あなたが「夏がく〜れば思い出す♪」のは、里山の心和ませる光景でしょうか? それともひんやり冷たいかき氷? 「進化するスイーツ」として、毎年話題を集めるかき氷の中でも特に人気なのが、天然氷を使用したかき氷です。そして、このブームで一躍スポットライトを浴びたのが「氷室」。天然氷とは、真冬にゆっくりと凍る天然の氷のこと。それを保管する蔵が「氷室」なのです。この記事では「氷室」を深掘り! 天然氷のかき氷が、なぜあんなに美味しいのか、その謎も解説します。

【目次】

氷室とは?冬につくられた氷を夏まで貯えておく穴や部屋のこと
冬につくられた氷を夏まで貯えておく穴や部屋のことです。

【「氷室」とは?「読み方」と「意味」】

■ 「読み方」  

「氷室」は「ひむろ」と読みます。「こおりしつ」ではありませんよ。「氷室」の意味は知らなくとも、アーティストの氷室京介さんをご存じなら、読みは楽勝ですね!

■「意味」

冬の氷を夏まで貯えておく穴や部屋を「氷室」と言います。電気を使った機械式冷温貯蔵庫(保冷庫)がなかった時代は、夏に氷を使用するため、冬の間に池にはった氷を切り取り、貯蔵していたのです。冬の寒暖差を利用して製氷された天然氷は、当時、食用はもちろんのこと、食品の保存用や医療用としても重宝されました。


【「氷室」にまつわる「雑学」6選】

それではここで「氷室」にまつわる雑学をご紹介しましょう。

■「氷室」の「歴史」は? 

「氷室」は古代より世界各地で利用されてきた天然の冷温貯蔵庫です。中国では、約2500年前の孔子の時代には、すでに巨大な「氷室」があったとの記録が残っています。日本においても、洞窟や地面に掘った穴に茅葺(かやぶき)などの小屋を建てて覆い、氷を保冷していたようです。文献上の初見は『日本書紀』。古墳時代である「仁徳 (にんとく) 天皇62年条」に、額田大中彦皇子(ぬかたのおおなかつひこのみこ)が狩りに出掛けたとき、「光るもの」を発見したとの記述が最初の登場、とされています。また、奈良県の天理市には、約1300年前ににつくられた国内最古といわれる「氷室跡」が残っていますよ。

律令制の時代(7世紀後期から10世紀ごろ)には、山城・大和・河内 (かわち) ・近江 (おうみ) ・丹波に合計21室の「氷室」があり、4月から9月の時期は、そこで保管されていた氷が朝廷に献上、天皇や皇族、貴族たちに供されました。奈良県にある「長屋王邸跡」からは「都祁 (つげ) 氷室」から長屋王家へ夏に氷を進上した木簡などが出土し、朝廷とは別に王族も独自に氷室を運営していたことが判明しています。江戸時代には、毎年6月1日(旧暦)に合わせて加賀藩から将軍家へ「氷室」の氷を献上する慣わしがありました。雪国各地に雪室(ゆきむろ:多雪地域に設けられていた貯蔵)や「氷室」が点在しており、氷の代用品として雪が重宝されていたようです。

電気の供給事業が始まる明治になると、冷凍機による人工の氷もつくられ始めましたが、非常に高価なものだったため、天然氷の需要は高かったと思われます。やがて明治30年代からは機械氷が天然氷を代替するようになり、冷凍施設なども製造されるようになったため、昭和初期には、徐々に「雪室」や「氷室」は廃止されていきました。さらに戦後、冷凍冷蔵庫の普及や厚生省(現:厚生労働省)の衛生基準の厳格化に伴い、雪や氷を使った冷温貯蔵庫への需要はなくなっていきました。

■「構造」は?  

『日本書紀』仁徳紀に記された「氷室」の構造は、土を1丈(約3メートル)くらい掘って厚く茅(かや)を敷き、その上に氷を置いて、草で覆ったものだったそうです。江戸時代の「氷室」は、地下深く掘られた石や土でできた部屋で、この構造には、外部の温度変化から内部を守り、氷を長期間溶けずに保つための工夫が盛り込まれていました。当時、大名や富豪の家では、氷室を所有していることが、その家の経済力や社会的地位を示すステイタスシンボルになっていたようです。氷室から取り出される氷は、食材の鮮度を保つ冷却材や、暑い日の涼を求める氷菓子づくりなど、さまざまな用途に使われました。

■日本三大氷室とは?

