【目次】

等々力ってどこにあるの?「場所」

等々力駅を背にして南へ歩いていくと環状8号線があります。環状8号線を超えたところにある等々力1丁目周辺には、土地の細分化は進んでいながらも、とりわけ大きな邸宅が並んでいます。
等々力駅を背にして南へ歩いていくとぶつかる環状八号線を越えたところが等々力1丁目。土地の細分化は進んでいながらも、とりわけ大きな邸宅が並んでいます。

等々力は東京都世田谷区の町名で、区内の南の端にあります。その向こうは多摩川を挟んで川崎市。東側は大田区田園調布や目黒区の自由が丘に、西側は世田谷区上野毛や二子玉川、北側は世田谷区深沢に接しています。1丁目〜8丁目からなり、エリアとしてはかなり広大です。また等々力の中央部には東西に環状八号線が横断していて、南北には目黒通りが通っています。

等々力の「最寄り駅」

等々力駅周辺は商店街があり、食料品店や飲食店、ドラッグストアなど日常的な買い物ができる場所はしっかりとそろっているのが安心です。お隣の尾山台駅にも、「ハッピーロード尾山台」など活気のある商店街がありこちらもとても便利です。
等々力駅周辺は商店街があり、食料品店や飲食店、ドラッグストアなど日常的な買い物ができる場所はしっかりと揃っているので安心です。お隣の尾山台駅にも、「ハッピーロード尾山台」など活気のある商店街がありこちらもとても便利です。

等々力の中央部には東西に東急大井町線が通っていて、この沿線上の駅 「等々力駅」「尾山台駅」「九品仏」などが最寄り駅に。東急大井町線沿線には、住みたい街として人気の高い「自由が丘駅」や「二子玉川駅」があります。この2駅にとても近いことも「等々力」が人気のエリアの理由です。等々力内には環状八号線と目黒通りが交差しているので、車移動の多いファミリー層などには特に人気があります。近くには東京インターチェンジと東名高速道路起点の「首都高速3号渋谷線 用賀」の出入口があり、アクセスの良さも抜群です。

等々力の「地図」

等々力の「歴史」

主に国分寺崖線から多摩川までの区域が「多摩川風致地区」に指定されていて、等々力だとちょうど等々力1丁目辺りが該当。建ぺい率は40%以下、建物の高さは15m以下となっています。厳しい規制があるからこそ、良い住環境が保たれています。
主に国分寺崖線から多摩川までの区域が「多摩川風致地区」に指定。等々力では1丁目辺りが該当します。建ぺい率は40%以下、建物の高さは15m以下。厳しい規制があるからこそ、良い住環境が保たれているんです。

大正末期、東京近郊で行われた土地整理のうち、最大規模を誇るのが「玉川全円耕地整備事業」。1922年9月に目黒蒲田電鉄(現在の大井町線)が設立され、南隣で田園調布の宅地開発が始まったことをきっかけに、この沿線にも市街地化の波が押し寄せてきました。当時「玉川村」の村長だった豊田正治氏をはじめとする村の有力者たちは村全体を耕地整理で宅地化しようと構想します。大字を単位として耕地整理が進められましたが、「大字等々力」は範囲が広かったため分割されました。また、土地整理の過程で玉川村域は自然的景観を維持するために「玉川風致地区」に指定されています。等々力が高級住宅街なったのはこの条例の厳しい「建築物の許可基準」が大きく起因しているといわれています。

等々力の「由来」とは?

等々力駅のすぐ近くにある等々力渓谷の入り口近くには「ゴルフ橋」という橋があります。こちらは昭和初期に目黒蒲田電鉄が開場したゴルフ場があったことが由来。かつてこの辺りは行楽地だったんですね。この橋を降りて渓谷まで出るとまるで別世界が広がります。
等々力駅のすぐ近くにある等々力渓谷の入り口近くには「ゴルフ橋」という橋があります。こちらは昭和初期に目黒蒲田電鉄が開場したゴルフ場があったことが由来。かつてこの辺りは東京に住む人たちの行楽地だったんですね。この橋を降りて渓谷まで降りると別世界が広がります。

この地が等々力と呼ばれるようになったのは、「等々力渓谷」が関連している説が有力です。川の流れの激しいところや滝のあるところが「とどろき」という地名になることはよくあって、「等々力」は全国的にも多い地名です。「等々力渓谷」は、滝ができたり、それが崩壊したりを繰り返して、深い渓谷となりました。その崩壊の音が轟(とどろ)くような音だったので、その場所を「とどろき」と呼ぶようになったのだとか。村名はその渓谷があったために付けられたと考えると納得ですよね。

