第二回目となる今回は、イタカジ〜DC〜イタリアンインポートへと連なる80年代ファッションの系譜と、当時の業界人の着こなし流儀についてじっくりお話を伺った。今やネットでも検索できない(!?)ディープすぎる80’sファッション談義をお楽しみあれ!

今こそ、1980年代ファッションを語ろう!バックナンバー

DC前夜の時代の徒花「イタカジ」ブーム

今やメンズファッション史から忘れ去られようとしている「イタカジ」について、熱く語る鎌田さん。君は「ペダルプッシャー」を覚えているか?

矢部 じゃあ、もうちょっとファッションのほうにテーマを絞りたいんですけれども、DCの話がいっぱい出てきましたけれども、一方で、ちょっとイタカジみたいなのもあったじゃないですか。クローズドとか、フランソワジルボーとか。

※クローズド 通称「イタカジ」こと、イタリアン・カジュアルを代表するブランド。短めのすそ丈にデザインしたデニム、ペダルプッシャーは大爆発したモデルだ。
※フランソワ・ジルボー 正式名は“マリテ+フランソワ・ジルボー”。1964年、フランソワ・ジルボーとマリテ・ジルボー夫妻がフランスで創業。クローズと同様に上質なカジュアルスタイルを牽引したブランドである。

四方 それは、かなり最近だよね。俺にとっては(笑)。

鎌田 そうなんですよね。

四方 日本は、圧倒的にアメカジなんですよ。シップスとか。要するに、いまだにアメカジとか渋カジとか、早い話がポパイ少年なんですよ。だから、はっきり言うと、俺たち1948年から50年生まれの団塊の世代というのは、おしゃれに興味ある人間を50%としたら、その半分はポパイ少年なんですよ。ブルータスにもなり切れない。ポパイで始まって、ポパイで終わっている人がいまだにいるんですよ。

鎌田 そうですね。確かに。

四方 もうバラクーダのスイングトップが命みたいなやつ。俺、この間修理屋さんに行ったとき、もうぼろぼろなのを「これと同じものをつくってほしい」ってヤツがいてさ。買えばいいじゃんと思うんだけれども、いや、「今のやつはイタリアもので、細くなってだめなんです」とか、そこまで言うかみたいなさ、あるのよ。

矢部 なるほど。

四方 あとは、ジルボーとか何かの前に、フィオルッチというのが。

※フィオルッチ 1967年に誕生したイタリアのブランド。70年代に大人気となる。色鮮やかなデザインが、気分を盛り上げた。ポップなデザインは、その後の“ベネトン”にも影響を与え、今見ても斬新なファッションだ。

矢部 そうでしたね。フィオルッチですね。うん。

鎌田 はいはい。

四方 何かイタリア人が考えるアメカジみたいな、わけわからないのがあって。ジルボーとか何とかってあるけれども、これはどちらかというとクリエーティブだよね。うん。

鎌田 僕はジャストですね。

四方 そうですか。

鎌田 サーフィンをやっていたので、サーファーからイタカジに行ったんですよね。マエラパーティのニットとか、ジルボーのペダルプッシャーのデニムをはいて、エスパを履いて。いわゆるサーファーが、その前は70年代っぽいレインスプーナーのアロハに。

※マエラパーティ フランスのニットブランド。当時、南青山にあったジルボーのショップで販売されていた。
※ペダルプッシャー すそのすぼまったデザインを指す。自転車のペダルを踏むとき、すそを汚れにくくするための短いラインが由来。

矢部 レインスプーナー。いいですね。

鎌田 何ていうんですかね……。

四方 わかる、わかる。

鎌田 ファーラーのパンツとか、そういうサーファーだったんですけれども、ジルボー出現によって、80年代、サーファーがみんなペダルプッシャーのジーパンをはいて、だらっとしたニットを着て、ちょっと刈り上げた頭にしていったんですよね。

※ファーラー 1970~80年代にかけて、サーファーに愛用されたパンツブランド。ホップサックというザックリとした素材を使ったフレアのシルエットで評判に。普段、サーフィンをしない“丘サーファー”にも抜群の人気。ベルトループにジャラジャラと鍵を垂らすのが、流行りの着こなしだった。

四方 一時期なんだけれども、アルファ・キュービックの柴田さんのレノマとか、あの辺が、原宿ファッションじゃなくて、どちらかといったら飯倉ファッションみたいな。

※アルファ・キュービックの柴田さん イヴ・サン=ローランに直談判し、レディースのリヴ・ゴーシュの輸入契約を結んだ伝説的な柴田良三さん。自身が立ち上げた会社が、ファッションをはじめライフスタイルを提案するアルファ・キュービック。手がけた“レノマ”が大流行となった。イタリアンレストラン「エル トゥーラ」も経営。2017年に惜しくも他界。
※飯倉ファッション 原宿のセントラルアパートを中心とした、ファッションやクリエーター系のスタイルに対し、イタリアンレストラン「キャンティ」がたたずむ飯倉界隈の、大人のヨーロピアンスタイルをこう称した。

