラン・ドロン)は、既婚者であるレナ(ミシュリーヌ・プレール)と1年越しの関係にあったが、フランツにとっては重荷に感じる相手だった。友人に連れられ向かった酒場で、フランツは歌手を志すクリスチーヌと出会う。レナが夫・エッガースドルフ男爵(カール・ラング)と旅行をする間、フランツとクリスチーヌはより深い関係になっていく。

『枢機卿』(1963年)

ウィーン編で主人公・ファーモイル(トム・トライオン)が勤務する学校に通う女子生徒・アンネマリーを演じた。ロミーは本作でゴールデングローブ賞・主演女優賞にノミネートされた。

ウィーン編あらすじ:枢機卿であるファーモイルは、1924年にウィーンの学校で英語を教えていた。ある日、ファーモイルは教え子であるアンネマリーから恋心を打ち明けられる。一時はその想いを受け入れようと考えるが、「一人の男性」よりも「聖職者」であることを優先したファーモイルは、アンネマリーから離れていく。

『太陽が知っている』(1968年)

パリで行われたプレミア上映会に出席するジェーン・バーキン、アラン・ドロン、ロミー・シュナイダー。

約2年もの間、映画出演から離れていたロミーのカムバック的タイトル。かつての婚約者でロミーとの共演を手引きしたアラン・ドロンが演じる主人公、ジャン・ポールの恋人マリアンヌを演じた。

あらすじ:休暇をサントロペの別荘で過ごすジャン・ポールとマリアンヌ。そこへ、マリアンヌに招待されたハリー(モーリス・ロネ)と、彼の娘ペネロープ(ジェーン・バーキン)が訪れる。マリアンヌの元恋人であるハリーは、敵対関係にあるジャン・ポールの前で、マリアンヌの心を奪う自信を見せつける。

『すぎ去りし日の…』(1970年)

妻子ある男性ピエール(ミシェル・ピッコリ)と人生を共にしようとする女性、エレーヌを演じた。

あらすじ:ピエールは、妻カトリーヌ(レア・マッサリ)と別居中。若くて美しいエレーヌと生活していた。「いつか子どもたちのもとに帰っていくのでは」というエレーヌの予想は的中し、二人は衝突してしまう。現在の環境に疲れたピエールは、エレーヌに向けた別れの手紙をしたためる。

『夕なぎ』(1972年)

ロミーにとって大きな転換点となった1972年公開の作品のうちのひとつ。ふたりの男性の間で揺れ動きつつも、最終的にはどちらも選ばず二人のもとから去っていく女性・ロザリー役を演じた。

あらすじ:ロザリーは、通訳の仕事をしながら幼い娘を育てるシングルマザーであった。金属業解体業を経営するセザール(イヴ・モンタン)と恋に落ちたロザリーは、アパルトマンで共に生活するようになる。ある日、ロザリーの母シュリー(エヴァ・マリア・メインケ)の3回目の結婚パーティーで、ロザリーはかつての恋人ダビッド(サミー・フレー)と再会する。

『ルートヴィヒ』(1972年)

かつてロミーが忌み嫌った役であるオーストリア皇后・エリザベートを再び演じた。しかし『プリンセス・シシー』とは大きく異なり、大人の女性の美しさと迫真の演技を見せた。

あらすじ:父王の後継として、18歳のルートヴィヒ2世(ヘルムート・バーガー)が新たにバイエルン国王に即位した。ルートヴィヒは、いとこでオーストリア皇后のエリザベートを慕っており、共に過ごす時間も多かった。一方で、ルートヴィヒは作曲家ワーグナー(トレヴァー・ハワード)に対する莫大な経済支援によって非難の対象となっていた。このとき、エリザベートはルートヴィヒの本心を見抜いていた。

『追想』(1975年)

主人公である外科医ジュリアン(フィリップ・ノワレ)の妻・クララ役で出演。フランス全土で約336万人を動員した大ヒット作で、ロミーの役者人生においても代表的な出演作となった。

あらすじ:ドイツの占領下にあったフランスの小さな町モントバンで、外科医ジュリアンは妻クララ、娘フロランス(カトリーヌ・デラポルテ)、母(マドレーヌ・オーズレー)と暮らしていた。モントバンにも戦禍が及ぶことを危惧したジュリアンは、クララとフロランスを他の村に避難させる。

