映画の試写会で最も緊張するのは、帰りなんです。
エンドロールを観終わって、場内から受付に出ると、そこには作品の宣伝担当の人が待ち受けています。
「どうでしたか?」
このシツモンにどう答えるか。ヒトコトで感想を述べなければならないシチュエーションなのですが、これが意外に悩ましい。
「よかった」ならどうよかったか、どこがよかったか、受けるのか受けないのか、それを手短に説明する。それはまあいい。
困るのは逆の場合だね。
「う~ん、ちょっとどうかな……」などと言おうものなら、担当者はソク顔を曇らせるからね(笑)。「う~ん、ちょっと」の作品は、ぼくらプレスやブロガーが取り上げない。つまり、話題にならないからなんです。しかもですよ、その「ちょっとどうかな」が大当たりでもたら今度はこちらの見立て力が問われるわけでありまして(笑)。
だから、「う~ん、ちょっと」の場合は、なるべく担当者と顔を合わさないように、どさくさ紛れに退出するのがぼくの流儀である。
ぼくが先まわりしてマイナス評価をしなくても、受けないものは受けないのでありますから。
どこにでもいそうな、ふたりの男がレバノン全土を巻き込む
今回ご紹介の『判決、ふたつの希望』の場合はどうか。
ぼくのヒトコト感想は万感を込めての、
「シブイ!」
であります。
本作の舞台はレバノンの首都ベイルート、と書くと、たいていのひとはテロがらみの映画だと推測するだろう。違うんだな。テロやバトルシーンがキライな方でも十分楽しめる、強いてレッテル貼りをするなら「社会派法廷劇」です。
キリスト教徒のトニー(アデル・カラム)とパレスチナ難民のヤーセル(カメル・エル=バシャ)との間に起きたちょっとした口喧嘩がメディアの報道をきっかけに国を揺さぶる大法廷闘争となっていくというスジ。だが、あなた、いまレバノンという国がどのような状況か御存じか? ぼくはまったく知らなかったね。ましてや、パレスチナの難民がレバノンに流れこんでいたという事実をや(レバノンはパレスチナだけではなく、シリア難民も受け入れている難民受け入れ大国なのだね)。
しかし、そんな国際情勢など知らなくても、ぼくはトニーの立場に立ち、あるいはヤーセルの心情を察し、スグに物語に没入できました。なぜならこの映画、舞台は世界中どこであっても成立するからです。自動車修理工場を細々と営むトニーはドイツ人でもトルコ人でもパキスタン人であってもよく、不法就労で配管工事をおこなっているヤーセルは、シリア難民でも、アフガニスタン難民でも、ソマリア難民でもよろしい。物語の背景は、《いつの間にかやってきた、宗教も習慣も違う大量の難民とどう向き合うか》という極めて世界的かつ今日的な問題だからである。
言葉の駆け引きが判決を左右する
二人を決定的に対立させたのは、たった一言の悪口なのだが、トニーにもヤーセルにも一歩も引けない事情がある。男たちの怒りと苦悩をふたりの役者がまた見事に演じている。トニーにもヤーセルにも妻がいて、自分の感情のままだけには動けない。板ばさみ。だがね、特別な地位にいるわけでもない、たいした金もありそうではない、女にモテるでもない、お洒落にも縁がない、いたって普通人のこの男たちが実に人間くさく、魅力的なんだな。
終盤、二人の過去が明らかになり、結末に向かうあたりの運びかた、盛り上げ方もジアド・ドゥエイリ監督(クエンティン・タランティーノ監督のアシスタントカメラマンだったらしいですよ)の演出はぬかりない。前菜二品の後、きっちりメインの肉200gを食べた満足感あり!
一応「社会派法廷劇」とカテゴライズしてみたが、非常に言葉のやりとりが重い、大人の男にふさわしいシアトリカルな映画だと思う。なにかね、見終わったあと、こちら、観る側の人間的深みまで増したような気がしますぜ。
『判決、ふたつの希望』
公開日:8月31日(金)TOHOシネマズ シャンテ他全国順次公開
配給:ロングライド
スタッフ・キャスト
監督・脚本:ジアド・ドゥエイリ
脚本:ジョエル・トゥーマ
出演:アデル・カラム、カメル・エル=バシャ
2017年/レバノン・フランス/アラビア語/113分/シネマスコープ/カラー/5.1ch/英題:The Insult/日本語字幕:寺尾次郎/字幕監修:佐野光子
『判決、ふたつの希望』公式サイト