鎌田 そうですね。

矢部 そうでしたね。

四方 うん。ベビードールとか、レノマみたいなやつを。そういう、今日、はいているような白いパンツに、白いシャツみたいなのはあったよね。みたいな感じで、そんなにメジャーラインではなかったよね、あくまで。

※ベビードール 飯倉「キャンティ」の1階にあったブティックであり、ファッションブランド。「キャンティ」のオーナーである川添浩史さんの細君、梶子夫人はファッションデザイナーのため、1960年代後半のグループサウンズ全盛期、ザ・タイガース、ザ・スパイダース、ザ・テンプターズの衣装を夫人がデザインしたのは有名な話。

矢部 そうですね。

山下 80年代というと、何となく僕のイメージだと、いわゆる時代のあだ花ですけれども、ケミカルウオッシュのジーンズのイメージがすごく強いんです。

四方、鎌田 ああ〜(苦笑)。

山下 あれも、イタカジみたいなところからくるんですか?

鎌田 あれもイタカジ。ボールとか。

※ボール “クローズド”と双璧の人気ブランド。ムラ加工で仕上げたデニムは、日本のデニムブランドが真似した。ブルーのひし形に白ヌキでBALLとデザインしたロゴは、実にシンボリックだった。

矢部 そう、ボールの中でちょっと。

鎌田 ボールのデニムとか、レッドボタンってありましたね。あの辺から、日本のボブソンとか、ああいうところがまねをしてつくって、普通のスーパーで売り出したという。

※レッドボタン フロントの前立て部分に赤いボタンを配したデザインが、なんとも斬新だった。イタリアのデニムブランド。

四方 そうそう、そうそう。

山下 皆さんは、あれ、はかれていたんですか。

鎌田 やっぱりはかなかったですね。

山下 やっぱりほんとうにおしゃれな人は、あれはさすがに手を出さなかったシロモノなんですかね?

鎌田 やっぱりリーバイスの505とかを、ジャケットに合わせるみたいなことはしていましたね。その当時、やっぱり情報は先輩たちなので、イタリアの情報、パリの情報とか、みんな先輩たちから、もう殴られてでもいいから聞かせてくださいみたいな。雑誌よりも。

山下 へえーっ。

四方 さっき、ちょっと言い忘れたんだけれども、日本人の半分の50%はアメカジだと言ったじゃん。あと、その50%の半分もいかないと思うけれども、俺、驚いたのが、やっぱりショーケンなんだよ、「傷だらけの天使」。最近、いろいろな方が亡くなって、裕也さんとかあるけれども、ショーケンが亡くなったのは、萩原健一が亡くなったのではなくて、一つの時代が終わったという認識なんだよね。

矢部 ああ、そうですか。

四方 やっぱりあのときの菊池武夫を、もともと萩原健一が、このドラマの話が来たときに、衣装部なんかじゃなくて、菊池武夫というのがいるから、俺が話をつけるから、そこから衣装を提供してみて、やろうよというので、あの話をつくったのは萩原なのよ。

矢部 すごいですね。

四方 それで、ブームになっちゃって、今、NHKまで「傷だらけの天使」を再放送するみたいに。あれはすごいよなと思う。

鎌田 いや、衝撃ですよ、あれは。

矢部 ですよね。何か舞台設定もいいじゃないですか。探偵の下っ端みたいな。

四方 うそっぽくてね。

鎌田 あの当時、周りのアイビーの先輩がみんな変わりましたから。

四方 そうそうそう。

鎌田 髪を伸ばし始めて。あれは、ひとつのターニングポイント。

四方 何しろ、メンズビギは人気あったから。メンズビギの社員は、給料がよくなって車を買っても、ナンパに行くときは会社の車を使うのよ。「メンズビギ」と書いてあると、「あんた、アパレル?」って女の子が寄ってくるわけ。

山下 ああ(笑)。

四方 だから、土日に、会社の「メンズビギ」と入った車、みんな勝手に使って、ないんだよ。

矢部 それはおもしろいですね。伝説ですね。

四方 それぐらいの時代。

鎌田 メンズビギにいた先輩たち、みんなブランドを始めましたものね。

山下 へえーっ。

四方 それで、必ずブランドのロゴがここにあって、下に住所と電話番号が入っている、宣伝みたいなTシャツばっかりなんだよ。

矢部 へえーっ。それ、皆さん着ていたんですか。

四方 それが売れるんだよ。

鎌田 あの当時、A-2か何か革ジャンを着ているじゃないですか、バギーパンツに。あれ、実は古着で、問い合わせが多くて、当時、前田さんが製品化したという。

※前田さん “メンズビギ”のデザイナーだった菊池武夫さんの下から巣立ったひとり。本名は前田 誠さん。

矢部 へえーっ。前田さんって、ブランドは何ですか。バーグマンですか、イン&ヤンですか。

※バーグマン 前田誠さんが代表兼デザイナーを務めたブランド。欧文では”BERGMAN”と書く。原宿にショップを構え、ヨーロピアンなスタイルを取り入れた、大人っぽいデザインのスーツやジャケットが主力だった。ブランド名は、イングリット・バーグマンから命名した。
※イン&ヤン デザイナーは、菊池武夫さんに師事した村岡勝重さん。スーツを中心に、ダークトーンのシックなスタイルを提案したブランド。後に“カツシゲ ムラオカ”というハイエンドのブランドも展開。代官山にプレスルームがあった。