『ありふれた愛のストーリー』(1978年)

シングルマザーとして生きるデザイナー、マリー役を演じた。本作でロミーは2回目のセザール賞受賞に加え、イタリア映画界の権威であるダヴィッド・ディ・ドナテッロ賞も受賞した。

あらすじ:マリーはデザイナーの仕事をこなしつつ、16歳の息子を育てていた。別れたばかりの元恋人セルジュ(クロード・ブラッスール)は嫉妬深い性格であり、妊娠中だった子どもを堕胎するほど仲は険悪になっていた。そんなマリーの前に、今度は元夫ジョルジュ(ブリュノ・クレメール)が現れる。

「夫/子ども」の写真10選


ロミー・シュナイダーは2回の結婚歴があります。ひとり目の夫は、1966年に結婚したドイツの舞台演出家、ハリー・マイエン。同年に息子のダーヴィッドが生まれますが、1981年に不慮の事故により14歳で急逝。これが、ロミーの体調不良の遠因となってしまいました。ハリーとは、事故発生前の1975年に離婚しました。ふたり目の夫は、1975年に再婚したダニエル・ビアシーニ。こちらも婚姻関係は長続きせず、1981年に離婚しました。1977年に誕生した娘のサラ・ビアシーニは、女優として活躍しています。

ここで、ロミーの元夫であるマイエンとビアシーニ、娘・サラの写真を10枚ピックアップしました。

1966年 『トリプルクロス』で共演したロミーとマイエン

1967年 ロミーと当時の夫・マイエン

1969年 カンヌ国際映画祭に出席するロミーとマイエン

1975年 ふたり目の夫、ダニエル・ビアシーニ

1975年12月 挙式当日のロミーとビアシーニ

1980年 ロミーと当時の夫・ビアシーニ

1979年 幼少期の娘、サラ・ビアシーニ

2004年 カンヌのホテルで撮影されたサラ

2022年3月 「ロミー・シュナイダー展」に出席するサラ

2022年4月 「クロズリー・デ・リラ賞」セレモニーに出席するサラ

「美貌遍歴」10選


ロミー・シュナイダーは、『プリンセス・シシー』の主演以降、“お姫様”というイメージが定着していました。しかし、ロミー自身はこのイメージ定着を嫌っていました。それを裏付けるかのように、妖艶な美しさも人気の理由のひとつになっていきました。

そんなロミーの美貌遍歴写真を10枚ピックアップしました。

1955年ごろ(17歳ごろ)

1957年ごろ(19歳ごろ) 『ある皇后の運命の歳月』より

1960年ごろ(20歳ごろ)

1964年1月(25歳) ロンドンのホテルにて

1965年ごろ(27歳ごろ)

1966年ごろ(28歳ごろ) 『夏の夜の10時30分』より

1968年ごろ(30歳ごろ)

1970年ごろ(32歳ごろ)

1972年ごろ(34歳ごろ) 『ルートヴィヒ』より

1974年ごろ(36歳ごろ) 『ロミー・シュナイダーの情事』より

「人生後半」の写真10選


ロミー・シュナイダーは、1982年に43歳という若さで急逝しました。息子の事故死で憔悴しきっていた反面、亡くなる直前まで『サン・スーシの女』の撮影に挑んでおり、最期まで女優としての矜持を見せつけました。最後は、世界中の人々を魅了し続けたロミーが亡くなる前数年間の写真を10枚ご紹介します。

1975年5月(36歳)

1976年7月(37歳)

1976年ごろ(38歳ごろ) 『Une femme à sa fenêtre』より

1978年1月(39歳) 当時のフランス文化大臣と撮影

1979年(40歳ころ) 『華麗なる相続人』より

1980年ごろ(42歳ごろ) 当時の夫ビアシーニとのツーショット

1980年ごろ(42歳ごろ) パリ・オペラ座にて

1980年ごろ(42歳ごろ) ヘルムート・バーガーとの光景

1981年1月(42歳) フランスにて、アラン・ドロンと撮影

1981年9月(43歳) 『危険なささやき』プレミア上映会

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