明治22(1889)年、奥沢、尾山、等々力、上野毛、下野毛、野良田、用賀、瀬田の8村が合併して玉川村ができ、等々力村は大字等々力となりました。 そして昭和7年、世田谷、駒沢、玉川、松沢の2町2村が合併して世田谷区が成立。そのタイミングで飛地を除く玉川村大字等々力の区域は玉川等々力町1~3丁目に区画されました。さらに昭和45年の町区域の変更により、旧玉川等々力町 1丁目のうちの丸子川(旧六郷用水)以南の区域が玉堤1丁目・2丁目となり、そのほかの区域が等々力1丁目~8丁目に区画されました。

等々力の3つの「魅力」

■1: 街並みがとてもゆったりとしている

第一種低層住宅専門地域では、2〜3階建ての低層住宅が並び、住宅以外の用途は限られています。
第一種低層住宅用専門地域では、2〜3階建ての低層住宅が並び、住宅以外で使用する用途は限られています。

都市計画法に基づく13種類の用途地域の中で、第一種低層住宅用専門地域には良質な住環境を守るために厳しい規制があります。等々力は、道路沿いを除いてその多くが第一種低層住宅専用地域です。第一種低層住宅専用地域の建ぺい率は40〜60%。建ペい率とは、敷地面積に対して建てることができる建築面積の割合。これが低いほど街並みの印象はゆったりします。そして、容積率は80〜150%。容積率とは、宅地面積に対して、建築延床面積(建物の各階の床面積を合計したもの)の割合です。容積率が低いほど、高い建物が建てられません。特に等々力1丁目は第二種風致地区でもあり、建物の高さは15m以下。等々力は住宅の密度が低く、ゆったりとした雰囲気で各々の家に陽がさんさんと降りそそぐのはこういった理由からです。

■2:  東京23区内で唯一の渓谷、等々力渓谷がある

「都会のオアシス」とも呼ばれている等々力渓谷には約30箇所以上の湧水が出ていて、ケヤキやコナラなどの樹木や湧水の周りにはシダなどの湿性植物が見られます。緑と水が豊かな場所です。
「都会のオアシス」として知られる等々力渓谷には約30箇所以上の湧水が出ていて、ケヤキやコナラなどの樹木や湧水の周りにはシダなどの湿性植物が見られます。緑と水が豊かな場所です。

等々力駅徒歩3分の場所にある等々力渓谷。ゴルフ橋から階段を降りていくと、谷沢川の流れに沿って散策路があります。武蔵野台地の南端を矢沢川が侵食してできた約1kmの渓谷です。季節ごとに自然が楽しめる場所としてとても人気が高い観光地にもなっています。渓谷の南にある「等々力不動尊」は桜や紅葉の名所。等々力不動尊から渓谷へと降りたところには、「不動の滝」があります。等々力の名の由来になったのは、この滝の音だという言い伝えもあります。

また、等々力駅から徒歩10分程度の場所には都立公園の「玉川野毛町公園」があります。この公園には、東京都指定史跡である野毛大塚古墳があり散策には最適な場所。テニスコートやプール、野球場などのスポーツ施設も併設していてファミリー層に人気の公園です。公園の拡張事業も進められていて、より自然を身近に感じることができる公園として生まれ変わるようです。

■3:ファミリー世帯憧れの街、自由が丘と二子玉川に挟まれている

自由が丘の街並み
自由が丘駅は目黒区にあります。東急大井町線と東急東横線が交差している駅です。駅周辺は低地で九品仏川という川が流れていました。開発される前は竹やぶだったと言います。鉄道が開通して急速に発展しました。

等々力駅から自由が丘駅までは電車で5分程度、距離としても1.5kmくらいなので、徒歩圏の範疇。自由が丘駅は、駅を中心に有名なケーキ屋やインテリアショップ、アパレルショップやコスメショップなどが立ち並び、通りを一本入ると新しいお店ができていたりして、歩くたびに発見のある楽しい街です。

また、「ニコタマ」や「フタコ」と呼ばれ親しまれている二子玉川駅も電車で5分程度で行くことができます。二子玉川には、複合施設の「二子玉川ライズ・ショッピングセンター」や百貨店の「玉川高島屋S.C」などがあり、日々の買い物に困ることはありません。駅周辺も整備されていてベビーカーでも過ごしやすく、洗練された街としてファミリー世帯に大人気の街です。

かつて東京の中心地に住む人たちの別荘地だったほど多くの自然が残されている等々力。その一方で、歴史的な整備事業を背景に、街並みは整然として最寄り駅周辺は近代的。暮らしやすくテレワークも楽しい、いざとなれば都心にも出やすい等々力が高級住宅街として魅力を放っている理由はそこにあるといえるでしょう。

   世田谷の土地ー絵図と図面を読み解く(世田谷区郷土資料館)
   等々力不動尊
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PHOTO :
AC,柳堀栄子
WRITING :
柳堀栄子