鎌田 バーグマンですね。

矢部 うわっ、懐かしいですね。

四方 まあ、あまり成功しなかったんだよね。

矢部 そうでしたよね。でも、この近所でしたよね。

鎌田 イングリッド・バーグマンでバーグマン。チェルッティとか、バーグマンとか、あの時代はちょっと初期ですよね、インポートの。僕らにとっては。

矢部 そうですね。へえーっ。

四方 加藤和彦が、高橋幸宏と組んで、原宿のブリックスか何かでやっていましたね。

※ブリックス ミュージシャンの高橋幸宏さんが営んでいたブティック。

鎌田 ああ、やっていました。

四方 ムッシュも、東急何とかにあったよね。

※ムッシュ 当然、かまやつひろしさん。グループサウンズ“ザ・スパイダース”のメンバーとしてギターを担当し、独立。1975年に発表した『我が良き友よ』は大ヒット曲となった。

矢部 やっていましたね。

四方 マチャアキかなんかと。それは、結構ヨーロッパっぽい、イタリアっぽいみたいな。

※マチャアキ もちろん、堺正章さん。“ザ・スパイダース”のリードボーカルを担った。独立後は、軽妙洒脱な話術に加え、ツヤッぽい色気のあるファッションで、芸能界随一の洒落たセンスを放つ。

鎌田 ブランドをやっていたんですよね。

四方 みんな洋服業界に絡んだり、プロデュースとかやるんだよな。

鎌田 あれは、やっぱり福澤幸雄さんの影響なんですか?

※福澤幸雄 1960年代のカルチャーシーンの主役となった、レーサー兼ファッションモデル。当時、『平凡パンチ』で何度も特集が組まれた。曽祖父は福沢諭吉。『メンズプレシャス』2015年夏号で表紙を飾った。

四方 かもね。

矢部 そういうブランドは、ものづくりはどなたがやっていたんですか。結構大手がバックについていたんですか?

鎌田 いや、ついていないですよ。

矢部 小さくやっていたんですか、やっぱり。

鎌田 マンションメーカー。でも、自分たちでやっていましたよね。パタンナーがいて。

矢部 へえーっ。

鎌田 大口さんも、一時、プラクティス・オブ・サイレンスって、やっていましたよね。

※プラクティス・オブ・サイレンス ザ・テンプターズの元ドラマーであり、俳優としても成功した大口広司さんが手がけたファッションブランド。

四方 ああ。インセンスとか。

※インセンス 前田誠さんが立ち上げた、日本のDCブランド。“バーグマン”“インセンス”、そして“ギャラモンド”も前田さんがつくり出したブランドである。

山下 ミュージシャンとファッションというのが非常に結びついていたということでもあるんですかね。

四方 そりゃそうでしょう。要するに、僕らはどちらかというと、あれだよね、おやじのドブネズミみたいなファッションにあまり興味なかったし。やっぱりロックというのは大きかったよね。ビートルズにしろ、ローリングストーンズにしろ。

鎌田 そうですね。

四方 音楽と一緒に入ってくる。それで、今度はウッドストックだ、フラワーだとかさ。やっぱり音楽の影響、特にロックの影響はすごいあると思う。

山下 でも、何かちょっと不思議に思うのは、70年代に革ジャンにジーパンでギターを弾いていた方々が、80年代になると、みんな革ジャンを脱いでジャケットを着るようになるじゃないですか。あの変化というのは、僕も子供心にすごく何か不思議に思ったんですけれども、その感じは四方さんにとっても自然な流れだったんですか?

四方 あの当時、前後して、スウィンギング・ロンドンといって、イギリスでビバとか、あの辺の動きがあって、今までただの場末のストリートだったカーナビーとかに人が集まってきて、毎日、みゆき族みたいにおしゃれを競ったり、小さなブティックをつくって、手縫いの服をつくったみたいなムーブメントが起こってきたから、むしろ古い、格好悪いというのも、全部、新しい目で復活してきたんだと思うよ。例えば、ジミ・ヘンドリックスの昔の軍服みたいなやつなんて、古着だけれど、やっているのはロックで、ガーンってギターを弾いてやるから、もう全然新しく見えてくるし。やっぱりどちらかというと、イギリスのロックグループ、ないしはストリート文化が、かなり俺たちに影響しているよね。俺にはね。それは、ある意味、菊池武夫とか、稲葉賀恵を通して、また来ているのかもしれないんだけど。

