<Precious創刊20周年記念特別企画>輝く!時代をつなぐニューリーダー
Preciousが創刊以来見つめてきたのは、「ガラスの天井」や「ガラスの壁」を突破すべく、キャリアを築き、走り続けてきた女性たち。美しくしなやか、でも自分らしさも貫く…そんな今のリーダーたちに迫ります!
【Special Essay】安藤優子さんが贈るポストリーダーたちへのメッセージ
これからはさまざまなタイプの女性リーダーが登場して世の中を席巻する時代に。プロジェクトリーダーや管理職への昇進などが目の前に見えてきた女性たちへ、安藤さんが未来へのエールを送ります。
安藤優子さん「新しい時代がやってきた今、もう憧れるのはやめませんか?」
女性リーダーはまだ少数派、その理由
「もう憧れるのはやめましょう」というあの大谷翔平選手の名言。今、女性リーダーの未来を考えるとき、大谷さんとはいささかニュアンスはちがいますが、私も同じフレーズを使いたくなります。「もう憧れるのはやめましょう」と。
女性の「社会進出」という表現がすでに後世の遺物のような異音を発しているにもかかわらず、それでもなおリーダーとして自分の能力を発揮してみたい、もしくは先頭に立って何かを成し遂げたいという意欲をもつ女性はまだまだ少数派です。その原因は大きくふたつあると思います。
暗黙のルールを頭から外して
ひとつは、これまでの社会に深く、そして網目のように張りめぐらされた、暗黙のルールです。男性は「外」で稼ぐ人、女性は「イエ」で家庭を守る人、という「べき」論。こうしたいわば社会通念は、どこにも明文化されてはいませんが、人々の意識の底深くにいつのまにか根を下ろし、男性は「オトコらしく」女性は「オンナらしく」あるべきと、行動の規範をつくってきました。これが暗黙のルールというものです。社会構造や制度が変化しても、暗黙のルールはとんでもなくしぶとく、折にふれてちょいちょい頭をもたげてくるのです。
たとえば、女性がキャリアを積む人生選択をすることがごく自然になった今も、では「リーダーに!」となると、突如この暗黙のルールが顔をのぞかせて、「えっ! リーダーになるというのはちょっと…」と、それまでの行動を規制してきた感覚で尻込みをしてしまう。つまり、「べき」論の枠組みに閉じ込められてきたことによる自分の能力の過小評価のクセが出てしまうのです。簡単にいうと「ワタシなんか…」という自分への過小評価です。
「これがまるっとワタシなんだよね」
もうひとつは、その「ワタシなんか…」の正体としての女性たちの自己肯定感です。自己肯定感と自信過剰はまったく別物です。よく自己肯定感が高いというと「鼻もちならない自信家」のように受け取られるのですが、それは誤りです。自己肯定感は自分を丸ごと受け止める、自己受容です。いいところもわるいところも、いろいろあるけど、これがまるっとワタシなんだよね、と受け止める。それが自己受容であり、自己肯定感です。ですから自己肯定感は、他者との比較では決して生まれません。自己肯定感は優劣ではないのです。
だから、自己受容ができると、他者も受容できる心の豊かさが生まれます。 暗黙のルールにいつの間にか意識を縛られ、それがまた知らぬうちに「ワタシなんか…」という過小評価につながってしまう。社会通念(暗黙のルール)と行動のパターン化、そして自分への過小評価が女性リーダーの出現に待ったをかけているのです。
過去のコピーはもうしなくていい
これまでの社会構造は、間違いなく「男性」リーダーがけん引して、またその男性たちが集団として暗黙のルールをつくってきました。そうやってできあがった「リーダーとはこうあるべき」の理想像は、「私たち女性にはとうてい手の届かない」ものではなく、たぶんにそこに求める資質が異なっているのです。だからこそ、冒頭の「もう憧れるのはやめましょう」なのです。
WBCの日米決戦は、アメリカのとてつもないレベルのベースボール対ニッポン野球でした。メジャーリーグには日本の選手が憧れるスターがたくさん存在していて、対戦前から「気持ちが圧(お)されている」ことを大谷選手は察知したのでしょう。そこで発されたこの言葉は、まさに名言でした。これからの女性リーダーは、今までの男性リーダー像を理想としてコピーする必要はどこにもありません。自分らしく、他者への共感力と真の包容力を発揮できる、つまり自己肯定感が豊かであることこそが、これからのリーダーであると確信しています。
※掲載商品の価格は、すべて税込みです。
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