鈴木保奈美さんの連載「Carnet de petite voyageuse 中途半端な旅人は語る」第十六回

俳優・鈴木保奈美さんの大好評連載「Carnet de petite voyageuse 中途半端な旅人は語る」では、保奈美さんの趣味のひとつである旅をテーマに、これまで経験してきた旅路を振り返ります。

第十六回となる今回は、【砂漠の夕陽を母と見る】と題してお送りします。

鈴木保奈美さん
俳優・文筆業
(すずき ほなみ)ときにエスプリの効いた感性豊かな文章には定評あり、数多くのエッセイを執筆。現在は、『あの本、読みました?』(BSテレ東)ではMCを、『365日の献立日記』(NHK-Eテレ)ではナレーションをと幅広く活躍中。ABEMAオリジナルドラマ『スキャンダルイブ』はNetflixでも好評配信中。公式インスタグラムhttps://www.instagram.com/honamisuzukiofficial/

第十六回「砂漠の夕陽を母と見る」 文・鈴木保奈美

俳優の鈴木保奈美さんが撮影したドバイの景色
この夕陽を見るためにドバイにやって来た…。オレンジ色に染まる砂漠に沈む、燃えるような太陽は、息をのむような美しさ。

幹線道路から外れてもう十分以上、車はやけにのんびりと走っている。見渡す限り三百六十度の砂漠にもいい加減飽きてしまって、時折姿を見せるガゼルを数えるのにも、両手の指が塞がってからは驚かなくなった。
「このドライバーさん、遅すぎる。速度標識、三十キロだったよ。彼、十キロも出してないよ」と、ボヤく妹。
「わたしたちアブナいところへ連れて行かれたりして?」と、さほど心配げでもない母。
「さっきゲート通った時、名前チェックしてたよ。ゲストリストでしょ」と、確認ずみの娘。
「いや、日本人四人か、どこへ売り捌く? ってチェックかもよ」と、疑り深い妹。
「砂漠の景色を見せてくれてるつもりじゃないの?」と、ポジティブなわたし。「あ、ラクダ!  見て!」

三世代、四人の女が見やるはるか前方を、ラクダの隊列が横切った。そう、このためにはるばるやってきたのだ。

俳優の鈴木保奈美さんが撮影した写真
母、娘、孫。3世代、4人の女たちの旅のクライマックス。徐々に変化する、茜色から深い青色へのグラデーションに、シルエットが美しく際立っていく。

一年ほど前から娘がアラブ首長国連邦・ドバイで働くことになり、スマホに送られてくる写真を見ながら、彼女が滞在しているうちに一度訪ねてみようかしら、そんなことでもなければ絶対に縁がなさそうだし、ねえママ、孫の顔を見がてら、どう? と軽く聞いてみたらば、まさかの「いいわねえ、ラクダに乗ってみたいわねえ」という返事にこちらはひっくり返った。もうすぐ干支が七周りする母は、周りにはとにかく元気だと言われている。何せ病気をしていない。いや、「健診なんかに行ったら、病気になっちゃうじゃないの」と行かないだけ、病気が見つかっていないだけなのだけれども。そして昔はママさんバレーやらママさんソフトボールに参加していたアクティブ派、だがそそっかしいお転婆なので、ちょこちょこ怪我はする。数年前には階段から滑り落ちて大腿骨を折って手術をした。以来、腰には爆弾を抱えているし、コロナ禍もあって、それまでは神戸まで遠征していた宝塚観劇からも足が遠のいてしまった。その母が、行く気になったようだ。よしよし、脳と心に刺激を与え、足腰を鍛えるお散歩モチベーションアップのチャンス! すわ、気が変わらないうちに、と、妹とわたしは俄に計画を練り始めたのである。もっとも本人は、ドバイの位置もよくわかっていないようである。「どこにあるんだっけ? 本屋さんで世界地図を買ってこなきゃ」とか言ってる。あのねママ、あなたパソコン使ってるでしょ、Google Mapsってので、三秒で見られるから!