鎌田 僕は、やっぱりロキシー・ミュージックのブライアン・フェリー、スーツを着てロックをやるという。

※ブライアン・フェリー 1971年デビューの英国ロックグループ、ロキシーミュージックのボーカル。スーツを着て演奏し歌い、それまでのロックとは違う洗練された大人のムードを漂わせ、ワールドワイドに受けた。

矢部 皆さん、言いますよね。

四方 あれ、サンローランだから。ジャケットの見開きなんかも、サンローランの横を向いているあれを、わざとパロディー風にやっていたりするし。

鎌田 それが格好よかったですね。

山下 へえーっ。

鎌田 で、だいぶ後になって、ロバート・パーマーが出てきますけど。

※ロバート・パーマー 1974年にソロデビューを果たしたイギリスのミュージシャン。ヨーロッパでは高い人気と評価を得たが、アメリカではヒットには恵まれなかった。しかし、‘85年にデュラン・デュランやシックらが結成した、パワーステーションに参加し話題となった。ジャケットスタイルやスーツを着こなしてステージに上った。

矢部 ええ、確かに。

鎌田 スーツを着てロックをやるという。

四方 ミック・ジャガーも、ビアンカ・ジャガーの結婚式のときのスーツってサンローランじゃないかな。ビアンカもサンローランだと思う。

鎌田 ミックは、ずっと当時の最先端を着て出ていますよね、ライブは。

四方 今、ローリングストーンズ展(※6月5日に終了)をやっているけれども、俺、まだ行っていないんだけれども、当時の服なんて、あなたが見たら好きそうな服だけれど、今見ると、やっぱりパターンか何かがちょっと違うよな。やっぱり服って時代をしょっているね。

鎌田、矢部 そうですね。


インポートブーム、そして「ファクトリー」という概念の芽生え

ジョルジオ アルマーニ→ファクトリーブランド→クラシコイタリアという、メンズファッションの進化の過程が今明かされる!

矢部 その後、インポートブランドブームみたいなのがわーっと来るじゃないですか。アルマーニだったり、フェレだったり、ヴェルサーチだったり。その前にバルバスとか、加藤さんが大好きだったブランドのひとつだと思うんですけれども、その辺についての思い出みたいなのはどうですか。

※フェレ 正確には“ジャンフランコ フェレ”。1980年代のイタリアを代表するブランドであり、デザイナー自身の名前。“ジョルジオ アルマーニ”、“ジャンニ ヴェルサーチ”と一緒に、そのイニシャルを取って「3G」の一画となった。直線的なフォルムが魅力のスーツは、フェレが学んできた建築的な要素も演出した。
※バルバス 若かりし頃のジョルジオ・アルマーニもデザインを手がけた、当時最もエレガントな大人のブランドのひとつ。日本ではオンワード樫山が輸入していた。

四方 いや、思い出というより、俺が引っ越して、断捨離するときに、真っ先にそれだったね。アルマーニやヴェリー・ウォモ? もうこんなパットで、羽織り袴という感じで、すごい素材でさ。高かったんだろうと思うよ。一、二回しか着てないと思うな。

※ヴェリー・ウォモ イタリア・ミラノのヴェリ通りに面したショップがあることから、ブランド名を命名。デザイナーは、シチリア出身のレオナルド・ブルゴニョーネ。ビッグショルダーで鋭角的なラペルが特徴のスーツをデザインした。ブランド名は後に“ヴェリー”となった。

矢部 そうですか。

鎌田 四方さん、よく代官山のヴェリー、行っていましたよね。

四方 そう。

矢部 でも、四方さんのダブルのでっかいラメの印象、僕、すごい強いですよ。

四方 なんだけど、最終的に、やっぱりそれ、格好悪いなと思い出したのか、うちの事務所の下にあったコルネリアーニとか、要するにファクトリーものの地味派手というのに行き出したよね。確かにアルマーニも着たし、ヴェリー・ウォモも全部、当時、お金はあったから買ったけれども、自分らしく着られるといったら、どこかでコルネリアーニとか、イタリアのファクトリーものの、わりとしっかりした服のほうが長く着られるなと思った。

※コルネリアーニ イタリア・マントバが本拠のテーラードが巧みなブランド。ミラノのモンテナポレオーネ通りに大きなショップを構える。80年代当時、日本ではフィーゴが輸入代理店となった。

矢部 そうですか。デザイナーズブランドはいっぱい着ていたけれども、あまり思い出に残っていないという感じなんですか?

