連載「Tomorrow Will Be Precious!」明日への希望をアクションに変える

明日への希望をアクションに変える方たちの活動に注目し、紹介している連載【Tomorrow Will Be Precious!】では今回、まもなく開幕を迎えるパリ 2024パラリンピック競技大会で、日本代表選手団 団長を務める田口亜希さんに注目!

「健常者としての人生と、車いすユーザーとしての人生、両方を経験している私だからこそ、伝えられることがあるのかな、と思います」と話す、田口さんにお話しをうかがいました。

田口亜希さん
日本財団パラスポーツ サポートセンター 競技団体支援部ディレクター|パリ 2024パラリンピック競技大会日本代表選手団 団長
大阪府出身。大学卒業後、郵船クルーズに入社。客船「飛鳥」にパーサーとして乗務。25歳のとき病気により車いす生活に。退院後、ビームライフル射撃を始め、その後実弾を使用するライフル射撃に転向。パラリンピックに3度出場した。現在は競技者としては現役を引退。日本パラリンピック委員会運営委員、日本オリンピック委員会理事を務める。

【Tokyo】パラリンピックで見てほしい、チャレンジャーたちの姿

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日本財団パラスポーツ サポートセンター 競技団体支援部ディレクター|パリ 2024パラリンピック競技大会日本代表選手団 団長の田口亜希さん

社会人になり、世界を巡る豪華クルーズ船のパーサーという憧れの仕事に就いていた25歳のとき。田口さんは脊髄の血管の病気を発症し、突然、車いすユーザーとなった。

「入院していた時期に、周囲は私を奮起させようと、ちょうど開催されていた1998年長野パラリンピック冬季競技大会のテレビを観せようとするんですけど、私は観られませんでした。自分が障がい者だと認めたくなかったんです。退院してから、友人にすすめられて射撃を始めたときも、最初は自分が障がい者スポーツをすることに抵抗があった。障がいを “受け入れて” とか “乗り越えて” とか、よく語られがちですけれど、そんな人ばかりではないんです。今でも『なんで私が?』って泣きそうになることもあるし、先のことを考えて怖くなったりもしますよ」

射撃でアテネ、北京、ロンドンと3大会連続パラリンピックに出場し、日本オリンピック委員会の理事も務め、今夏のパリ2024パラリンピック競技大会では日本代表選手団の団長という大役を担う。リーダーシップを発揮するスーパーアスリート…という、つい思い描きがちなフレーズの向こうに、ひとりの人間として人生を歩んできた田口さんの生々しい姿がある。

「私は周りにすごく恵まれていて、会社に復職したときも、トイレを車いす対応にしてもらうなど、いろいろと要望を聞いてもらうことができました。『どうしたい?』と聞かれ、『こうしてほしい』と伝えていく。そのやりとりは、どんな場面でも大切だと思うんです。健常者としての人生と、車いすユーザーとしての人生、両方を経験している私だからこそ、伝えられることがあるのかな、と思います」

田口さんには、大切にしている言葉がある。

「障がい者、を英語でどう表現するか、という話をしていたとき、ある人が『僕たちは君たちのことをチャレンジャーって呼ぶよ』と。その言葉が、私の中にいつもあります」

◇田口亜希さんに質問

Q.朝起きていちばんにやることは?
ベランダに出て新鮮な空気を吸う。寒い日でも雨の日でも必ず窓は開けます。
Q.人から言われてうれしいほめ言葉は?
「あなたと話して元気をもらえた」
Q 急にお休みがとれたらどう過ごす?
旅行に行きたいです。今はエストニアに行ってみたい。母をハワイに連れていく画策を実行したい。
Q.仕事以外で新しく始めたいことは?
カヌーやカヤックなどの水上のスポーツがやってみたい。キャンプなどアウトドアも楽しんでみたいですね。
Q.10年後の自分は何をやっている?
海の見えるところで、朝起きてゆっくりお茶を飲むような生活をしていたい(笑)。
Q.自分を動物にたとえると?
なりたいのはゾウ。大きくて優しい感じが好きで、グッズも集めているんですよ。

PHOTO :
望月みちか
EDIT :
喜多容子 ・木村 晶(Precious)
取材・文 :
剣持亜弥