俳優・鈴木保奈美さんが撮影した写真
髪が砂まみれになるのでスカーフは必須と聞いて、大判スカーフをクルクル捻りながら巻いてみた。保奈美さんはパンツに合わせオレンジ、お母様はシックなネイビー。

ドバイって、何もかもギンギラなんでしょ? という予想を裏切り、砂漠のホテルはしっとりと居心地が良い。コテージへと導かれる小道は鳥の声に包まれ、ガゼルが興味深げに人間たちを眺めている。彼らの落とし物の匂いも漂うけれど、まあ、自然のことだから仕方ないわねってな境地に至る。必要なものはふんだんにあり、不必要な飾りやお節介やオマケは一切ない。あっさりしているけれど、こちらの要求は全力で満たしてくれる、という類のおもてなし。そうして、ここではお年を召したマダムが一番偉いのよ、だからママが一番堂々とわがままを言っていいの、姫なんだからね、と、わたしは何度も耳打ちする。レストランで初めに椅子を引かれた席にさっさと座って良い、そんなことさえも、もじもじしてしまう母である。専業主婦だった彼女の人生では、自分を最優先にするなんて、考えたこともなかったろう。父が亡くなってからはずいぶん自由にしていたと思うけれど、やはり娘や孫に合わせて、自分の気持ちは後回しにしていたはず。そうさせていたのは、わたしの甘えだった。もっと早くに、気付いてあげるべきだった。

俳優の鈴木保奈美さんが撮影した写真
お母様を中心に、保奈美さんファミリーはラクダに乗って大はしゃぎ。忘れられない体験に。

灼熱の太陽が傾いて風が涼しくなったら、旅のハイライト、キャメルライド体験が始まる。ホテルの客達が三十人ほど、ラクダ一頭の背に二人ずつ跨ると、大きなラクダはゆらりと立ち上がって歩き出す。見渡す限りの乾いた大地、オレンジ色の夕陽、足元に長く伸びる影は幻想的で、平山郁夫の絵画の世界だ。が、ラクダの背中では大騒ぎ。「ぎゃああ、揺れる」「お尻が滑るよ」「砂が口に!」「この子(ラクダのこと)、まっすぐ歩きたくないらしいよ。前の子にぶつかる! 」あまりの非日常に、キャアキャアと笑いが止まらない。ラクダの列を引くおじさんがうちの母を指して「彼女はセブンティーズか?」と聞く。「ノーノー、エイティーツー」「OHHHHH」八十代でラクダに乗る人なかなかいないって、驚いてたよ、と伝えると、ご満悦の母である。

俳優の鈴木保奈美さんが撮影した写真
 

二十分ほどで着いた砂丘には冷えた飲み物が用意してあって、シャンパングラスを片手に沈む夕陽を眺めることができる。線香花火の先端の火の玉みたいな太陽が、今にも地平線に落ちて破裂しそうだ。

「今ね、二句できたわね」母は川柳教室に通っているのだ。そこに提出する川柳をできるだけたくさん作る、というのが今回の旅の彼女の宿題である。

俳優の鈴木保奈美さんが撮影した写真
 
俳優の鈴木保奈美さんが撮影した写真
 

空の色が刻々と変わっていく。同じ地球の、同じ夕陽のはずなのに、日本で見るそれとはまったく違う。味噌漬けの卵黄みたいに濃厚なのだ。気温のせいか、湿度のせいなのだろうか?
「こんなすごい景色を女三世代で見てるなんてね、不思議だねえ」「来ちゃったねえ、砂漠。乗っちゃったねえ、ラクダ」パパにも見せてあげたかったね、とは、誰も口には出さない。
「なんだか太陽が加速しているように見えるわね。あっという間に向こう側へ行ってしまうのね」
「あの太陽は、次の朝を連れていくのよ。ほら、谷川俊太郎の詩にあるじゃない? 地球上のある街で日が沈んだら、次のある街ではそれが朝陽となって一日が始まる。僕らは朝をリレーしている、っていう詩。今頃どこかの国では朝焼けを見ているんじゃない?」
「あら、それ素晴らしいわね。朝のリレー。使わせてもらおう」

いや、ママってば、それ谷川さんのパクリだから!
と、いうわけで、お教室で褒められたという一句。パクリ疑惑は、回避できた。

 夕陽見て 砂漠に散らす 感嘆符

関連記事

PHOTO :
鈴木保奈美 (本人の写真は、スタッフ、友人、家族が撮影)
EDIT :
喜多容子(Precious)