四方 いろいろなものを着てみたけれども、イタリアもののちょうどいいサイズを着ると、おさまりがすごくいいんですよ。突っ張りとかなくて、ふわんとなるのね。だから、やっぱり服ってヨーロッパのほうがうまいなというか。日本って、好きなデザインとかあるんだけれども、どこかやっぱり角張っているというか、なじまないというか。どこか平面的なんだよな、日本の服って。やっぱりイタリアってすごいよ。食べるものとか、着るものとか。特に、ナチュラルな素材の開発力というか、もうエロティックなまでに追求するじゃない。ここは、もう勝てないね。ウールとか、リネン、コットンもそうだな。何だろうね、あの感覚。

矢部 よく聞くのは、ちょっとこんなイメージという感じでデザイナーがスケッチをすると、やっぱりつくる人がいっぱいいるんですよね。

四方 そう。

矢部 分業化されていて、それぞれのスペシャリストがいて。で、何かこんな感じと言った以上のものができてくる。

四方 反面、結構イタリア生産を手伝ったことあるんだけれども、デザインを送って、説明して、とりに行ったら、全然違うデザインになったりするんだよ。「何でこうなんだ」「こっちのほうがいいから」と言うわけ。こいつ、困ったやつだなって感じ。

矢部 勝手ですね。

四方 そう。相談もなしにね。

矢部 鎌田さん、どうでしょう。この辺、ヴェリーを含めて。

鎌田 僕は20代の頃、夜は毎晩遊びに行くという時代だったので、やっぱり「マイアミ・バイス」のドン・ジョンソン、ヴェルサーチを着て。あとは、「アメリカン・ジゴロ」はちょっと前ですけれども、あとアルマーニがやった「コットンクラブ」。ああいうのを見て、やっぱりアルマーニ。で、ずうっとそこにもう行っちゃった。

※「マイアミ・バイス」のドン・ジョンソン アメリカ、日本で大ヒットしたドラマが『特捜刑事マイアミ・バイス』である。その主役を演じた俳優ドン・ジョンソンは、“ジャンニ ヴェルサーチ”をラフに着こなし颯爽と登場。

矢部 行くんですよね。

鎌田 その後にいろいろ、それこそヒルトンとか、レダエリのスーツとか、四方さんが言っていたようなファクトリーブランド。アルマーニのシャツは高いけれども、バグッタのシャツは安いだとか、パンチのシャツは安いだとか、だんだんそうやってファクトリーのほうに行き出した。で、だんだん先輩たちが、アルマーニのニットはここでつくっているんだよとか、ここはフォーラル社の工場でつくっているんだよとか、いろいろな、イタリアのファクトリーとデザイナーの関係みたいなものをいろいろ……。

※ヒルトン イタリアのデザイナーズブランドが生産を依頼していたファクトリーが、後に自社のオリジナルブランドを立ち上げて、スーツなどを展開。“ヒルトン”はまさにその先端のファクトリーブランドだった。1962年、ヴェスティメンタ・グループの既製服の生産工場として設立した。
※レダエリ 1920年、ミラノに創業したファクトリー。80年代になると、テッド・ラピドゥス、マウリツィオ・バルダサーリ、ニコラ・トラサルディをデザイナーに迎え躍進。後に、“ジャンフランコ フェレ”や“ジャンマルコ ヴェントゥーリ”のスーツ生産を担う。
※バグッタ “ジョルジオ アルマーニ”をはじめ、多くのデザイナーズブランドのシャツを生産する、シャツメーカーであり、ブランドである。イタリアきっての大規模なシャツのつくり手だ。
※パンチ イタリアのシャツブランド。ビスコースやドビーストライプの生地を使い、グレイッシュな色合いで表現したシャツづくりが得意。“バグッタ”に比べ、安価な価格設定で人気を博した。
※フォーラル社 イタリア有数のアパレル工場地帯、ヴィツェンツァで1970年に創業。スーツブランド“パルジレリ”を展開する。イタリア代表サッカー選手の公式スーツを手がけるなど、洗練されたシャープなスタイルが得意のメーカー。ピッティ・ウォモにも大きなブースを構え、長年出展していた。

矢部 わかってくるわけですよね、プロとしても。

鎌田 生地屋だとトレロヴィエラとか、そういうものの背景を教えていただいて。

※トレロビエッラ イタリア生地の名産地、ビエッラを本拠とする生地ブランド。多色使いのチェック柄や表面感のあるハウンドトゥースなどの生地がブランドの顔となった。

矢部 なるほど。

鎌田 それから、ファクトリーブランド、そこが今度、クラシックにつながっていくようなノリもありますね。

矢部 それ、具体的におっしゃると、コルネリアーニだったり。

鎌田 あとパルジレリだったりとか、ファクトリーブランドですよね。はい。コルネリアーニは、ほんとクラシックなイメージでしたね。

四方 そうそう、そうそう。

山下 今はブランドというイメージですけれども、やはりその前は、ファクトリーブランドという存在だったんですね。

鎌田 そうですね。ジャンフランコ・フェレのスーツはレダエリがつくって、アルマーニはヒルトンがつくってとか、何かそういう関係性がありましたよね。

矢部 そうですよね。

矢部 山下さん、何かこの辺のところで。

山下 四方さんもお話しされていましたけれども、当時の、いわゆるDCブランドと、その後から来るイタリアンデザイナーズブランド、そこの違いというのは、鎌田さんはどういうふうに捉えられていたんですか。