昭和初期には全国各地に100軒近くあった「氷室」ですが、現在、日本には天然氷を保管する「氷室」はたった5つしか残っていません、そして、そのうち3つの氷室、「松月氷室」、「四代目徳次郎」、「三ツ星氷室」が栃木県日光市にあり、三大氷室と呼ばれています。天然氷を使った「かき氷」のブームで、日光は天然氷の名産地としても一躍有名になりました。「三ツ星氷室」は1877年ごろ創業、「松月氷室」は1894年創業だそうです。いずれの名前も、夏季限定のイベントなどで見聞きしたことがありますね。

■天然氷はどうやってつくられる? 「氷室」でどれくらい保管できるの?

天然氷は山間など、山奥の自然の中でつくられますが、なるべく日に当たらない、気温はマイナス5℃前後、あまり雪が降らないなど、自然環境の条件をクリアした立地が選ばれます。天然氷づくりに使われるのは、石造りの氷池。氷池に山から流れる湧き水を少しずつ引いて氷をつくるのです。氷池の底は土です。池の底の不純物を取り除くのはもちろんですが、池の底の土を耕して柔らかくすることも、良質な天然氷を作るためには欠かせない作業です。寒くなり氷池に氷が張ってきたとき、池の底が柔らかくないと、凍った池の表面が盛り上がってしまうからです。

12月になると池の水が氷り始めますが、この時期の氷は柔らかく不純物も多いため、何度も叩き割って廃棄します。氷づくり本番は、1年で最も寒くなる1月から2月にかけて。2週間かけて氷を育てていきます。氷は1日につき、およそ1センチ成長しますが、ゴミやほこりを取り除くために毎朝氷の上をほうきで掃き清めます。また、雪にはほこりが含まれているほか、、雪の温度は氷づくりに必要な温度より高いので、雪が積もると氷の表面が溶けてしまいます。そのため、雪が降る間は絶え間なく氷の上をはき続ける作業が必要なのだそうです。

氷が15センチくらいの厚さに成長したら、いよいよ動力カッターを使った氷の切り出し作業が始まります。氷を引きあげ、「氷室」へ収めたら、ヒノキのおかくずで周囲を覆って保管します。おがくずは周りの湿度を吸収し発散するので、氷が表面も乾き、溶けるのを防いでくれるのです。この方法により、天然氷の保管が可能となるのです。とはいえ、春になると温度が上がるので、5月くらいになると半分くらいまで溶けてしまうそうです。

■清少納言もかき氷を食べていた?

平安時代にも、「削り氷(けずりひ)」という名の氷菓子が存在していました。清少納言の『枕草子』には、「削り氷」についての記述もあるんですよ。
「削り氷に甘葛(あまずら)入れて新しき鋺(かなまり)に入れたる」
(削った氷に甘葛という植物の汁をかけて、新しい金属のお椀に入れたもの)
清少納言はこれを「あてなるもの(上品なもの)」のひとつとして挙げています。当時、氷は非常に貴重なもの。一条天皇の皇后である藤原定子(ふじわらのていし)に仕えていた清少納言だからこそ、氷のスイーツをいただくことができたのです。それはどれ程美味しく、誇らしい経験だったことでしょう。

■なぜ天然氷を使ったかき氷は美味しいの?

天然氷は、ゆっくりと凍るため透明度が高く、固く溶けにくい氷に仕上がります。また、人工的につくられた氷よりも不純物が少ないため、水分子同士がかっちり結合し、固い氷になります。固い氷は、非常に細かく削ることが可能。削る際に空気が含まれるため、ふわっふわなかき氷ができあがるのです。細かく削ると口の中で溶けるスピードも早くなるため、口の中でスーッと溶けるかき氷になるのです。

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クーラーはもちろん、扇風機もなかった時代、「氷室」に蓄えられた氷をいただくのは、さぞかしぜい沢で風流なお楽しみだったことでしょう。そして現代、天然氷を削ったかき氷は、“エコなスイーツ”として世界の注目を集めています。とはいえ、稼働中の「氷室」は、全国にたった5軒しかありません。出荷するまでの大変な作業を考えれば、氷室を存続させことがどれ程困難なことか、想像がつくというもの。日本の文化のひとつとして、「氷室」の存続を応援したいものです。

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参考資料:『日本国語大辞典』(小学館) /『デジタル大辞泉』(小学館) /『日本大百科全書 ニッポニカ』(小学館) /『世界大百科事典』(平凡社) 蔵本日光氷商店(https://nikko-kori.jp) :