身近な生活用品といえば、「傘」ではないでしょうか。コンビニで購入できるビニール傘やコンパクトで持ち運びが便利な折りたたみ傘など、梅雨のある日本で暮らす私たちにとっては欠かすことができません。

そんな傘ですが、その歴史を紐解くと誰もが知っているあのペリーとの関わりもあるのです。ときには空前のブームを引き起こすほどに人気が沸騰したことも。 今回は、日本洋傘振興協議会の広報担当・田中正浩さんに「洋傘」の歴史について詳しく伺いました。

雨を避けるためではなかった「洋傘」の歴史

■「洋傘」の起源は古代オリエントにあり

傘の起源は古代エジプトの壁画や彫刻でも確認できる
傘の起源は古代エジプトの壁画や彫刻でも確認できる

そもそも洋傘が使われはじめたのは今から約4千年前のこと、その起源はエジプトの彫刻や壁画にも残っていると田中さんは言います。

「古代のアッシリア、ペルシャ、エジプトなどの彫刻や壁画には、王の頭上に天蓋のように、従者が傘を差しかけている絵が描かれています。古代のギリシャではバッカス(酒の神)、セレス(穀物の実りの神)、ヘルメス(諸神の使いをする神)などの祭礼で、神の威光を表すものとして神像の上にかざされていました」(田中さん)

古代オリエントでは、雨傘としてではなく、王や神々の威光のシンボルとして使われていたそう。もちろん、誕生した当時は開閉せず、開いた状態のままの仕様でした。紀元前6世紀ごろになると、ギリシャでは徐々に一般化の兆しをみせ、身分の高い女性たちが日傘として用いるように。現代に見られる雨避けの傘は1820年代のイギリスでつくられたのだそう。

■ペリー来航は洋傘の認知度をアップさせた?

洋傘には教科書に登場するペリーとの関わりも
洋傘には教科書に登場するペリーとの関わりも

古代オリエントやヨーロッパと同様、日本でも傘は単に雨を避けるための役割だけではありませんでした。

「日本では傘を単なる雨除けの道具としてだけでなく、大切な頭を守るための尊いものと考えられていたといわれています。そのため、傘にはつくった人の心がこもり、生き物同様に寿命があると信じられていたようです」(田中さん)

そんな日本で洋傘が知られるようになったのは、江戸時代。黒船来航とともに多くの人が洋傘を目にすることとなりました。

「1853年のペリー浦賀来航は、当時の日本の社会を大きく変えましたが、洋傘の普及もこの出来事がきっかけです。翌年の1854年、再びペリーが浦賀に来航した際、一緒に上陸した水兵の上官3〜4人が傘をさしていました。野次馬がたくさん集まっていたことで、洋傘は多くの日本人の目に初めて触れることとなりました」(田中さん)

徳川幕府が続けていた鎖国がペリー来航によって開国へと進む…。この事件が洋傘の認知を高めたとはいえ、本格的に輸入されるようになるのは日米修好通商条約が結ばれた1年後の1859年。輸入された舶来品である洋傘は、一部の武家や医師、洋学者たちが使用していた程度で、庶民には手の届かない高級品だったそうです。

明治以降、日本で「洋傘」が生産されるように

■文明開化で加速度的に洋傘需要アップ

傘は刀と間違えられていた?
傘は刀と間違えられていた?

非常に高価だった洋傘が庶民へ浸透したのは、純国産の洋傘を完成させたことによると田中さんは言います。

「国内では明治10年、1877年ごろから洋傘の輸入材料をもとにして、洋傘をつくる業者が生まれてきました。外国製のものを模倣し、試作し、苦心の末、材料調達から完成までを国内で行えるようになったのが、1889年もしくは1890年といわれています」(田中さん)

国産化に成功したことで、価格がとても安くなり、国内需要も伸びはじめたそう。一方、庶民にも洋傘が広まるなかで大阪では百姓町人の蝙蝠傘の着用禁止令がだされました。それは、傘を持つ姿が明治時代に禁止された帯刀の姿と間違えやすいから。同時に、江戸時代まであった階級制度が崩れ、武士と似た服装をしはじめた町人を牽制する意味もあったのだそう。

「欧州の高級品に比べると、日本製の洋傘は非常に低コストで製作できるという強みから国外への輸出も進みました。明治後期にかけては、上海や香港など大都市への主要輸出品目に洋傘が含まれていたほど。他国への輸出が進んだことで技術の向上やデザインの成長もあり、さらに国内普及が進んだようです」(田中さん)

■昭和にやってきた、折りたたみ傘ブーム!

昭和になると折りたたみ傘が登場
昭和になると折りたたみ傘が登場

日本が得意とした洋傘の製造は、戦時中に中断されましたが、戦後程なく復興しはじめ、さらなる発展を遂げます。

そこで登場するのが「折りたたみ傘」です。カバンの中に入れておけるサイズは持ち運びにとても便利。1950年代に登場したこの画期的な傘は、使い勝手がよく飛ぶように売れたのだとか。

「1949年ごろから一部の業者が折りたたみ傘の開発をはじめます。最初はドイツ製の折りたたみ骨をモデルにしていました。そして改良が進み1954年にスプリング式の折りたたみ骨が発明されるんです。この骨を採用した折りたたみ傘は飛ぶように売れました。それは、空前の折りたたみ傘ブームが到来したほどです」(田中さん)

1965年には、たたむとハンドバックに入る小型サイズが女性に受け、たちまち人気商品にのし上がったそう。一方、時を同じくして男性の間では、ボタンを押すと自動的に開くジャンプ傘の人気がヒートアップ。戦後も輸出用に生産されていたジャンプ傘は1960年に国内向けに販売が開始され、数年後には当時のトレンドにまでなったそう。

■日本が傘の生産をリードする理由

こうして日本における開発が進み、当たり前のように生活に馴染んだ「洋傘」。最後に、なぜ日本は傘の生産を得意としているのか伺うと、前述のような背景がありつつも季節的な理由もあると田中さんは言います。

「日本が傘の生産をリードしてきた理由には、気候的にも傘(雨傘、日傘)を使用する機会が多いからだと思います。そのほかには、輸出や国内消費への対応、製造経験の積み重ねによる技術力の向上、さらに傘を日常的に使用する国民性が挙げられます」(田中さん)

今ではバリエーションに富み、デザイン面でも目移りするほどに選択肢のある傘。長きに渡る歴史を通して、洋傘が日本で定着していく流れを追ってきました。その洗練の背景には「ものづくり」への探求心が見てとれます。お気に入りの傘を手に取る際には、ぜひその歴史にも思いを馳せてみてはいかがでしょうか。

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高橋優海(東京通信社)