鎌田 やっぱり何ていうんですかね、海外のにおいがしましたよね。

山下 へえーっ。

鎌田 特にDCって、あまり海外のにおいがしない。東京のにおいですよね。

山下 はい。ええ、ええ。

四方 そうそう、そうそう。

鎌田 でも、アルマーニとか、フェレとか、それこそレノマもそうですけれども、やっぱり海外のにおいがする。僕らは海外といえばまだハワイ、グアムぐらいしかわからない時代ですから。例えばモロッコとか、ああいうところに最高のリゾートがあって、みんなそこでバカンスを楽しんでいるみたいな、そういう全てを含んだ、いわゆるリッチマンのライフスタイルが海外ブランドには込められている。そんなインポートブームが来たときに、DCはもうビジネス、ビジネスになってしまっていて。丸井さんにバンバン出すのが最高みたいな。だんだんそこも、僕らは気持ちが冷めていったというところもあるんですけど。

山下 なるほど。やっぱり周りでも転向組は多かったんですか。

鎌田 多いです。もうほんと多かったですね。やっぱりお金がないので、アルマーニよりも、ファクトリーブランドを無理して買っていた。

山下 やっぱり高かったんですか。

鎌田 高かったです。アルマーニは、とんでもない値段でしたよ。

矢部 当時で、余裕で40万円ですよね。

鎌田 そうですね。ファクトリーブランドでも18万円とか、それぐらいしていましたよね。

矢部 そうですね。ええ。

山下 でも、そんなに高いブラントをそれこそ当時、小学生だった僕ですら知っているブラントになったというのは、なかなかすごいことですね。

鎌田 すごいですね。

矢部 だから、やっぱりバブルだったと思う。絶対に。うん。何かが回っていたんだよね、きっと。

鎌田 今はやらないですけど、「それ、どこの?」って、こうやって服を見せるって、今、あまりないじゃないですか。

山下 そうですね。

鎌田 あの当時、こうやって(笑)。

山下 そんな人、いたんですかぁ?

鎌田 いました。格好悪いですよね(笑)。

山下 すごい時代ですね。

矢部 絶対的にアルマーニ。

鎌田 その当時、村上龍さんがすごい売れっ子小説家で、ジョルジオ・アルマーニを着ていたりとか。ヴェリー・ウォモは、どちらかというとマイナーブランドでしたね。よく遊び場でぶつかりましたよ。アルマーニ対ヴェリー。

矢部 だから、アルマーニじゃないんだよというような人たちがヴェリーなんですよね、やっぱり。

山下 ああ。やっぱり俺のほうがちょっと通だぞみたいな、そういう感覚もあった。

矢部 そういうニュアンスも、当然、含まれているという感じだった。

鎌田 ヴェリーのパンツはきれいだとか、何かいろいろやっぱり。

矢部 ありましたよね。あと、ゴージが水平でしたよね。ヴェリーって必ずダブルだと。

鎌田 そうですね。まあ、いろいろなモデルがあって、いろいろおもしろかったですけどね。尾崎豊さんは、ヴェルサーチを着ていたんですよね。

矢部 うん、うん、うん。

鎌田 ストーンアイランドも、やっぱりアルマーニがふだん着ているという情報が入ってきて、それで僕らも着だしたんですよ。

山下 へえーっ。それ、意外ですね。

四方 80年代って、俺、今年いろいろなお話をいただいているんですよ。今、そういう機運って来ているけれども、特に去年、おととしあたりからの、ビッグといっても、度を超えたビッグな服とかが、コレクションでもてはやされてきたり。それは、ひとつの変わり目であって、やっぱりこの暗い世の中・・・経済戦争から宗教戦争、哲学戦争みたいな感じで、ちょっと世界の均衡がおかしくなっている中で、何かもう楽しもうというか、うまいものを食って、きれいな服を着て、きれいなお姉ちゃんを口説いたり、男に口説かれりゃいいじゃんみたいなさ。特に、女性の権利がものすごい増えて、就業率も増えてきている。だから、男女のセックスや結婚に対するモラル感みたいなものとか、倫理観みたいなものが新しく形成されてきたと思うのよ。そのときに、やっぱり人間楽しくなきゃ生きている意味がないというさ、イタリア、ラテン的な発想が今、また出てきているんじゃないかと思う。だから、俺、イタリアは強いと思うよ、これからまだまだ。

鎌田 今、30代のアジアの若者たちの間で、クラシコイタリアがすごいブームですよね。

四方、山下 うん。

鎌田 でも日本の30代って、あまりクラシックに興味ないじゃないですか。

矢部 ファッションそのものに、あまり興味ない感じですよね。

鎌田 30代の一番多感なときに、このシャツに、このジャケットに、このパンツに、この靴を合わせたら格好いいみたいな、セオリーどおりのスタイルがあまりにも最近、目立っているじゃないですか。そうすると、やっぱり僕らみたいな、日本でいろいろなファッションを経験してきた人間は、これではまずいよねと思ってきているというか。

矢部 なるほど、なるほど。

鎌田 僕らは、やっぱりアジアをリードしないかなければいけない。そうすると、60年代のアイビーから70年代、80年代、全部見てきているのは日本だけですよね。

矢部 それも、さまざまに変化している。

鎌田 そうすると、やっぱり僕らが壊すわけではないですけれども、今のルールがあり過ぎる服にブレーキをかけるべきなんじゃないかなと、これが東京の役目なんじゃないかなと、僕は思っているんですよね。

矢部 その意味での80年代のおもしろさみたいなところが、ファッションの最先端に行っている方には、何となくちょっとにおっているということなんでしょうかね。

鎌田 うん。


アルマーニにボタンダウンシャツ!

ジョルジオ アルマーニのイメージを作り上げた巨匠カメラマン、アルド・ファライの写真集「Images of Man」。これを見ればあなたのアルマーニ観は変わるはず!

矢部 当時みなさんがこだわっていた着こなしをちょっとお聞きしてみたいんですけれども。

四方 正直言って、あまり意識したことないね。

矢部 だから、そこがおもしろいですよね、当時って。皆さん、そんなような感じなんですよね、何か聞いていると。

四方 俺が得意なのは、ファッションショーは、毎回、シーズンを先駆けて、スタイリストとか、デザイナーとか、モデルとかがああだ、こうだやっているから、自然にそういうのが身についてきたというかさ。

矢部 ああ、なるほど。なるほど。

四方 ほんとにくだらないことで、大げんかになったりするんだよね。例えば、シングルで3つボタンだったら、1番、2番をとめて出すか、2番だけにするかとか、そういうことまでファッションってこだわるからさ。

矢部 それは、ショーの演出のときですか。

四方 そうそう。演出というか、フィッティングというかさ。着ればいいというものじゃなくて、どう着るかということだよね。だから、俺たちがやってきた仕事は、何を着るかではなくて、どう着るかということをやってきたような気がするけどね。そんなにメンズの服って変わらないんですよ、正直言って。だから、微妙な襟の大きさとか、袖や肩とか、そこでちょっと新しさを出さなきゃならないわけよ。これが落ちているのと、ちょっと入っているのでは、全然、ジャケットの表情が変わるのね。だけど、それがすごいことかといったら、そうでもないのよ。

矢部 瞬間的なものだったということですかね。

四方 そうだな……。

山下 80年代って一般の人がブランドで全身を固めて、みたいなイメージもあるんですよね。

四方 多かった。

山下 いわゆるミックスファッションって、90年代以降に起こってきた印象はあるんですけれども、でも、やっぱり皆さんはファッション業界の人だから、着崩しやミックスに挑戦されていたんですよね?

鎌田 そうですね。僕らはアルマーニのスーツにスペルガのスニーカーを履いたりとか、ラコステのポロシャツを着たりとか、それこそ、あえてアイクのシャツを合わせてアメリカを入れちゃうとか、ドレイクスのネクタイを合わせちゃうとか、そういうのはちょっとありましたよね。まあ、業界人ですけどね。

山下 アルマーニにボタンダウンを合わせちゃうんですね! 今からすると、ちょっと考えられないですけどね。

鎌田 結局、一般の方たちが全身アルマーニになってきたので、僕らはちょっと変えようと。アルマーニやヴェルサーチのジャケット、それこそドン・ジョンソンじゃないですけれども、もうノーベルトで、ヘインズのヘンリーネックに、大中で買ったエスパドリューを合わせてしまう、ちょっと抜け感みたいな。で、バッグは持たない。当時はみんなセカンドバッグを持っていたんですけれども、やっぱり男はバッグを持たないほうが格好いいでしょうみたいな、マネークリップでこう入れて。

四方 そうそう、そうそう。だから、結構、定番を崩していくというより、タブーを一個一個潰してきたような記憶はあるね。例えば、さっきお話あったように、ダブルのスーツにボタンダウンのシャツなんか、とんでもないと言われた時代があったけれども、それも平気で、あるデザイナーがやったらオーケーになっちゃうわけよ。例えば、川久保さんのメンズを俺がやっているときでも、あの人は必ず俺が着ているような白いTシャツがインナーなんだよ。当時、ヨーロッパでは、Tシャツは下着だという発想がまだあったけれど。

※川久保さん 日本を代表するファッションデザイナー、“コムデ ギャルソン”の川久保玲さんのこと。

鎌田 そうですね。

四方 俺たちの年代では、絶対そんなこと、とんでもなかったもの。確かに、派手なスニーカーはあったよ。遊びで、グッチのテニスシューズとか、すごい人気あったしさ。シャレとしてあるけれども、今みたいにもう平然とスーツにスニーカーというのはなかったよね。

鎌田 そうですね。だから、「GQ」とか見て、アルマーニのスーツにスペルガを履いているのを見て、格好いい! 白のスペルガ欲しい〜(笑)! みたいな、そういう時代です。

矢部 カメラマンの稲越功一さんが、必ずスーツに白のスニーカーだったのを覚えているんですよね。

※カメラマンの稲越功一さん グラフィックデザイナーから転身した、エッセイも巧みな写真家。『矢沢永吉写真集』『男の肖像』『女の肖像 現代日本の女流100人』『Paris 1989』など、多数の写真集を発刊。男も女も、風景も花も、様々な被写体に挑み、力強くもポエティックな写真を撮り続けた。

四方 あの人、あのスニーカー、つくっていたの知ってる?

矢部 えっ、あの白いやつをですか。

四方 あの白いのがもう廃盤になっちゃったので、靴屋にかけ合って、あの靴、つくっていたのよ。

矢部 はい、はい、はい。

矢部 そうでしたか。でも、すごく印象に残っていますね。白いスニーカー、稲越さんって。

四方 結局は金持ちが変えるんだよな。というのは、昔はスニーカーとかだめなホテルって多かったわけ。帝国ホテルもそうだったと思う。

山下 そうなんですね。

四方 うん。結局、一番高い部屋に泊まる金持ちがスニーカーを履いてきたり、スウォッチの時計とかし出したりして、もう時計や靴なんかで判断できなくなったわけよ。レストランも。その人たちを断わるわけにいかないから、オーケーしなきゃしようがないみたいなさ。

鎌田 そういえば、80年代、スウォッチもはやりましたね。あれも、アルマーニがしていたんですよね。

山下 ああ、そうなんですか。

四方 俺、横尾さんにタダでもらったスウォッチを2、30万円で売った覚えがある(笑)。

※横尾さん アーティストの横尾忠則さん。時計の文字盤に横尾さんの絵をデザインした“スウォッチ”のリストウォッチは、今もマニア垂涎の逸品である。

一同 えーっ!?

四方 後で聞いたら、それ、100万円くらいするんですって。あの当時、売っておいてよかった(笑)。今、もう二束三文だもんね。

鎌田 あとは、やっぱりあの当時、ミラノの羅針盤というか、まず必ず行ったのはダントーネですよね。

※ダントーネ ミラノのセレクトショップ。サンバビラ広場にショップを構え、ミラノコレクションシーズンになると、世界各国の著名なエディターやトップモデルたちで賑わった。

山下 ああ、そうなんですか。

鎌田 ダントーネへ行くと、ドルガバなんかもすごい早く入っていましたし。まずはダントーネへ行って、あそこの息子さんにいろいろな、何が入っているの?みたいな。

※ドルガバ イタリアのファッションブランド“ドルチェ&ガッバーナ”のこと。ファッション業界人の間では、省略して「ドルガバ」と呼ぶ。

座談会出席者

四方義朗さん
ファッションプロデューサー
DCブランド全盛期の当時、ファッションショーの演出を総なめにした、業界人のトップにしてキザに生きた男。持ち前の話術で、テレビ番組にも多数出演。酒とレディーは毎晩欠かせなかった。
鎌田一生さん
ミスターフェニーチェ、オーナー
東京に進出した商社、ライカ海外事業部でヴェリーに勤務。ファッション業界、クリエーターの先輩から、服の着こなしや夜遊びまでを教わり実践した。ファッションを熱く語る粋人である。
山下英介
メンズプレシャス クリエイティブディレクター
80年代は『少年ジャンプ』とファミコンに夢中な小学生だった。しかし今、熱き時代の余波を受け、アルマーニをはじめとする往時のファッションを探求。情熱的なものづくりをこよなく愛す。
矢部克已・司会
メンズプレシャス エグゼクティブファッションエディター
ファッションエディターに成りたての80年代後半。インポートブランドのファッション撮影が毎日続いていたこともあり、イタリアブランドに心酔。挙句の果てに、イタリア4都市在住を経験する。

SPECIAL THANKS!mr.fenice

本対談に出席していただいた鎌田一生さんが手がけるクロージングサロン。自身のブランドmr.feniceをはじめ、アット ヴァンヌッチ、マリーニ、アレッサンドロ グエラなど、本当にいいものを知り尽くした「大人の不良」のためのワードローブを取り揃えている。顧客には有名人も多い。

<出典>
メンズプレシャス夏号「腕時計は男のロマンだ!」
【内容紹介】腕時計は「ロマン」「スタイル」だ!/男の装いに美しい時計が必要な7つの理由/教えて! マーク・チョウの「時計術」/名品時計録2019/「クラシコ80’s 」がやってきた!
2019年6月6日発売 ¥1,200(税込)
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名品の魅力を伝える「モノ語りマガジン」を手がける編集者集団です。メンズ・ラグジュアリーのモノ・コト・知識情報、服装のHow toや選ぶべきクルマ、味わうべき美食などの情報を提供します。
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